王都にやってきた噂、不吉な足音 (2)

 訓練のために屋敷に向かう道すがら、リディアはため息をついた。宮殿の中は電気が通っているので明るいが、それでも鬱蒼とした空気はなくならない。前日の夜更かしが祟って寝坊してしまったというのに、これでは気分がもっと落ちる。この煙ったい空は悲しくなるではないか。とはいっても、リディアは晴天の青い空など色褪せた写真でしか見たことがない。世の中の人間は空が昔は青かったことすら知らないだろう。


「これは、これは。可愛い妹ではないか」


 うざいのが来た。リディアは作り物の笑みを顔に張り付けた。内心とは真逆だ。


「おはようございます、お兄様」


「朝からどちらへお出かけかな。王女ともあろう人間がそんな軽装で」


 嫌な笑みだ。胸糞が悪い。にやにやとこちらを見るその目には侮蔑が浮かんでいて、こちらも笑みを崩したくなる。


「伯父にご挨拶をと思いまして。彼、王都の近郊の館にいらっしゃいますから。軽装なのは、あまりに華美な服装で王都の街を抜けるのは不安だからですわ」


「ああ、あの伯爵か。たいした身分でないから、宮廷に居所を持てないのだろう。おまえも同じ卑しい血を引いているというのに、わが妹とはいいご身分だよな」


「伯父は代々続くれっきとした宮廷人の家柄ですわ。それに、わたしはお兄様と同じく国王陛下の血を引いております」


 毎度毎度の繰り返しのような問答に、リディアはあきれた気持ちで応じる。


「片方が王族と両方が王族では格が違う」


 兄の吐き捨てるような口ぶりには、恨みが込められている。


「身分上は、同じです。では、叔父との約束がありますので失礼します」


 リディアはこれ以上、関わられてはたまらないとその場を去った。兄は苦手だ。兄もリディアが苦手だろう。いや、それ以上に憎まれている気がする。


 館に向かう車の中で、思わずため息を吐く。窓の外の景色は灰色で、代り映えがしない。みすぼらしい服を着て日常生活に勤しむ人々は、恨めしそうに綺麗に手入れされた車を眺めている。リディアは毎日のその光景にぼんやりと、だがしかしそこに、いつも以上にこの世界の絶望の色を見出していた。


朝から嫌なものに会った。全くもってツイてない日だ。寝坊はするわ、兄には出会うわ。王太子である異母兄はリディアの一番嫌いな人物だ。というより、向こうが一等自分のことを嫌っているから、好きになれないのだろう。自分が生まれた時から向けられていた憎悪のせいで、彼を兄と慕えたことは一度もない。


「困りましたね、これは」


 運転手の声で現実に引き戻される。


「これは……」


 リディアは道路にまであふれかえっている大衆に眉をひそめた。いつもの活気のない街と生気のない顔が嘘のように、あたりは騒がしく人々は興奮している。その色が異様で、多少の恐怖を感じるほどだ。


「彼ら、何か拾っているわね。競い合って集めているみたい」


「ええ。これじゃ通れませんよ。こちらを見やる気配もない」


 リディアは運転手に声をかけて、車の外に降りた。大衆の中に紛れていく。近づくと、彼らが群がっているのは宝石やら金貨やら地面にばらまかれている高価な品であることがわかった。


「ねえ、これってどうしたの?」


 リディアは近くにいた女に声をかけた。


「知らないよ。でも、みんなが言うにはわたしらのためにバラまいた人がいるんだとか」


「そう。ありがとう」


「あんた、警察関係じゃないだろうね。これは捨てられてるものを拾ってるだけだ。あたしゃなんも悪いことはしちゃいない」


「警察じゃないから安心して。車が通れないから聞いただけ」


 リディアが車を指さすと、女は金持ちが、とつぶやいただけで興味を失ったように金貨拾いに戻っていった。


「これっていつからあるの?」


 もう少し奥に行って今度は男に聞いてみる。


「朝、紙がバラまかれてたんだよ。騒ぎになってただろ。ここにいいものがあるって」


「そうね。ちなみに誰がやったとかは?」


「ブルーイーグルさ。噂にはなってたけど、王都に来たのは初めてじゃないかな」


 別の若い男が割り込んでくる。


「じゃあ、どっかの貴族とかのものってこと?」


「もうおれらのものさ。腐ったやつらだよな。贅沢ばっかしておれらのことは何も考えない。ブルーイーグルは警察や軍にとっちゃ悪者だろうが、おれらにとってのヒーローだ」


「そう。ありがとう」


 リディアは人だかりを抜けて車に戻った。運転手に何があったのか説明する。


「迂回しましょう。これじゃ通れないわ」


「そうですね。にしても、ブルーイーグルとは」


「ファントムでも噂になってたわね。ロビンフッド気取りで役人の家に忍び込んで窃盗や殺人を働いているとか」


「聞きましたよ。でも、うちの害にはならないから放っておいていたとか」


「郊外での話で本部の管轄外だったしね、今までは」


「それがこの騒ぎですか」


 リディアと彼はそろってため息をついた。本気で、今日はツイていない。


 本部に着くと、リディアはまっすぐに司令部へと向かった。中には伯父とネル、その他幹部が数名いる。


「遅くなりました」


「寝坊だろう。通信で言っていたな。疲れがたたったか」


「それもありますけど、道中でちょっといろいろありまして」


「何が?」


「ブルーイーグルが道に金品をバラまいたようで。車が通れないような人だかりでした」


 幹部の顔が一斉に険しくなった。


「王都に?」


「ええ。人に聞きましたが、朝方紙が街中にまかれていて、それで気づいて騒ぎになったそうです。おそらく、夜のうちにどこかの家に盗みに入って奪った代物でしょう。家主は死んでいるかもしれませんね」


「巡回の当番の人間が何かをつかんでいるかもしれないな。警察の協力者にも、被害の話を聞いてみよう。あいつら、金持ちのためなら動くからな」


 伯父と幹部が計画を立て始めた。


「やつのことを止めますか?」


「目的が分からない限りどちらとも言えない。今のところ、関わらないというのが妥当だろうな。ファントムの役目は、弱者を守ること。貴族や役人など警察が対応してくれるものはノータッチだ」


 伯父の答えはリディアの予想通りだった。これは警察がやることだ。けれど、警戒は怠るなということだろう。表向き、伯父もリディアも貴族。ブルーイーグルの標的の一人だ。リディアなんて、貴族どころか王女なのだから。


 朝からハプニングはあれど、リディアがすることが特に変わるわけではない。そもそも、そういった計画を立てるのは自分の仕事ではないのだから。

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