ブルーイーグルという人物 (2)

 ケガで動けない期間というのは一番もどかしい。リディアは連日の休日に初めは降ってわいた休みだと堪能する気持ちだったが、数日たった今では身体を動かしたくて仕方なくなっていた。


「リディアさま!」


 ドアを叩く音がして、切羽詰まった声がする。リディアは本を閉じて、お気に入りの窓辺の肘掛椅子から身体を起こした。ドアを開けるとそこには衛兵の一人が立っていた。


「何の御用でしょう?」


「国王陛下が……お怒りになられて……保守派と王太子様を…………」全速力で走ってきたのだろう。衛兵は息切れしていて、途切れ途切れに話始めた。「……処刑してやると」


「連れて行って」


 リディアは速足で歩き始めた。走り出したい気持ちだが、ケガが治りきっていない身では激しい運動は厳禁。それに、この衛兵からもう少し情報を聞き出したい。


「会議で……詳しいことは参加していないのでわからないんですけど……意見の衝突があったみたいで……陛下の気を損ねられたそうで……その場で切り殺しそうな勢いでしたので、急進派が踏みとどまっている間にリディアさまを呼んで来いと言われました」


「わかったわ。ありがとう」


 衛兵は会議室の外にいたのだろう。それで、誰かが収拾がつかなくなった時点でリディアを呼ぶように命じたか。激高した王がまともに取り合う相手など、リディア以外にいない。療養中でよかったことが一つでもあったな。リディアはそう心の中で思った。


 会議室までの道のりは幸いそこまで遠くはない。とはいっても、全速力で駆けてくればそれなりに疲れるだろう。リディアは会議室の前で衛兵に礼を言うと、一呼吸おいて扉を開いた。


 その先は、かなりの修羅場だった。椅子はそこらに乱れていて、倒れているものもあるし、人々はみな立ち上がっている。そこかしこから、怒声や罵声も聞こえてくるのだから議員の品性も疑うといったものだ。


「陛下、これは何の騒ぎですか?」


 会議の部外者であるリディアの入室を咎めるものはどこにもいなかった。国王のことを止めてくれるなら万々歳、そもそももう議論というには理性を失いすぎている。


「リディアか」


王がこちらを向く。その目は怒りに燃えていて、興奮していることは明らかだった。


「こいつらがあまりにも意見を曲げないのでな。挙句の果てに、暴言を吐きよったから不敬罪と反逆の兆しで処刑してやろうと思っている。おまえが出る必要はないぞ」


「いいえ。ありますわ」


リディアは衛兵に拘束されかけている保守派と王太子を見やった。


「彼らを一斉に処刑するなど、あまりにもです。それも、明確な反逆の計画書や指示書が見つかったわけでもないのに。一時の怒りに支配されてはのちに後悔します。一度、取り消してください。そして、何があったのか説明してくれませんか? わたしから兄や旧知の人間をむやみに奪わないでくださいませ」


 リディアにとって、保守派は思想の面で言うと敵である。それに、兄に情などない。けれど、処刑を思いとどまらせるためならば、それがあるような言い回しだってする。


「いいだろう。いったんは取り消そう」


「では、陛下は何にそんなにお怒りに?」そして、あからさまにほっとした表情を見せたが、それでもまだ不服そうな保守派の人間たちにも身体を向けた。「あなたたちの言い分も聞かせてくださいね」


「新しい法案に対する議論だ。貴族への課税額を引き上げるという」


「陛下。いくら身内とはいえ部外者に話されるのはいかがなものかと」


 急進派の一人が困ったように言った。けれど、それを国王は手を振って退ける。ほかに、反論するものはいなかった。


「それに保守派の方々が反対されたのですね」


「ああ。貴族からこれ以上に税金を取るなど断固反対だと。貴族の特権を守るべきだそうだ」


「そうですか」


「だが、課税額の引き上げといっても決して不可能な額ではない。むしろ、収入のうちの割合でいうならば、非特権階級よりも少ないくらいだ」


「けれど、大金です。税策に困っているわけではないでしょう? それに、陛下は国庫から王族のために引き出せる額も上限を下げようとしているのですよ。必要もないのに、どうしてですか?」


 王太子が衛兵を振り払って前に出てきた。兄は、国王の横に立っているリディアを睨みつけてくる。おおかた、この状況が気に入らないのだろう。他の保守派も同じだろうが、そこで意見を言えるほどの勇気はない。


「今は、財政的に落ち着いているかもしれない。けれど、決して国庫には余裕があるわけではないし、もっと手を回したいところはたくさんある。現状、主要道以外の道の修繕や建物の修繕、福祉などでの国民への税金の還元などには手が回っていないのだから」


「それなら、一般庶民の税率を引き上げればいいじゃないですか。貴族の特権は守られるべきです」


 リディアは父がキレたわけだと思った。これが繰り返しで平行線をたどっていたら、それは誰にとってもストレスだろう。特に、伝えたいことの本質を見てくれない人たちの前では。ただでさえ忍耐のない父では、極端な行動に出ようとするのも見て取れる。


「私ははっきりと言っているはずだ。国民の生活を苦しめるための策ではない。助けるためだと。それに、何も生活が立ち行かなくなるようなものではないのだ」


「ですが、我々は反対です。支配する側がなぜ、我慢を強いられるのですか?」


 兄の言い分に、リディアは頭を抱えたくなった。支配者がその思考でいていいわけがない。それをわからないから、父がうんざりしているのだ。


「兄上は、我慢というものを何だと思われるのですか? 貴族が使っている空調や空気清浄、その他の電化製品は一般庶民の手に届かない代物です。彼らは快適な化学繊維や上等な絹の衣類など手に届きませんし、健康的な食生活も危うい。お父さまがおっしゃっているのは、それと同じ生活をしろということではありませんよ。たぶん、今の支出を見直して無駄をなくしたら、対応できる程度の引き上げでしょう」


「おまえには聞いていない」


 兄の口調にはリディアへの侮蔑が込められている。それに気がつかない人間はここにはいない。


「だが、リディアの言うことは正しい。私が言いたいことだ。さらに言えば、私は貴族が享受している当たり前の部分を民も享受できるようにしたいだけだ。この世界、空調と空気清浄があるだけで、寿命が変わる」


「なぜ、リディアの話ばかり聞くのですか?」


兄が父に食って掛かった。この親子は、どちらも感情をコントロールできないという点でとても似ている。


「この娘の母親は、ろくでなしですよ。母の死の上に成りあがった女だ。そんな妾腹の人間をなぜ、大切にするのです?」


 会議室がさっと静まり返った。絶対零度の冷たさだ。リディアは自分の中にこみあげてくる怒りを抑えるのに必死だったし、国王に関しては怒りに震えている。保守派の面々は、今の失言のとばっちりがくるのを恐れて青ざめていた。


「リリーは、正当な王妃だった。聡明で、ろくでなしとは程遠い。リディアは間違いなく、私の嫡子であるし、今後二度とその侮辱的な言葉は口にしないことだな。次に言った場合は追放や死を覚悟しろ」


「私は王太子ですよ」


「おまえだけが王家の子どもではない」


 兄の憎悪の目がリディアに向く。けれど、こちらだってかまってはいられなかった。大切な母を、ひどい言葉で侮辱されたのだ。


「地下牢へ連れていけ。一晩そこで過ごして、頭を冷やすんだな」


 王太子が衛兵たちに引っ立てられていく。会議はもう、続けられるわけがないので、日を改めてということになった。保守派は無罪放免だ。


 リディアは父に挨拶をすると、自室へと引き上げた。胸には兄への怒りと彼が即位した先の世の中への憂いがあった。

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