118.相談する時点で結論は出ている

 久しぶりの自室は、どこかよそよそしく感じられた。鏡台に化粧品を並べ、愛用のブラシを置く。お風呂でゆっくりした私の髪に香油を垂らし、サーラは丁寧に指先で整え始めた。最後にブラシを手に取る。そこでふと思い出したように、サーラがお礼を告げた。


「以前、旦那様から頂戴したブローチはとても役に立ちました。ありがとうございます」


 お返ししましょうか? 尋ねる彼女は、侍女服のポケットからハンカチを取り出した。その中に包んであるのだろう。膨らんだハンカチは白く、清潔そうだった。修道院での生活が荒れていなくて良かった。目で見て確認できたことで、表情が緩む。


「お父様が与えたのよ、私が取り上げるわけにいかないわ」


 そう言って、まだ持っているよう促す。王宮へ向かう前、お父様がサーラに「身を守るため」として手渡した。小さなブローチだ。私やお兄様は身に着けない大きさのそれは、執事が飾る襟章に似ていた。胸元に刺しゅう入りハンカチを挿すのが、我が家の執事だ。


 侍女長になるであろうと見込んで、サーラに渡したのかもしれない。フロレンティーノ公爵家の紋章が刻まれたブローチは、水晶と銀で作られていた。貴族にはさほど高価な品ではないが、いざというとき売れば多少の財になる。


「このブローチを見せたところ、修道院の方は快く私を受け入れてくださいました。それに先代公爵夫人の侍女であったお姉様達も、百合の紋章をお持ちで。フロレンティーノ公爵家の紋章を持つ私に、おめでとうと声をかけてくれたのです」


 嬉しそうに話すサーラの手は、ほんのり温かい。ゆっくりとした動きで、私の銀髪にブラシを通した。手櫛で十分に解けていたため、痛みはない。穏やかな時間が過ぎる室内で、私はごくりと喉を鳴らした。相談したい、でも相談していいのかしら。


 迷惑かもしれない。迷ったのは僅かな時間で、私は余計な想いを振り切った。以前の私とは違う。過去の私ではないのだから、したいようにするわ。


「サーラ」


「はい」


「お兄様をどう思う? その……私の結婚相手としての話なのだけれど」


「お嬢様は小公爵様と結婚したいとお考えですか?」


 逆に問い返され、うーんと考え込む。私の場合、結婚したいかどうかは後回しにしてきた。どちらがより家のためになるか、ここが判断基準になる。貴族令嬢として一般的な考え方だろう。家を考えるなら結婚した方がいい。直系の血が受け継がれ、優秀な兄なら領地の経営も上手にこなすはずだ。


 ただ、サーラが聞いたのは私個人の気持ちだった。俗な表現をするなら、愛せるかどうか。


「お兄様はお兄様で、夫として考えたことはないの」


「それが答えだと思います」


 目を見開いた。鏡の中で、ブラシを置くサーラと目が合う。そうね、もう答えは私の中にあったのだ。誰かに相談する時点で、もう考えは纏まっている。乱れた思考では、相談内容すら纏められないのだから。否定してほしくて口にしたのね。


「ありがとう」


「いいえ」


 微笑むサーラは髪をシルクで巻いていく。包んだ髪を肩に掛け、ベッドへ横たわった。夕食は食べず、このまま休むつもりだ。まだ早い時間で明るさの残る窓に、分厚いカーテンが引かれた。暗い部屋で、サーラの「おやすみなさいませ」に短く答える。


 私の結論は出た。明日、お父様やお兄様と話そう。お祖父様も同席したがるかしら。記憶があった頃の私なら、友人である二人に相談したのかも。つらつらと考えるうちに、いつの間にか眠っていた。

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