王都にやってきた噂、不吉な足音 (3)

 夜の闇の中。いつも通り、真っ黒い装束に白い仮面をつけてあたりを窺う。


「このあたりだっけ?」


「そう。偵察してたのによると、怪しい動きがあったとか」


 耳の中からネルの声が返ってきた。今夜の指示役だ。


「そっちが対処してよって感じじゃない? 偵察班だって一通りの訓練を受けてるっていうのにね」


「あくまでも覆面だからね。素性が割れないのも大事なことだよ」


「知ってるって」


 笑い声が返ってきた。ネルも、こちらが軽口をたたいているだけだとわかっているのだろう。


「いた。男が三人。女性を囲んでる。そのまま突入して良い?」


「いいよ。処理班はもう少ししないと到着しないから、拘束までやってもらうかも」


「えー、めんどう」


「仕方ないって。できるだけ早く向かうってさ」


「わかったけど」


「じゃあ行ってきます」


 リディアはネルに声をかけると、彼らの元に向かった。


「助けて!」


 女性の悲鳴が聞こえる。リディアはそっと彼らの後ろに立つと、一人目の首のあたりを強打して気絶させた。残りの二人が同時に振り向く。


「ホワイトリリーだな」


 男の一人が言うのと、もう一人が笛を吹くのは同時だった。


「罠だわ」


 最悪だ。舌打ちをして、ネルに告げる。


「処理班に急ぐように連絡する。それまで一人で対応できる?」


「あー、増えてるんだけど。十人くらいいるよ?」


 あたりをさっと見回すと、屈強な男たちばかりがリディアを囲んでいる。幸い、銃は持っていないようだ。


「がんばって。GPSはあるのにカメラがないのがつらいね。援護できない」


 ネルの声も、いつもよりは切羽詰まっていた。それでも、口調は軽いが。


「がんばります」


 ため息をついて、様子を見た。女性も消えている。彼女もそちらの仲間だったというわけだ。脅されていたわけじゃないといいが。


「おまえのせいで、おれの弟はいなくなったんだ」


「おまえが組織をつぶしたせいで、おれは生活ができなくなった」


 男たちがじわじわと近づいてくる。


「つまり、あなたたちはわたしに恨みを持っているのね?」


 リディアは平静を装って聞いた。内心はそこまで余裕はない。けれど、それを悟られるのも癪だ。


「そうだよ。随分派手にやってるじゃないか。ファントムは昔から迷惑な組織だったが、おまえは特に迷惑なんだよ」


 これはまずいな。リディアはもう一度、舌打ちをした。十人のうちの半数ほどがナイフなどの刃物を取り出していた。銃じゃないにしろ、タチが悪い。こんなしっかりとしたナイフを、彼らみたいな組織に所属していない寄せ集めらしき人間が持っていると思わなかった。


「死ね!」


 男たちが襲い掛かってくる。リディアは自分もナイフを出して応戦することにした。人に傷をつけることはあまり気は進まないが、そうでもしないと身の危険を感じる。銃はあいにく持ち歩いていない。


 いくらリディアが強くても、十対一では多勢に無勢だ。攻撃を避けたり、相手を蹴り飛ばしたりしていくが、一向に数が減らない。それどころか、じわじわと壁際に追い詰められていよいよヤバいというほどだった。


「ねえ! 応援はまだ!?」


 ネルに向かって叫ぶ。


「ごめん! 全力で急がせてはいる」


声は返ってくるが、敵は減らない。男たちを振り払っている間に、耳からイヤホンが外れる。


「これか」


 通信機器に気づいていた一人が、イヤホンを踏みつけて壊した。リディアはそいつを蹴り上げる。男は声をあげて地面にうずくまった。


「仲間が来る頃にはおまえはもうこの世にいないだろうよ」


 男の一人がリディアに向かってナイフを振り上げた。寸でのところでかわしたが、避けきれずに腕には当たってしまった。鋭い痛みが走って、ナイフを握る手に力が入らなくなる。


 どうしよう。ここまでのピンチは初めてだ。リディアはあたりを見回した。けれど、このスラム街では騒ぎを聞いたら人は窓を閉ざして戸に鍵をかける。助けなど見込めない。


 闇の中で、男が一人倒れる音がした。はっとしてそちらを見やる。それは敵も同じで、応援が来たのかと焦ったようだった。


 リディアはその相手を見つめた。濃紺の上下に身を包んだ人物は、ファントムの身内でないことは確かだ。つまり、応援部隊ではない。


「大勢で一人を取り囲むとは卑怯な」


 助けに入ってくれた人物は、どうやら青年のようだった。刃物を持っている彼の足元にいる男はすでに事切れているようだ。


「おまえも死にたいのか」


 敵がそちらにも向かう。誰だかわからないが、今のところは味方だろう。リディアはとりあえず、目の前の危機を乗り越えることに集中することにした。


 十人弱対二人ではやはり多勢に無勢だが、一人で対処するよりは圧倒的に楽だった。そして、この助っ人は殺しもいとわないらしい。リディアが相手をするよりもずっと早く、人が倒れていく。


 応援部隊が付くよりも前に、ことは決着した。


「きみ、ケガしてるだろ。ちょっと来い」


 青年はリディアの腕を示した。


「仲間が来るからいいわ」


 確かに血まみれで痛いが、応援部隊を待てばいい話。助けてくれたことに感謝はするが、得体のしれない人物についていきたくはない。通信機器も壊れてしまっているのに。


「その仲間は応急処置の道具を?」


「持っていなくても構わないでしょう。そうね、助けてくれたことには礼を言うわ」


「おれの避難所の一つが近くにある。いいから来い」


 青年は強引にリディアの腕を取った。今、抵抗するのは得策ではないだろう。この人物、相当強い。それに敵意はなさそうだ。


「ちょっと待って」


 リディアはケガをしたから手当てをしてくる、夜明けには戻るといった趣旨の伝言をそこに残すことにした。これでもファントムで一、二の実力者だ。無事と伝言さえ残したなら過度な心配はされないだろう。


 青年の避難所というのは、スラム街の廃屋の一つだった。どの建物も廃屋に近い見た目をしている中で、本当に誰も住んでいないやつ。それにしては状態は悪くなく、雨風をしのげそうだしある程度の生活物資もあるようだ。


「これを使え」


「ありがとう」


 礼を言って消毒液と包帯を受け取る。消毒液なんてそれなりに値を張るものを彼が持っているとは。しかし、リディアたちと似たようなことをしている人間なら、ケガのために用意しておくのは不思議ではない。


「あなた、何者なの?」


 リディアは問うた。ここら辺、いや国中でも自警団まがいのことをしている人は少ない。それが王都ともなれば、協力体制はともかく互いに顔くらい知っているのが常だった。こんな青年の話は聞いたことがない。


「きみこそ、あんな大勢に囲まれてどんなことをしたんだかね」


 青年は少しバカにしたように鼻でわらうと、リディアの手から包帯を奪い取った。てこずっていたのを見かねて腕を縛る手伝いをしてくれるようだった。言葉と行動が正反対だ。


「ちょっと派手にやりすぎたみたい。あれは想定外ね」


「組織なんだろう。それなのに一人で行動してるのか?」


「いろいろと聞くのね」リディアは息をついた。これくらいはいいだろうと答えてやることにする。「わたしの役目は人さらいに誘拐されそうになった女性や、暴漢に襲われそうになった女性を助けることなの。怖い思いをした人のケアも含めているから、女性が一人で対応することになっているのよ」


「無茶な」


「訓練を積めば無茶ではないわ」


 GPSの話や通信機器のことは言わなかった。むろん、応援部隊が来るという確信めいた言い方から何らかの方法があることには気がついていると思うが。それを聞くほど野暮でもないらしい。


「今日はどうなんだ?」


「罠だと気づけなかったこちらのミス。これからは油断しない」


「そうかよ」


 彼が唇を尖らせる。そのしぐさは意外に幼く、思ったほど年齢は違わないのかもしれないと思わされた。


「それで、あなたは何者なの?」


「まだ気になる?」


 月明かりに照らされた顔は思いのほか美しい。いたずらっぽい笑みが似合っていた。。


「気になるわ。わたしたちが知らない自警団なら挨拶くらいはしておきたいし」


「あいにく、おれは一匹狼でね。きみらみたいにシステムがあるわけじゃない」


「そう。じゃあ、名前は?」


「聞いたってことはきみも名乗るか? きみ、質問をする割には仮面も取らないし失礼だよ。助けてあげたのに」


「助けてくれたことには感謝するわ」一息ついて名乗る。「ホワイトリリーよ。そうやって呼ばれてる」


「きみがあの」


「知ってるのね」


「聞いたことくらいはある。そりゃあ恨みも買うだろうな」


 彼の言葉に思わず自嘲の笑みを浮かべてしまう。どうやら、派手にやりすぎているかもしれない。伯父に報告しておかなければ。王女として、殺されることや正体に気づかれることはどうしても避けたい。


「それで、あなたは?」


「素顔を見せてくれたら教えると言ったらどうする?」


「要求が過ぎるわ」


「じゃあ答えない。きみ、知りたいんじゃないのか?」


「ウザいわね。まあ、いいわよ」


 王女の素顔は宮廷の外に知られていない。面識がないということは、リディアの正体を知らないということだろう。理性の面では気が進まないが、そこまで悪い気はしない。彼との会話のテンポが好きだというのが主な理由だろう。


 仮面を外す。白いそれはつけていてストレスはないが、それでも外すと目元が軽くなった気がした。


「まだ若いじゃないか。こんな美人にやられているとは、あいつらも思わないだろうね」


「お世辞だと思ってありがたくもらっておくわ。でも、若いっていったってあなたも同じでしょう」


「それはそうかもしれないな」


「それで、名前を」


 青年はにやりと笑った。


「ブルーイーグル。最近はそうやって呼ばれてる」


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