目覚めるあの子は眠り姫

 山手プロでは現在、6つのユニットを編成している。

所属アイドルは、高橋さんたち新人を含めて総勢31人。

年齢の幅は広く、1番上は36歳。業界ではレジェンドと呼ばれている人だ。


 そして1番下が、この4月から高校生になる赤坂さくら。

キャリアでいうとレジェンドに次ぐ10年という古株研究生だ。


 だけど赤坂さんが、あの子が5人目っていうのはあり得ない。

そもそも赤坂さんが活動してるのを今まで1度も見たことがない。

ステージや物販はもちろん、歌やダンスのレッスンはおろか、

歩いているのだって全く見たことがない。

ちゃんと言葉を交わせなかったのは、僕がバイトを辞める上での心残りだ。


 けど、それは叶わない。赤坂さんはだれが呼んだか、山手プロの眠り姫。

社長曰く『寝る子は育つから赤坂だけは寝かせとけ!』とのことだ。

そのおかげか、赤坂さんの発育はいい。すこぶるいい!


 1年ほど前、1度だけ、寝顔を見たことがある。

赤坂さんはガラス張りのローテーブルにうつ伏せで寝ていた。

危ないと思った。起こそうとした。それで声をかけたんだ。

起きなかった。眠り姫は、眠り姫のままだった。


 そのときに魔が差した。ほんのちょっと、寝顔をのぞいてみたくなった。

だから、ほんのちょっとローテーブルの下に潜り込んでみた。

そしたらびっくり! はじめは顔が3つあると思った。


 でも、よく見ると違った。顔は1つだった。

おでこを腕に隠されていたけど、かわいい寝顔だった。

そして残りの2つ……顔だと思ったのは胸だった。大きく育った胸だった。


 1年前当時でもEはあったと思う。成長した今ならF。

あるいは、Gかもしれない! まだ中3なのに、末恐ろしい……。

1度でいいから、眠り姫が活動するところを見てみたいと思っていた。

辞める身としては、心残りではある。




 事務所の隅にあるソファーの腰掛けの上。突き出た小さい握り拳が2つ。

「はぁーっ!」というあくびの声。いつまでも続く、上品だけど長いあくび。


 今まで1度も見たことないけれど、

眠り姫が目覚める瞬間だってことが、直感で分かった。

これで心置きなくバイトを辞めれると思った。


 眠り姫はそのまま立ち上がった。うつろな目を顔ごとこちらに向けた。

首より下の上半身は半身だったから、胸の大きさが際立っていた。

白い制服。セーラー服のスカートの丈はやや短い。


 僕だけじゃない。その場にいた誰もが息を呑んだ。

天使のような笑顔、透き通るような素肌、さらさらと靡く長い黒髪、

あくびだけで伝わる妖精のような声、迫力満点の胸。

眠くないのにこっちまで目をうつろにしてしまう。


 眠り姫はもう1度手を前で組んで背中を丸める。

「うーんっ」と力んだあとで全身の力を抜いて、

まだ少し、胸がゆれているうちに、静かにゆっくりと言った。


「おはようございます、プロデューサーさん。でも赤坂はぁ、Iですよーっ。

 分かりましたか、黒鉄プロデューサー……おや……すみ……な……さい……」


 そのまま電池が切れたみたいに動かない。立ち眠りしている。


 意味は不明だが、はっきりしたことがある。

新ユニットの5人目のメンバーは眠り姫こと赤坂さんだってこと。

5人の中では赤坂さんがビジュアルで圧倒してるっていうこと。

誰もが聞き惚れてしまう声をしてるっていうこと。


 ふと周囲を見渡すと、泡を噴いて卒倒する4人がいた。


「リッ、リンリン。高橋さん。伊駒さんも、石見さんも!」




 しばらくすると、ようやく5人が目覚める。

みんなしてソファーに腰掛ける。


「大丈夫? 起きれる、赤坂さん」

「はぁーっ、1人で起きてられるのは3分が限界です。

 プロデューサーが支えてくれたら、もう少し保ちますが……」


 支えるって?


「どうすればいいのさ?」


 素直に聞く。赤坂さんが一瞬だけにこりと笑う。つられて僕も笑ってしまう。

束の間、赤坂さんは斜め上を見ながら曲げた右手人差し指をこめかみに当てる。


「うーんっキスがいいけど……せめて手を握りたいかなぁ!」


 いや、どっちもハードル高い! 眠りから覚めた最強アイドルは破壊力抜群。

正直、同じ空気を吸ってるって思うだけでキュン死しそう。

生き残ったとしても一斉に睨んでくる4人に撲殺されそう。


 左腕をあごひじで、顔をむくれさせたリンリン。

正面に座っているのに斜に構えて流し目に僕を1度見る。


「じゃあプロデューサー、手、出しなさいよ。聞き手じゃなくていいから」


 言われるがままに左手を差し出すことにする。

切り落とされても文句を言うまいと覚悟するのに、

ちょっとだけ時間を要したのは内緒だ。


「どうぞっ……」


 リンリンが無言で僕の中指を握る。

高橋さんがポンッと手を打ち、人差し指を握る。若干窮屈そうだが笑みがある。

僕もつられそうになるが、リンリンの冷たい視線のおかげでギリギリ耐える。

倣うようにして伊駒さんが親指を握る。薬指は石見さん。


 そして最後が赤坂さん。ふふふぅーんっと長めに鼻を鳴らし、うれしそう。


「運命の小指、ゲットォーッ!」


 たとえこのあとに修羅場が待ち受けていることが明らかでも、

顔をだらしなーくほころぼさずにはいられない。運命ですから……。

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