(兄)両名を捕縛せよ

 フロレンティーノ公爵家に生まれたからには、立派に国の役に立つ。そう決めて、唯一の王子の側近になった。妹のみで兄弟のいない彼が、王太子になるのは時間の問題だ。フリアンを支えることが、僕の役割だと思っていた。


 あの時までは……。


 王太子の婚約者に妹アリーチェが決まり、僕は彼女と距離を置いた。未来の王妃になるリチェは、専門の教育を受ける。淑女として、王妃として、立派に夫を支えられるよう。厳しい教育が待っていた。


 ちょうどこの頃だ。リチェの王妃教育が進まない。権力を翳して周囲を脅したらしい。そんな話を聞いた。あれはライモンドだったか。未来の王妃に確定した公爵令嬢、その立場が妹を歪めたのかと疑った。


 冷静に考えたらあり得ないのに。兄である僕は、妹を信じるべきだった。だが一度生じた疑いは、僕とアリーチェの間に距離を作る。目に入る位置に僕がいては邪魔になると考えた。


 これが間違いだった。リチェは兄がいようと甘える子ではなかったし、王太子は僕の態度に何を思ったのか。妹に冷たい態度を取った。何度注意しても直らず、それどころか浮気を始める。


 未来の妻が確定しているなら、リチェに歩み寄る必要はない。結婚前に、他の女性と親しく過ごそう。それが王太子の言い分だった。親しく……などという範疇を超えて、淫らな関係に落ちるまで時間は掛からなかった。


 王家の種を流出させる、その意味すら理解できない愚か者――僕が王太子を見限ったのは、この頃だった。父上に話をして、証拠を集めるために奔走する。しかし後手に回ることが多く、父上に「無能者め」と呆れられた。


 確かに僕は愚かだ。あの夜会の日、僕はリチェから目を離してしまった。悲鳴と怒号、婚約破棄を告げる王太子の声……慌てて駆け寄ろうとした僕を、数人の腕が拘束する。振り解くのに手間取り、結局殴りつけて抜け出した。


 国家反逆罪だと? 僕の言動の何に適用できるのか。ありえない。騎士が僕に近づいてきた。時間がない、何から手をつけるべきか。


 父上の声が聞こえたのはこの時だ。駆け寄ろうとした僕へ目配せし、王族の不正を暴けと口が動いた。リチェと父上の無実を国王に訴え、拘束が解けるや否や飛び出す。目星を付けていた書斎や執務室を荒らし、様々な書類を押収した。


 事前に手を組む約束をしていた貴族派が、僕のサポートに入る。手伝う貴族派の面々と、それらを運び出す算段をつけた。王太子の拘束、リチェの所在不明……父上の解放。様々な出来事が重なり、貴族派は混乱した。


 僕はリチェの捜索に貴族派の手を借りた。空き部屋や客間、控え室に用意された部屋も、片っ端から開けていく。使用中の部屋もあったが、関係なく確認した。


 ここで、リチェの毒殺未遂事件が起きた。聞いた途端、後悔と焦燥が胸を焼く。あの子が死んでしまう? 母上に任された唯一の妹を……失うのか。恐怖が目の前を真っ暗に染めた。


 自分の存在意義を否定されたような、暗くて重い感覚が五感を鈍らせる。たどり着いた部屋で見たのは、押さえつけられた王太子の側近と、落ちて割れた紅茶のカップ、絨毯に広がるシミ……。鮮やかな赤が、妹のドレスと絨毯を汚していた。


 近づいて触れた肌は冷たくて、硬くて。慌てて確認した呼吸は細く頼りない。けれど生きていた。駆けつけた薬師と医師が水を飲ませて吐かせ、薬を流し込んだ。苦しそうな妹の呼吸がやがて落ち着くまで。


 僕は手を握って涙を流す以外に何ができただろう。もっと才能があれば、父上のように上手に振る舞えたら、この子は傷つかなくて済んだ。そう己を責め続けた。


 二週間目覚めないアリーチェの肌はくすみ、爪は伸びた。痩せていく彼女に、毎日話しかける。ようやく目覚めた時、僕は疑ったことも含めて謝罪した。混乱させることも理解せず、身勝手な赦しを乞うた。


 僕はまた間違えたのだ。だから二度と疑わない。どんなアリーチェでも受け入れる。覚悟して顔を上げた。


「元国王オレガリオ、元王太子フリアン。両名を捕縛せよ!」

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