103.悪夢はまだ終わっていない

 その夜はすんなり解散となった。クラリーチェ様とフェルナン卿は、数日のうちにロベルディへ戻る。荷造りに帰ると思ったのに、お祖父様はこのまま滞在して引っ越しするつもりのようだ。


 入浴して、洗った髪を乾かしてもらう。王宮に呼んだ公爵家の侍女達は、テキパキと働いた。肌や髪に染み付いた血の臭いは消え、今はラベンダー香油の香りに包まれている。日記帳の入ったトランクを受け取り、鍵を開けた。


 今夜は一人で眠る。主犯共犯含め、危険な者は捕縛され隔離された。部屋の外に護衛は立つが、室内は一人でも大丈夫と判断されたのだ。手早く支度を終えた侍女達が退室し、お茶を用意したサーラが近づいた。


 差し出されるカップには、緑茶が注がれている。お礼を言って受け取り、彼女を見送った。徹夜をする気はないが、一人の寝室は久しぶり。せっかくだから、考えを整理しながら書き留めておこう。ここ数日、目まぐるしい変化があったのに、まったく記録していなかった。


 新しい赤い日記帳を開き、クラリーチェ様が来られた日から思い出す。王太子フリアンと側近達、元国王オレガリオの処分……時系列を追いながら記す手が止まった。


「行き違いになったのかしら」


 ぽつりと疑問が溢れた。お留守番をするお祖父様が暴走しないよう、元国王オレガリオを移送した。大急ぎで手配したのに、すぐお祖父様が到着したわ。途中ですれ違ったのかもしれない。


 フェルナンディ公爵閣下とお祖父様が戦ったお話も聞いてみたいわ。二つ名を持つ公爵様も、敵ではなく主君相手では大変だっただろう。実力を発揮できない上、少しでも長く留めおきたい。ケガをさせるわけにもいかないはず。労っていただくよう、伯母様に頼んでおこう。書き足してペンを置いた。


 インクがクロスに染みないよう、水を張った皿でペン先を洗う。赤い日記帳の文字が乾くのを待った。このままページをめくれば、インクが滲んでしまう。手を止めたついでに、青い日記帳を持ち上げた。


 失った記憶と現状の理由を知りたくて、新しい方から逆さに読んだ。まるで小説の結論から読むように。結局、欲しい情報は足りなかったけれど。


 私の日記に似た青い表紙の本を、フリアンが持っていると耳にした。あれは何だったのかしら。ここにある日記帳の書き出しと終わりの日付はすべて繋がる。途中で抜けた本はなかった。一冊抜けるなら、二年近い空白があるはずなのに。


 よく似た本を誰かが見間違えただけ。そう思いながら、青い表紙を撫でる。読むか、続きを書くか。迷って、青い日記帳をトランクに戻した。曖昧になる前に、記してしまおう。そう決めた私は赤い日記のページを捲る。新しいページに、断罪された女性達の罪と罰を書き足した。


 日記というより、裁判記録みたいだわ。眉尻を下げて苦笑いし、サーラが入れてくれたカップを引き寄せる。口元にお茶を運ぼうとして、違和感を覚えた。くんと香りを確かめる。それからお茶の表面を見つめた。


「ひっ!」


 悲鳴をあげ損ね、喉に声が詰まる。小刻みに震える私は、カップから手を離した。絨毯の上に転がったカップは割れることなく、中身をすべて吸わせていく。そこに残った物……私は蘇った悪夢に今度こそ悲鳴をあげた。

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