89.察して振る舞うのが貴族の慣わしなら

 彼女が仄めかした悪意を、どれだけの人が認識していたのか。ただ「こうだったらいいのに」と曖昧な表現をしただけの場合もある。それを周囲が叶えたため、ヴェルディナはつけ上がったのだ。自分が望めば叶う、と勘違いした。


 人を操ることに快感を覚えたのが先か、最初から操るつもりだったか。どちらにしろ、彼女はある意味で、もっとも貴族らしい女性だ。謀略が当たり前の、まるで幻想のような社交界を泳ぐ「虹色の魚」だった。


 青を当てられれば青く反射し、赤を浴びれば赤く染まる。虹色、玉虫色、呼び方は様々だが、ヴェルディナに才能はあった。社交界を泳ぐ鑑賞魚としての才能を、間違った方向に発揮した悪女。傾国と呼ばれてもおかしくない。


「よかろう、社交界や貴族としての振る舞いであったと認めよう」


 ヴェルディナの罪を問わないとでも言いた気な口調で、クラリーチェ様は笑みを浮かべた。反射的に見上げて、ぞくりと背筋に寒気が走る。言葉と表情が真逆だわ。絶対に許さないと語る表情と、穏やかに赦しを与えるような声。女王として君臨する伯母様は、器用に使い分けた。


 近くにいなければ、これほどの寒気は感じない。きっと殺気と呼ばれるのは、こういう感じなのだ。クラリーチェ様は無罪にする気はない。私が取る態度はひとつ。


「陛下の仰せのままに」


 復讐もすべて諦める。そう聞こえるように、会釈を添えて。一瞬だけ眉を動かしたが、クラリーチェ様は作った笑顔を崩さなかった。


「アリーチェも分かってくれるか。さすが我が姪」


 扇を広げた伯母様が口元を隠す。二人の視線の先で、ヴェルディナの表情に安堵が浮かんだ。被害者と断罪者が許した、そう感じたのだろう。目に見えて顔色が改善されていく。


「仄めかし操るのが貴族の振る舞いであるなら、私のこの言葉も許されるはずだ――私はこの女にいだいておる。出来るなら二度と視界に入れたくはないものよ……」


 仄めかし操る。その意味においては、君主の意向を汲んで対応する貴族の言動も同じだった。国の頂点に立つ女王陛下が、黒だと言えば白い壁も黒く染まる。女王の機嫌を取るため、トラーゴ伯爵令嬢ヴェルディナに厳しい日々を与えると言い切った形だ。


「だが、我が姪が苦しんだ倍の月日は耐えてもらいたい」


 簡単に殺すな。釘を刺したクラリーチェ様の赤い唇が弧を描いた。何かの罰を与えろと口にしていない。嫌いだから目に入れたくない。でも簡単に死なれたら不満だと漏らしただけ。その呟きが、配下にいる貴族にどんな免罪符となるか。


「そんなっ! 酷い!」


 叫んだヴェルディナに、私は満面の笑みでこてりと首を傾けた。銀髪がさらりと流れる。


「あら、おかしなことを仰るわ。女王陛下はあなたを傷つける発言をしていませんわよ。ただ嫌いと意見を表明されただけ。それに……私の立場に成り代わりたかったのでしょう? お礼を言われてもいいくらいだわ」


 お前自身が私を突き落とした地獄、たっぷりと味わえばいい。同じ立場になれて良かったわね。そう締め括った私に、お父様は顔を引き攣らせた。失礼ね、言葉を柔らかく包んで伝えたのに。

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