第7話 5D・ディスプレイ

 私はその日、結局結論が出せなかった。屋島さんに送られて、自家用船(主に一人乗りの移動用機械のうち、ヒトが風雨を避けられタイヤのないものを指す)のスターターボタンを押した。


 あちこちに人工物の光が灯る碧色あおいろの海の道にハの字に白い飛沫を飛ばしながら、自家用船は私の家へ向かった。普段なら運転は自動モードにし、外など見向きもせずに端末に意識を接続する所だけれど、今日の私は不思議と外界の光景を眺めていたかった。

 海面近くのビルを支えるための、海の下まで打たれた杭の波打った凹凸はその白色もあいまって古代の神殿を思わせた。

 柱上のビルに輝く人工物の光たちは本来の空を埋め尽くし、夜の雨の中で散乱した。

 それはまるで彼ら彼女たちが神様の代わりに夜を支配する事をギラギラと主張しているかのようだった。窓から南の方を眺めると、私たちが数時間前まで居たビルの建築足場では建設ロボットたちが蜘蛛のようにまとわりついていた。

 蜘蛛たちはお尻からオブジェクトの糸を放ち、繭を作るようにビルを積層していた。

 その姿は、私たちがビルの足場を建てている無機質な光景よりも、よっぽど生き物らしい営みであるように思えたのだった。


 ビル群を抜けた先には平野が広がっている。雨は通り過ぎたようだ。私の家は、多くの子どもたちと同じく地上にあてがわれている。自家用船が静かに停止した。そのままガレージ内の家のドアを通り「ママ」に「ただいま」と言う。「家族」たちが「おかえりなさい!今日もお疲れ様!」と返してくれた。私は寝るまでの猶予を確認したが、ほとんど時間になっていた。

「ママ、私今日夜更かしするから。」

「ママ」と呼ばれた家庭用中枢ロボットは、「わかったわ、でも1時間半だけよ。それ以上は健康に悪いから」と返事をしてくれた。


 1時間半もあれば十分だろう。私はメイクと日焼け止めを落として再度保湿を塗り直し部屋着に着替えると、すぐに落花生をモチーフにしたヒト一人が入れるカプセルの蓋を開けた。5D・ディスプレイを開くためだ。

 カプセルの中は小指の先ほどの隙間で三重にかけられた、黒い網のベッドがある。私は中に入ると目を閉じる。同期用の触手テンタクルが私の首から上に伸び、先端が触れると自動的に端末に意識が接続される。

 羊水に包まれた様な温かい感覚が全身を通り過ぎた後、私の認識する世界が真っ白に変わった。私は体の感覚を感じない世界で、仮想世界の接続先を選択した。


 世の中では自分の想像力で自由に物語を生み出すフルスクラッチタイプのゲームが流行っていて、子供・大人に限らずヒトのアーティストたちが表現を競っている。しかし私はやれる事が限られているレガシーなタイプのゲームが好きだった。

 マニアックだと言われることも多いが、人がまだ機械と仲良くなく、地上の生命を制する前の時代が好きだった。

 私は千年前の(設定の)時代を楽しんでいた。私はそこではまだ十代半ばの少女であったが、一人の大人として扱われていた。年齢をかなり若くしてあるのは、「昔の人は、今の半分の時間で大人として扱われた」と講義で習ったからだ。


 サクヤはこのゲームで村のために自分で鹿を狩り、毛皮を繕い服にした。秋には魚を採り、時に略奪者の印を持つ戦士によって家を失い凍えた。

 ゲームで死を迎え転生する時の冷たい感覚は何度味わっても暗く嫌なものだけれど、ゲームの中での私は現実の人間が持っている役割よりもずっと大きく世界と他者に関わる事ができた。この世界で私の思う事は叶えられるよう頑張れる。そして前向きな気持ちになれる気がした。


 「おばあちゃん、戻ったよ」サクヤはおばあちゃん(このゲームの家族は基本的にインベントリ状況をプレイヤーに教えたり、収穫物を処理すると言った役割を持つNPCノン・プレイヤー・キャラクターだ)に声をかけた。

 「おかえり、サクヤ。今日も日の神様のご加護がありますよう。天気がいいから、狩りにはちょうどいいよ。」囲炉裏いろりから体をサクヤの方へ向けてそう言った。

 「少なくなってきたものはなにかある?」

 「薪割りが終わってないのと、それから鹿かねえ」

 「わかったわ。じゃあ今日は鹿狩りにいこっかな。薪割りも少し進めておくね。」

 「いつもありがとうね」おばあちゃんは、元の通り囲炉裏へ向かった後、立ち上がり鍋を取りに行った。


 東の窓を見ると、建物を避けるよう朝の晴れの日差しが室内に入り込んでいた。他にも何軒かカヤとササで出来た、素朴さと重厚さを感じさせるサクヤの家と同じ形式の家があり、村を形成していた。ここはプレイヤーの拠点となっている。

 しかし──「今は誰も居ないのかな」

珍しく、誰とも時間が合わなかったのだろうか。村はNPCの行っている料理の音以外は聞こえず、他にプレイヤーはいないようだ。私は一旦世界から離脱しようかと逡巡した。


 サクヤはこのゲームの中の、決して今の日本では見られないだろう、鈍色の雲から降りてくるふわふわの粉雪が好きだった。それと同じくらい、この世界の太陽が好きだった。雲の間から覗く太陽は、ほとんど白と呼んでいいふっくらとした暖かいものだった。それは一人夜に暖を取る薪の火と同じぐらいに、サクヤに生を感じさせたからだ。

 サクヤは研ぎ石を棚から出し、ナタを研ぎ始めた。まずは薪割りをしよう、と。


 ゲーム内時間は昼前。サクヤは小屋の中で薪集めの為のナタを研いでいた。しかし、小屋の中のサクヤは太陽を仰ぐことはなく、代わりに自らの道具から目を話すことなく研ぎ続けた。囲炉裏ではおばあちゃんが汁物を作ってくれている。

 おばあちゃんはサクヤに声をかけたりはしない。殆ど無音の中で、ナタを研ぐ音がシュッ、シュッ、と正確なリズムを刻んでいた。

 それは清らかな祈りの様な時間だった。


 いっときの後サクヤは手を止め、ひとりごちた。

「……よし、これで道具も3日分はだいじょうぶ。」

 研ぎ石を包み、手入れ道具の棚へしまった。包みはどれも角がしっかりと作られており、隙間なく並べられていた。

おばあちゃんの作る料理を食べ、手を合わせて「ごちそうさま」と神様に感謝する。ナタとを持って外に出ると、森の落ち葉の代わりに雪に覆われた地面、そして雪を乗せた裸の木々が、太陽の反射で輝いていた。


 サクヤは早速薪割りを始めた。手慣れた動きであっという間に薪割りを終わらせると、薪を空いている乾燥棚へと入れた。今日は時間が短い。のんびりしている暇がない。

 次いで弓矢と短刀を持ち狩りへ出る。装備を整え、東の神に祈り、南から出て後ろは振り向かない。この村に住むもののルーチンだ。これを決めたのが誰なのか、サクヤは知らなかった。ただしこれを守りつづけているのは、狩りへの出発時、すぐに異常に対応できるようにした知恵なんだと思う。振り向いたならばすぐに駆けつけられるよう。


 私たちの集落のある場所へわざわざ狩られにやってくる鹿は居ないが、鹿も冬は暖かい場所と、餌のある傾斜地を行き来する。私は森の方へ歩みを進め、東へ。まだ新しい獲物の足跡を見つけると、その後をそっと追った。

 この世界は基本的に狩猟世界を楽しむものだが、その中で略奪を生業にしているプレイヤーも存在する。略奪が露呈すると、それを示す印が付くペナルティがありNPCからもその様に認識される一方で、一定時間犯人とバレなければ印がつくことはない。

 そのため略奪者は犯行を隠しやすいペアで行動することが多く、同様に私たちの様な(少なくとも現世では)善良なプレイヤーもペア以上で行動するのがセオリーとされている。


 「では私がなぜ一人なのかというと……。」それは接続時間が遅すぎるのも悪かったが、単純に今は特定の相手が居ないからである。相手を探すよう申請しているのにマッチング相手が居ないのだ。


 だから略奪者に狙われないよう質素な生活をしているし、たしかに屋島さんの言う通り後3ヶ月でパートナーを探すのも大切なことなんだけど、これはこれでシンプルでいいゲームの楽しみ方なのよね。わかる?


 一体私は誰に言い訳してるんだか。と心のなかでツッコミを入れながら歩き続けた。そうして二十分が経っただろうか。足跡は、丘上のヒト二人分ほどが隠れられそうな岩陰へ続いていた。丘を超えた先には海がある。鹿が戻ってくるのを待つべきかとも考えたが、岩陰には今も生き物が居そうな気配がある。


 サクヤは矢を構え、狩人として集中した。

 鹿の角が岩陰から見えた。5秒後にはその体に矢を貫いてみせられるだろう。


 ──ヒュッ。

 獲物の隠れているだろう岩陰の、更に向こう側から矢が飛んできて、獲物は仕留められたのだった。


 サクヤの体は強張った。

 多くの場合、略奪者はペア以上で行動する。村には他のプレイヤーは居なかった。


 つまり──


 振り返ったその瞬間、サクヤの後ろには大きな斧を振りかざした男が居た。更に体をひねり、真後ろへ蹴りだす。一撃目は避けられたがそのまま倒れ込んだ。


 直後、男はサクヤの頭を割った。かのように思えたが、斧を持った男は村の服を来た男に横から蹴られ吹っ飛ばされていた。分厚い背中だった。ゲームでは見たことのないプレイヤーだった。

「逃げろ! こいつら全員、印がついてる!」

 言葉に弾き飛ばされるように走り出す。大きな音がして振り向くと、襲撃者の斧が宙を舞うのが見えた。やった……! けれども、左の射手が村のプレイヤーを見て弓を構えようとしているのが視界に入った。

「私も!」

 サクヤが矢を番え襲撃者の射手へ放った。矢がまっすぐに腕に刺さったのを確認した。襲撃者は倒れた。それを目で追って確認している時、右後ろから拳大のどす黒い痛みの塊を打ち込まれた様な激痛が走る。自分の体を矢が貫いていた。

 もう一人いたの──どこから──思考を走らせようとしたが、まもなく世界との意識の繋がりが切れた。


 体が冷えていく感覚に包まれ、無気力感が私を襲う。私はすぐにそれまで居た世界との接続を遮断し、現実へ戻った。カプセルから出ると、その場で五回小さいジャンプをした。

 ──あの男の人は、無事だったのだろうか。私を助けに来てくれた──

 部屋の温度計は、二十六度を指していた。

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