120.穏やかで満ち足りた日々
――フェリノス国が地図から消えて、五年後。
ロベルディ国フロレンティーノ公爵領は、今日も賑わっていた。繁栄を続けるこの領地は、ロベルディ国との交通の要所だ。元フェリノスの特産品が並び、ロベルディから運ばれた交易品が積まれる。
「先日出回った偽造品だが……犯人達を捕まえた。これで騒動は収まると思うよ」
兄カリストの言葉に、私は微笑んで頷いた。領地を賑わした騒動はこれで終わり。街の賑わいを楽しみながら、私は手を引っ張る幼子に視線を向けた。
「お母様、仕事のお話は終わり? だったらあれを買ってよ」
強請る幼子は金茶の髪を揺らして露店を指差す。その指をそっと掴んで「誰かを指で示してはだめよ」と叱りながら、その露店の商品に頬を緩めた。甘い砂糖菓子、色とりどりの品は子どもを誘ってやまない。実際、何人もの子どもが集まっていた。
「お願い、このくらいでいいから」
両手で包む形を作り、ここに入るだけでいいと強請る息子は、こてりと首を傾げる。濃桃色の瞳が期待に輝いていた。
「よし、僕が買ってやろう」
「カリストお兄様、いけません。つい先日も買ったばかりなのです」
助けの手が断られそうになり、息子クラウディオは唇を尖らせる。
「伯父様、買ってください」
ちらりと私を窺い、お兄様が店主に目配せした。私に内緒で届けさせる気ね? それはダメだと止めて、でも泣きそうな息子の表情に絆されてしまった。
「わかりました。私が買います」
「やった!」
「ですが、屋敷の使用人達と分けるのですよ。一人で食べられるのはこのくらいです」
指で少量を示す仕草を見て、クラウディオは指を咥えた。まだ幼いので叱らないが、あと数年したら直さなくてはならない癖だ。じっと待つ私に、クラウディオは頷いた。
「皆で分ける」
息子が当初強請ったより多めに購入し、店主からお菓子を受け取った。量り売りでしっかり袋に詰めたお菓子を、クラウディオに預ける。
「これを家まで無事に運ぶのがディーのお仕事です。零したり、開けて食べてはいけません。出来るかしら?」
しっかりと袋を抱きかかえ、幼い息子は頷いた。夫と同じ色の髪に、私譲りの瞳。ロベルディ王家の血を受け継ぐクラウディオは、まだ三歳だ。残念そうなお兄様は、別のお店でお菓子を買ったらしい。睨むと肩を竦めた。仕方ない、数日かけて消費すれば平気よね。
民との交流は大切にしている。気軽に声をかける果物店からいくつか購入し、差し入れたパンや果物のお礼に孤児院で歌を捧げられた。視察を終えて戻れば、赤子の泣き声が聞こえる。
「ふふっ、ダメだったみたいね」
迎えに出たサーラへ、クラウディオがお菓子の袋を渡す。皆で食べると自分から告げた。頭を撫でると嬉しそうに笑い、当たり前のように指を絡めて手を握る。手を揺らしながら、子ども部屋がある奥へ進んだ。
「僕は仕事があるから、あとでまた」
「ありがとう、お兄様」
護衛を兼ねて付き合ってくれたお礼を口にし、途中で兄と別れる。子ども部屋の扉をサーラが開けると……泣き声はさらに大きく聞こえた。困りきった顔で抱っこするお父様、その隣でミルクを飲ませようと苦労する夫。真剣な二人に、笑みが漏れた。
「アリーチェ! 助かった」
ぱっと表情を明るくするお父様は、私の方へ歩み寄る。夫は申し訳なさそうに眉尻を下げた。金茶の髪を後ろで一つに結び、穏やかな雰囲気を纏う。父親を見るなり、クラウディオが走った。
「すまない、泣き止まなくて」
「いいえ、助かったわ」
寝ていたから視察に向かったのだけれど、こんなに早く起きるなんて。まだ一歳にならない娘ルーチェを受け取り、プラチナブロンドに唇を寄せる。触れた私に気づいたのか、ルーチェは泣き止んだ。
じっと私を見上げて、濡れた頬のまま笑う。愛らしい頬の涙を、サーラがハンカチで優しく拭った。
「視察はどうだった?」
「いつも通り平和です。孤児院の子も頬がふっくらして、近々、畑の収穫物を持ってきてくれるそうですわ」
「それはよかったね。あの子達も誇らしいだろう」
穏やかな会話の後、落ち着いたルーチェにミルクを与える。お菓子を分ける話を、元気いっぱいに語る息子を目を細めた父が抱き上げた。幸せ過ぎて、何もかもが満ちて……なんだか怖くなる。ルーチェを寝かしつけながら、私は穏やかな日々に感謝した。
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明日完結予定です。読みたいエピソードがあれば、是非リクエストください。基本的に番外編は「アリーチェ以外の視点」で書く予定です。
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