119.これが私の決断です

「私はお兄様とは結婚いたしません」


 家族が揃う食堂で、食後のハーブティを前に私は切り出した。


「……それがリチェの結論だね?」


「はい」


 反射的に謝ろうとして、唇を引き結んだ。謝るのは間違っている。私は自分の決意を伝えた。気持ちに応える気がないなら、謝罪は無用な誤解を生む。だから肯定だけした。ぐっと堪えるように唇を噛み、拳を握ったお兄様は震える息を吐き出した。


「分かりたくないけれど、分かった」


 感情は承諾していないが、理性で抑えつける。答えるお兄様の声も震えていた。私への異常ともいえる執着が愛情なら、どれほど辛い言葉か。それでも私は顔をあげて未来へ進むために選んだ。記憶はまだほとんどないし、何が正しいのか分からないけれど。


「誰か好きな人はおらんのか」


「これからですわ」


 お祖父様は「ひ孫はだいぶ先じゃのぉ」と残念そうに呟いた。私の中にひとつ計画がある。黙って聞いているお父様に向き合い、提案した。


「お兄様をサポートにください。私がこのフロレンティーノ公爵家を継ぎます」


 驚いた祖父や父に尋ねられ、説明を始める。お兄様は無言だった。


 フェリノス国は事実上の属国となった。ならば支配者であるロベルディ王家の血を引くフロレンティーノ公爵家は、今後も筆頭公爵家として国を率いる立場にある。私や兄の我が侭で血を絶やすことは避けたかった。でも兄と結婚は出来ない。


 過去の私なら、カリストお兄様との結婚を承諾しただろう。自分の意思を押し殺し、家や国のために尽くすことが淑女の生き方だと思っていたから。人形のように従ったはず。でも今の私は真逆だった。家のために犠牲になるくらいなら、逃げる道を選ぶ。


 私と結婚できない兄カリストが、今さら妻を娶る可能性は低かった。私はこの先、誰かと結婚すると思う。まだ恋愛ではないが、気になる人はいた。子どもに跡を継がせるなら、当主の子である方が問題は起きない。けれど女当主はまだ珍しく、ロベルディの女王クラリーチェ陛下に倣うとしても立場が不安定だ。


 ならば、外向きの対応を兄に任せたい。領地経営は私も勉強してきたので、徐々に父から引き継ぐことが可能だった。兄も私も半人前なのなら、二人で力を合わせるのはどうか。もちろん、お兄様が嫌ならこの話は諦める。そう付け足した。


「リチェが決めたのなら、僕は従う」


 まだ声は震えていたが、お兄様はきっちり意思表明した。となれば、反対する可能性があるのはお父様だけ。うーんと唸って考え込んだお父様は、顔をあげて私とカリストお兄様を交互に見た。


「カリスト。もしアリーチェが夫を選んだ時、お前は喜んで受け入れることができるか?」


「……リチェがいなくなるくらいなら受け入れる。ただし泣かせたら奪う」


 そのためにも近くにいる。宣言した兄に、お父様は額を押さえて唸った。厄介で困難な道を選んだことは承知している。ここまで中途半端ながら記憶を取り戻し、過去になされた私への加害を理解して裁いた。このことは私の自我を目覚めさせたのだ。


 クラリーチェ様のように生きることは無理だろう。あの方は特別な人だ。それでも憧れて後を追うことは出来る。全力で手を伸ばし、いつか太陽を掴みたいと願う幼子のように。この願いは純粋で強かった。


 アリーチェ・フロレンティーノとして生き、死の間際に後悔しないため――私は利己的な我が侭を選んだ。

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