嘘偽りなき本心

 運命。それは、人の意思や能力・想いを超えて人に幸・不幸を与える力。

何人も運命には逆らえないし、抗うことさえ許されないものだ。

だがここに、運命に抗い、挑んだ者がある。

リンリンこと鈴木みずほ、その人でーある。


————テーブルがドンッと音を立てる。6杯のお茶が一斉に波立つ。


 思わず、身を仰け反らす。


「で、アンタはどうしてそうなの!」


 憤怒の矛先は、僕ではなくて赤坂さんに向けられていた。


 憤怒。それは、興奮し怒りを激しく露わにする様。

何人も憤怒には逆らえないし、抗えば火傷する。

だがここに、憤怒に抗い、挑んだ者がある。

眠り姫こと赤坂さくら、その人でーある。




「鈴木先輩には関係ないよ。私のプロデューサーだもーん」

「何、言ってるの? アタシのプロデューサーなんだからね!」


 いつから? いつからそうなった?

 赤坂さんは、また曲げた右手人差し指をこめかみに当てる。

思考を重ねる際のクセのようなものだろう。


「うーん。たしかに、どさくさ紛れに既成事実を積み重ねてましたねぇー」

「そんなの、アンタだって使った手口でしょう⁈」


 いつ? いつ、事実が積み重なったんでしょう?

笑い顔の赤坂さん、怒り顔のリンリン。

2人の言い争い、いくらか分があるのは赤坂さん。


「あー、あれ? うーん。言われてみればそう取れなくもないかなぁーっ」

「なにしらばっくれてんのよ。アンタだって最初から計算なんでしょう?」


 計算って、どんな計算? 連立方程式か何かだろうか。

分からないけど、2人の間で火花が散っているのは事実。


「計算はぁ、得意だよ。微分方程式くらいまでなら」

「??? 何よ、それ? 連立方程式のおばけ?」


 微分方程式なんて、僕も知らない……。

リンリンは腐っても幼馴染か、頭脳レベルが同じなのか。


「あっれれーっ。鈴木先輩、微分方程式、知らないんだぁ。簡単だよー」

「知らないわよそんなの! 今は関係ないし! アイドルには必要ないし!」


 リンリンに同感だ。一層大きく火花が散っているのはいただけないが。


 2人に挟まれている石見さんは肩身が狭そうだ。

赤坂さんが半身になって右手で僕の小指を掴んでいるのがいけない。

赤坂さんのそびえ立つような胸が、石見さんの居場所を物理的に狭くしている。

居た堪れず、目を反対側に逸らす。その先にいたのは高橋さん。

ちょうど何かに気付いたようでにっこり笑う。


 微分方程式、解いたんだろうか。


「あのぉーっ、黒鉄鉄矢プロデューサー!」

「はい!」


 思わず答える。


「これでプロデューサーさんは私のでもありますね!」


 転げるような笑い声に、納得がいく。


 あー、そういうことでしたかーっ。

プロデューサー呼びされて応えたら認めたことになる的なやつ。

ネタがバレれば、微分方程式なんか、恐るるに足りない。


 だったら、いい機会だ。ここらではっきりさせておこう!


「みんな、聞いて欲しい!

 僕は、みんなのプロデューサーを引き受けることができない!」


 みんなの反応はまちまち。それまで笑顔の赤坂さんは斜め下を向く。

リンリンはガタガタと震えている。自慢のツインテがゆらゆら。

高橋さんと伊駒さんは目を見開き、石見さんの肩身が狭いは変化なし。


 本当に申し訳ないと思うけど、続ける。


「僕は、鉄道が大好きで、バスや船や飛行機も大好きで!

 グルメや旅、偶然の出会いが大好きなんだ。

 今までバイトのかたわら、そんな大好きを伝える動画を撮ってきた。

 これからは、バイトを辞めて動画配信1本で活動したいと思ってる。

 だから、みんなのプロデューサーを引き受けることができないんです!」


 言ってしまった罪悪感より、言い切った満足感が勝った。

これで後腐れなく、みんなの推し活ができそうだと思った。

ちょっと上からの言い方だったけど、みんなの注目が集まるのを感じた。

だから続けた。


「交通系のチャンネル、はじめは失敗の連続だったんだ。

 再生数が100にも及ばないのだってザラだったんだ。

 50を超えたら、こうやってよろこびを表現してたんだ」


 あのころは両手でやっていたガッツポーズだけど、

今は右手1本で実演した。左手が埋まっているからしかたない。

その分、右手にはグンッと力を込めた。


「収益化してからも、軌道に乗るまではとっても大変で……。

 不安で、心細くって、やるせなくて、気が狂いそうで、しんどかった。

 気になって眠れないことや、食べ物が喉を通らないこともしばしばあって、

 他の人の動画見て嫉妬するし、納得いかないことばかりだった。

 あんな思いはもう、たくさんだ!」


 これが、嘘偽りなき本心。


「そんななか、再生数200に満たない当時の代表作を観て、

 偶然出会った高橋さんや伊駒さん、石見さんは快く出演OKしてくれたんだ。

 その作品が偶然バズった。それからはウソみたいにヒットの連続になった。

 予算も増えた。本当に撮りたい動画が撮れるようになった。

 今の状況を、絶対に逃したくない。手放したくない。もう、泣きたくない」


 言葉とは裏腹に、目頭が熱くなり、1粒・2粒と、涙が流れた。


 事務所の中は不思議と静かだった。固定電話はあるのに1度も鳴らなかった。

多くのアイドルさんの集合時間が迫っているけど、誰も来なかった。

まるで誰かに守られているかのように、外との関わりがなかった。

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