第10話 この場所に帰るなら
私は化粧もせずに、外に飛び出し自家用船のスターターを押した。
外はスコールが激しく降り注いでいた。
私は、屋島さんの家のガレージに船を停めると、屋島さんを呼び出した。きっとこれが、私の子供時代と別れを告げる最後の出来事になるだろう。
突然の来訪にも屋島さんは、戸惑ってはいなかった。ドアを開ける代わりに、屋島さんがホログラム端末上に現れた。
屋島さんは少しうつむいていたが、すぐに現場で見る、よそ行きの優しく柔らかい笑顔を浮かべた。眉だけが下がっていた。
「……上手く、行かなかったみたいですね」
「そう。あなたのせいで」
「……すいません」最初に話した時みたいに、屋島さんは小さく言った。
「ドアを開けて」
「だめです」
「開けなさい」
「……………」
屋島さんは無言になった。
「開けなさいよ!私のことが大切なら!」
私は叫んだ。ドアは開かれなかった。代わりに、屋島さんはチェロみたいな声でゆっくりと、はっきりと言った。
「……俺は、咲耶の事がすきだ。出来ることならずっと一緒にいたい」
私の心臓が膨らむのを感じた。
「ならどうして」
「俺は
屋島は絞り出すように言った。
「君からチリを奪って、チリから君を奪った。そしていつか俺は、君を必ずまた一人にする。」
「ちがう! あなたのせいじゃない! 私は最初からずっと一人だった! それは私のせいで、私はただ周りに守られてたのを知らなかっただけなの!」
私は彼方とおくに、叫んだ。屋島さんのいる場所まで届くように。
「そうやっていつも屋島さんがわたしにあげてばっかりで……。チリもあなたも、バカにしないでよ! 私はあなたの様なヒトを! この世界の中で、ぜったいに諦めない、希望を一緒に見れる人をずっと探してた──だからちゃんと、ちゃんと私からも返させてよ!」
「俺はなにも返してもらわなくても構わないんです。俺はもう貰って──」
屋島が言葉を発しようとした瞬間、咲耶はホログラムの屋島をすり抜けてドアノブに手をかけた。
ドアノブをひねって力任せに押すと、あっさりとドアが開いた。
鍵は最初からかかってなどいなかった。私は前にバランスを崩して、ちょうど屋島さんに体を預ける形になった。
私は「ばか」とだけ言った。屋島の肩を抱き、少し背伸びをして口づけをした。
そしてゆっくりと唇を離して、撫でるような声で伝えた。
「それでもわたしが……あなたと居たいのよ。」
屋島さんは、私の左手を取り、そっと自分の頬に手のひらを当てた。
◇ ◇ ◇
2532年、人類には持続的な成長が大切だと言われている。ほとんどの人が自分で子供を育てない中で、母と離れて育てられた私も必要とされてこの世に生まれて来たんだと思う。機械たちが活動できない屋外で働く私たちの職場は、今日も摂氏50度を超えていた。
私は夕焼けが好きだった。地球の暑さにヒトは適応できたが、ロボットは昔のまま。日が沈めば私たちの友だちが活躍の準備をはじめ、地表はヒトと機械が混ざり合い賑やかになる。
夕焼けのインクがビル群に溶け、地表に元気を与えているように感じられた。
穂出は自分の仕事を終えると、クレーンで事務所まで降り、蜘蛛のようなロボットに喋りかけた。
「今日も1日、お仕事頑張ってね。」
ロボットから返事はなかったが、代わりにタップダンスを踊るように脚を盛んに動かし、ビルの積層をはじめた。
穂出は満足気に頷くと、自家用船のスターターボタンを押した。
自家用船は、まっすぐに家の方へ駆けた。
そこでは大好きな、私の父が待っている。
(了)
摂氏50度の希望 市原碧人 @aoto_1hara
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