王都にやってきた噂、不吉な足音 (1)

「リディアさま、お目覚めですか?」


 扉の外の声で目が覚める。


「用件は?」


 リディアは寝起きでかすれた声を誤魔化すように大きな声で答えた。


「お目覚めでしたら朝食の誘いを、と国王陛下からの伝言をお預かりいたしました」


「今、目が覚めたところです。支度をするので少し時間がかかりますが、ぜひご一緒したいです、と伝えてちょうだい。ありがとう」


「かしこまりました」


 メイドの立ち去る音が聞こえてから、リディアは立ち上がった。寝不足にふらりとするが、すぐに支度にとりかかる。


 あのメイド、声からして随分若いはずだ。気の毒に。洗顔や何やらを済ませながら、リディアは思う。父の機嫌を損ねることは、すなわち自らの立場を危うくすること。最近は命の危険まではなくなってきたにせよ、牢獄行きは十分の可能性がある。


 先ほどの伝言、と称した命令だって同じ。リディアが断っていれば、父はいい気分がしない。その被害を受けるのはあのメイドだろう。牢獄から救い出すのにも、書類手続きなど面倒なものがたくさんある。父に説教して取り消させるというのが一番手っ取り早いが。どちらにせよ、メイドが気の毒な思いをすることは申し訳ない。


「おはようございます」


 リディアは父のいる部屋に入ると挨拶をした。


「おはよう、可愛い娘よ」


 父が挨拶を返す。


 待たせたから気を損ねたかと心配したが、そんなことはなかったようだ。父の気性は小さい子どものそれと変わらない。育った環境のせいか、遺伝的に何か問題があるのか、その両方か。いずれにせよリディアはそれを理解して父の気持ちのいいように過ごせるように努めていた。これでも、自分のことは愛してくれている父親なのだ。


 父との朝食は、これもまた通常通りといったところ。食卓に並ぶのは、王家とは思えない普通の食事。トーストにスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ。品質はよく高級品ではあるのだが、無駄なものは全くない。もともとはもっと豪華に、食べきれず廃棄される量の食事だったのだが、リディアが話してそれはやめさせた。民は変更させた後の健康的な食事ですらまともに取れないのだ。それと同等に下げろとは思わないが、無駄はなくしたかった。


 父が仕事を始めるというので、適当な言い訳をして退出をした。煤けた空の色を反映させたようなうす暗い廊下を速足で歩いていく。向かう先は自室だ。


 先ほどのフェミニンで落ち着いた印象のワンピーススタイルとは違う動きやすい軽装に着替え、リディアは出かける。宮殿の中は入り組んでいるが、それほどの人に出会うわけでもない。貴族たちはそれぞれのルーティンがあるし、使用人は別の導線がある。


すれ違う人と軽い挨拶をかわし、リディアは外で車に乗り込んだ。迎えに来た運転手は、黙って車を発進させた。


鬱蒼とした街の中を抜け、車は王都の郊外のさびれた風貌の館の前で止まる。見るからに怪しい見た目の館に近寄る人はそういない。


リディアは車を降りると扉を開けて館の中に入っていった。中は外とは違って、驚くほどきれいに手入れされている。それもそのはず、外観は部外者を近寄らせないためのカモフラージュなのだ。好奇心に満ち溢れた子ども以外、こんなところ誰も来ない。もっとも、その子どもたちが中へ入れるわけもないが。リディアたちにとって、人に知られないというのは最重要事項だった。


「昨晩の集団は?」


「処理済み」


 リディアが問いかけた相手は、この組織の中で彼女の片腕的存在だった。実戦が苦手なネルは、情報や処理を担当している。


「そういえば最近、ブルーイーグルとか呼ばれるのがいるらしいよ」


 ネルがリディアに資料を渡す。人さらいたちの元締めの名前とその組織についての情報だ。


「なにそれ? 組織?」


 資料に目を通す。女を売って搾取している店。海外に売り飛ばしたりもしているらしい。


「個人」


「個人? バックにいるのは?」


 王都でも大きな組織の一つらしい。人さらいたちはその氷山の一角にすぎない。


「わからないらしい。もしかしたら、いないのかも」


「無茶な」


「それが、領主とか役人を殺して金品を奪ってはばらまいているとか」


「ロビンフッドもどきじゃん」


「まあ、もう少ししたら情報も入ってくると思う」


 ネルはパン、と手を叩いた。


「それより、昨日の人たちお手柄だね。一気に捕まえられたのが良い」


「ありがとう。元締めも叩くの?」


「そっちは部隊がやってくれるってさ」


「なら、心配いらないね」


 二人が歩いていく先には、訓練所がある。組織の人間が大勢、日々のトレーニングに励んでいる。


リディアは久ぶりに射撃訓練をしてみた。ネルはとなりでそれを眺めている。人を殺すことを好まないリディアは銃というものを普段使わない。しかし、何事も腕前を落とさないようにしなければ。


 この組織、ファントムは大掛かりな自警団だ。軍部や警察が民を守るために機能していないからと、何代か前に創設されたもの。貴族でありながら、国外での真っ当だが国に認可を取っていない商売で資金をやりくりしている自警団の長は、リディアの伯父にあたる人物だった。つまるところ、母の実家は国王に隠れて違法なことをしているのだ。そして、王女であるリディアはその組織に所属している。


 日々の訓練を終えると、リディアはいったん宮殿に戻ることにした。これは大体の、日常のルーティンだった。日中は宮殿で過ごし、夜になると街に繰り出して昨晩みたいな女性を救う。そして、朝になる前に宮殿に戻り、寝不足ながらも父と朝食をとるのだ。毎晩ではないが、かなりの頻度でこうやって過ごす。宮殿に戻ってからの午後の時間は、リディアにとってはつかの間の自由時間。昼寝や勉強のための自由時間。政治は関わらないため、その時間忙しくしている父に会うこともない。


「リディアさま、今晩の王妃陛下のサロンには参加されますか?」


 侍女が声をかける。日も暮れてきた時間帯、リディアは窓辺の椅子に腰かけて読書を楽しんでいた。


「王妃さまから招待されていたかしら?」


 リディアは首をかしげる。血のつながらない王妃はリディアとそれほどのかかわりはない。それでも、お互いの立場は尊重しているので、必要があれば丁寧な対応をしてくれるが。リディアもそちらへの情はそれほどないため、招待などされる覚えがなかった。


「なんでも国王陛下がおいでになるとかで、宮廷人すべてが招待されております」


「それなら行きましょう。ドレスはある?」


「夜会服ならいくつかご用意があります」


「では、支度をしましょう」


 そうと決まれば早い。リディアは侍女を連れて着替えの間に行った。父はリディアが参加しなければ、なぜと王妃に問うだろう。それに、彼が暴走した時に止められるのはリディアしかいない。


 侍女が席を外したすきに、リディアは通信機器を取り出して本部へ連絡を入れる。王妃のサロンへ招待されたため、今夜の巡回は参加しないという旨を伝えれば、それで事足りる。そもそも、ほとんど館で寝泊まりをしているとはいえファントムの長である伯父も宮廷に居室を構える立場の人間。事情はわかってくれる。


 サロンには多くの宮廷人が集まっていた。ネルの姿も見える。大方、情報収集を命じられているのだろう。リディアの従妹にあたる彼女はれっきとした貴族だ。


「今夜は国王陛下がいらっしゃるそうね」


「そうよ。だから参加を見送ろうにも見送れなかったのよ。不在を咎められたらたまらないわ」


「失言もできないわ。おとなしくしていないと」


「普段のサロンなら楽しいけれど、これはねぇ……」


 リディアは近くから聞こえてくる会話にため息を吐きそうになるのをこらえた。愚かな人たち。こんなもの、父に聞かれたらどうするというのだ。そうでなくても、これを利用して蹴落とそうとする者がいるかもしれないのに。誰もが父を恐れている。それは間違いない。しかし、だからといって誰もが沈黙を守ってくれるとは限らないのだ。宮廷は駆け引きの場。いつ、何をもって足を引っ張られるかなどわかったものではない。


「王女殿下、いらっしゃってくださって嬉しいですわ」


 声のする方を振り返ると、王妃が立っていた。リディアはさっと笑みを浮かべる。


「王妃陛下、お招きに感謝します。今宵も陛下は美しくいらっしゃる」


「あら、若い者には負けますわ。それに、あなたは年々あの美しかった母君に似てきますわね」


「感謝いたしますが、わたくしなど陛下にはおよびません」


 社交辞令の繰り返し。リディアは形式的な招待への礼とお世辞の応酬をどこか冷めた目で捉えていた。


 王妃は国有数の名家の出身で、まだ若い。リディアの母が亡くなって数年後に王室に入った人なので、リディアとの年の差もそこまでではなかった。そのせいもあって、二人の間に継母と継子という絆はない。あるのは、王妃と王女という立場だけだ。しかし、決して険悪な仲でもなかった。


 人々の喧噪が一瞬静まる。それはすぐ元に戻ったが、国王がいるという緊張感はその場に漂っていた。


「陛下、今晩はいらしてくださり感謝いたします」


 王妃が近づいて行って、挨拶をする。夫婦とはいえ、距離のある間柄だ。リディアはそれを横で眺め、王妃と同じタイミングでカーテシーを披露した。


「こちらこそ、招待に感謝する。普段は、貴婦人のサロンにお邪魔するなどあまりないのでな。いい機会だ」

 父は機嫌がいいのだろう。リディアは内心で息をつく。面倒ごとはないに限る。

「これは、リディアではないか。来ていたのだな」

「陛下がいらっしゃると聞きましたから。せっかくの機会ですし、楽しみたいと思いまして」

 リディアは自分に向いた父の視線を受け止めた。もとより、彼がリディアの存在に気づいていないわけがない。ただ、自分の娘に話しかけたかっただけだ。娘を溺愛しているというアピールにすぎない。

「お飲み物でもいただいて、王妃さまとお話をしてきたらいかがでしょう。そちらでは話題も事欠かないと思いますわ」


 リディアは一歩離れたところにいる王妃の方を示した。今夜の主催を立てないでどうする。それに、寝不足の身なのでネルと合流して壁際でのんびりしていたかった。

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