この灰色の世界で生きていく
築山モナ
プロローグ
夜の闇の中、人影が横切る。王都でも治安の悪いスラム街。ここに暮らす人間は、たいていが真っ当なことなどしていない。
「やめて!」
女の声が裏路地に響く。しかし、誰もが見て見ぬふりをする。そういう世界だ。かかわってしまえば明日は我が身。自分よりも、身内よりも愛おしいものなど存在するわけがない。結局は、人は保身にしか走れない。
男たちが女を追い詰めていく。こういったことをして、女子供を使って稼ぐことを生業にしている人種だ。抵抗されることにだって慣れている。こんな人目のある所で人さらいのようなことをしているのだって、人が傍観することを承知で、また警察などあってないものに等しいからに過ぎない。
油断しきっている男たちは、人が背後に立っても気にも留めなかった。何かをしてくる想定などしていないのだ。
男の一人が倒れた。
ようやく、集団の目が背後の人物へと向く。
「おまえ、何をしている?」
男の一人が問う。しかし、答えはない。
「やれ」
リーダー格が言った。
男たちが女から目を離し、突然の邪魔者へと突撃した。しかし、彼らは誰も邪魔者を排除することができなかった。大きく、雑に振りかぶった腕は払われ、武器は当たる気配もない。銃があればいいのかもしれないが、あれは希少な品だ。人さらい程度が持てる代物ではない。男たちは瞬く間に、地面に山となった。
女は自分の救世主へと目を向けた。真っ黒な衣装に、目元を覆う真っ白な仮面。華奢ともいえるほどのすらりとした身体は、巨漢含む大男を倒せるとは到底思えない。しかし、小柄だからこそ、小回りが利き動きやすいのかもしれないと女は自身を納得させた。
仮面からのぞく瞳は煌々と燃えていて、先ほどの戦闘の興奮をうかがわせた。素顔こそわからないが、とてもきれいな顔立ちをしていることはわかる。
「大丈夫?」
救世主が女に声をかける。
女は息をのんだ。女性だ。てっきり、こんな男たちを相手に立ち回るのだから男だと思い込んでいた。しかし、その小柄さや顔立ちは女性とわかった方が納得がいく。
「大丈夫です。ありがとうございます」
女は礼を言った。恐ろしい思いをした。あと少しで、人さらいに捕まって売られてしまうところだったのだ。
「お住まいはここら辺?」
「いえ。こちらには妹を訪ねて。帰り道でした」
商売女になってしまった妹。うちは王国のほかの庶民と同様に貧しかったけれど、スラムで身体を売るほどには貧しくなかった。父と折り合いの悪かった彼女は、勘当されるほど入れ込んだ当時の男に騙されて借金を負った。結果がこれだ。まだ、売られていないだけ自由はあるが。妹を捨てきれない女は父の目を盗んでは、こちらへと顔を出していた。
「こんな遅くに歩いていたら危ない。特定の組織の庇護に入っていない人は狙われやすいから。次の時はもっと早い時間か、妹さんのお店の人の付き添いで戻りなさい。今夜は安全なところまで送っていくから」
「ありがとうございます」
女は救世主と連れだってスラム街を抜けた。
「あの男たちは……死にましたか?」
女は問うた。血は見なかった。しかし、彼らは動かなかった。
「まだ。後処理はわたしの担当ではないからね。けれど、安心して良い。彼らは二度と、人さらいなどという非道なことはしない。知らなくても良いことはあるからね」
救世主が答える。女としては、彼らが生きていようが死のうが、どちらでもよかった。ひどい目にあってくれればいいとは願ってしまう。
それよりも、救世主が組織で動いていることに驚いた。だが、つじつまは合う。こんなこと、一人では到底できないだろう。警察などいないも同然のこの国に、自警団のようなものがあることに安心すら覚える。法に反していようが関係ない。法など、何も守ってはくれないのだ。
「ここで大丈夫かな」
救世主が立ち止まった。
「ありがとうございます」
女は今夜何度目かわからない礼を言う。
「わたしにとって一番の礼は、あなたがこれからも無事でいてくれることかな」
救世主は微笑んだ。背を向け立ち去ろうとしている。
「あの、あなたのお名前は……」
「ホワイトリリー。そう呼んでもらっている」
「ホワイトリリー……」
女は口の中でその名をつぶやいた。顔をあげると、救世主の姿はもうどこにもない。一瞬の間に消えてしまったようだ。
無事に家に着いた後も、女は救世主のことを思い起こしていた。あの、ホワイトリリーと名乗った女性のことを。
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