田中さーん!

 ガチャリという音とともに、ドアが開く。田中さーん!

田中さんの指示で、5人は別室に行く。


 今後のことを、ちゃんと田中さんにはなそうと思う。

『【挑戦企画】47都道府県を最速で巡る旅に行ったら、◯◯だった』は、

中止にする。その代わりに……。

僕は『愛されてるよ』のバイトプロデューサーになる!


「あのっ、田中さん。今まで、ありがとうございました!」


 ちょっと思わせぶりな入りをする。

最後にバイト続けるって言ったら、よろこんでくれるかな。

泣いちゃったりして! ドッキリ企画なんて、僕も人が悪い。


「あー、ちょっと待った!」


 きたきた! 田中さん、ちょっと動揺している。


「鉄。これ、もらっていいか? うさちゃん堂のどら焼きだろう!」


 そうでした。これは田中さんの大好物。

賞味期限は2日後だけど、絶対に今日中に食べるべき!


「もちのろんです。どうぞ! お好きなだけ」


 言うと、田中さんは手際良く、2個を懐に納め、10個を取り出す。

残りを袋に入れたまま、1度部屋の外に出る。行き先は想像がつく。

田中さんは予想通り、直ぐに戻ってきた。


「まぁ、愛すべきバカどもに差し入れしとかないとな。

 みんな、ずっと待っていたんだから」


 さすがはアイドル。持ってる人にたかるのに、躊躇がない!


「よろこんでもらえれば、何よりですよ」


 田中さんはお土産を受け取ったから、僕が辞めることを疑っていないだろう。

ここまで終始にこやかにはなしが進んだのも、その裏返しだと思う。


 その空気は、田中さんが「でっ?」っと切り出したとことで途絶えた。

うんっ、いいドッキリになりそうだ。


「でっ? 明日は何時に出発するんだ? これから準備が大変だろう」


 言い難い。何て返そうか。企画は中止にするけど、

ドッキリを成功させるためにはどちらとも取れるように返さないと。

幸い、田中さんがどら焼きを頬張りはじめたので、時間があった。


「そうですね。出発の準備とかは、ここへ来る前から済んでますよ」


 本当のことだ。バイトを続けるから、無駄になっただけ。

チケットのキャンセルはまだだけど、充分に間に合う。


「まぁ、鉄についてはそういうこと、だろうな!」


 驚いた様子もない。田中さんは完全に、僕が固辞すると勘違いしている。

これ以上、勘違いさせ続けるのに、僕は力不足だ。

そろそろネタバラシしよう。


「あのっ、田中さん。実は……」

「……急がないと、準備が間に合わんぞ」


 田中さんが僕の言葉を遮ったのは、これがはじめてかもしれない。

それくらい、田中さんは僕にとってよき上司だった。

それなのに僕は……もう、いたたまれない。


「ごめんなさい! 田中さん。僕に、バイト続けさせてください!」


 さぁ、どう出る、田中さん。泣いちゃう? よろこんでくれる?


「だな……」


 うっすーっ! 反応、うっすーっ!


「……だからこそ、準備が大変だろう。あいつらの!」


 はなしが読めない。

はっきりしたのは、田中さんは、はなから僕が辞めるとは思っていないこと。

あいつら、つまり、みずほやさくらたちを僕が面倒見ると疑っていないこと。

どうして? 疑問を隠すように、作り笑いで返す。


「あっ、はははははーっ! です、よねーっ!」


 よき上司だと思っていたのに、田中さん、酷すぎる!

バイトが辞める日も覚えていなかったなんて、ショックだ。


「鉄、先に指示出しとけよ。諸々の報告はそのあとでいいからさ」

「はいっ。そうさせてもらいます。で、どんな指示をすればいいんですか?」


 もう、どうでもいい。


「旅支度だよ。鉄、あいつらを一緒に連れてくんだろう!」

「はっ、はいっ?」


 意味不明だ。


「さっきの社長のメール、見てないのか?

 そんなんじゃ、1人立ちできんぞっ!」


 お叱りを受ける。

しまった。見落としていた。その場で確認する。

新ユニット立ち上げの辞令と最初の業務内容が示されていた。そのタイトルは、

『【至上命令】47都道府県を最速で巡る日本一周旅行にデビュー前のアイドルユニットのメンバーと行ったら、酒池肉林の毎日だった』だ……と……。


 パ……パクられた。いや……。

『デビュー前のアイドルユニットのメンバーと』の部分と、

『酒池肉林の毎日』の部分は新しい。それに【至上命令】の部分も!

 

 なんだよ! 酒池肉林の毎日って! そんなの、アップできないじゃん!


 社長も田中さんも、はじめからこうなることを見越してたんだろうか。

だったらイヤだな。社長は兎に角、田中さんが……。

ずっと信じてついてきたのに。辞めさせてさえくれないのか。

僕の決意をなんだと思って! 1人立ち? バイトの僕が?

しばらくは田中さんと距離を置こうかな……。


「見ました。そうですね。直ぐに指示を出してきます……」

「おう。いってら!」


 別室に向かう。気が重い。みんなには、なんて説明しよう……。

ひょっとして、すでにこの企画、じゃなくって至上命令って、

みんなにも送られているんだろうか。


 のぞみとひかりとこだまはドン引きするだろうな。

みずほがどう出るかはよく分からない。

また、バカ呼ばわりされるのは目に浮かぶけど……。

それよりさくら。よくない想像しかできない。


 はぁーっ。気が重い……。


 でも、でも、だ。これは社長の企画。

アイドルと酒池肉林というのも引きとしては悪くない。黒字化するんだろうか。


 いろいろなことが頭を巡るなか、僕は別室のドアを開いた。 

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