86.心を丁寧に砕くことから始めようか

 泣き叫ぶ権利なんてないのに。呆れながら、私は扇を広げる。伯母様愛用の扇はずっしりと重さを伝えてくる。これは腕が鍛えられそうだわ。普段使いというより、護身用の武器として夜会やお茶会に持ち込むのが正解だろう。


「嘘よ、お父様もお母様も! 私を愛してくれているわ、だからっ」


「だからなんだ? 家を守るか、娘を取るか。選ぶのは当主の権限だ。小娘の口出しなど片腹痛い」


 クラリーチェ様はカサンドラの心を挫くことにしたみたい。辛らつな言葉に様々な棘を添え、口元に笑みを浮かべた。親に捨てられた、そう突きつけられたカサンドラは、ぽかんと口を開けて天井を見上げる。涙が眦を濡らした。


 一見すると親に見放された哀れな令嬢だが、この場に集まる貴族に同情は見られない。すでに罪状は明らかだった。


 他国の王族へ嫁ぐ身でありながら、純潔ではなかった。そのことを隠しただけでも、砂漠の国から抗議される国際問題だ。婚約者のいる元王太子フリアンと一線を越えたこと、元コスタ侯爵家のカストが自白した毒の手配、学院内での言動……。あげればキリがなかった。


 大量の罪状を読み上げるべきか、迷うお父様へ女王陛下は首を横に振った。他国につけ入る隙を与えたことは、死罪に該当する。それ以外の罪も償う必要があるものの、到底彼女一人で負える量ではなかった。


「知っておるか、お前のような女にはこれがよく効く」


 伯母様はそう笑い、リベジェス公爵家への罰を口にした。


「リベジェス公爵家の家格をそのまま、財産と領地をすべて没収する。少なくとも罪人を匿った罪は、これで帳消しになるであろう」


 カサンドラを匿った罪と言い切った。自分のせいで実家が没落する。理解が追いつかないのか、ぎこちない動きでカサンドラは視線をこちらへ向けた。


「理解できないようですね。貴族家は格に見合った振る舞いを求められます。公爵家なら相応の衣服、料理、屋敷……用意できない貴族を何と呼ぶかご存知でしょう」


 フェルナン卿が丁寧に説明した。貴族とは見栄の生き物だ。水面を泳ぐ白鳥と同じ、足元でどれだけ足掻いても外には見せない。それが公表された状態なら?


 公爵家としての振る舞いを求められても、応じることが出来ない。領地がなければ税収はなく、手元の財産を没収されたら明日から困る。使用人は無料奉仕をしてくれる存在ではなかった。没落すると知れば逃げ出す。


 屋敷も同じだった。広大な公爵家の屋敷と庭を誰が管理するのか。荒れていく屋敷、明日の食べ物すらない生活、衣服を洗うことも自らの手で行う。隠し通せるなら面子は保てるだろう。けれど、公表された罰だ。


「安心いたせ、社交は認めてやる」


 付け足された条件は、過酷さを増すだけ。日々の生活すら平民以下になる家族に、他家から招待状が届いたら? ドレスがないから行けないと断れるのか。残酷なようだけれど、公爵家である以上、すべてを断ることは不可能だった。


 落ちていく。僅かな現金を求めて、どんな仕事でも、どんな扱いでも受けるしかないのだ。


「ああ、幼い妹君は関係ないな。養子に出すことを認めよう。それ以外の養子縁組は、王家として拒否する。カサンドラ、お前への罰はその後に与えるとしよう」


 事前に逃げ道を塞がれた。リベジェス公爵家の未来は確定したのだ。その上、自らの罰は別に背負うことになった。


「うぁああああ! お前のせいだ、お前の! この悪女がぁああ!」


 美しかった金髪を振り乱し、襲い掛かろうとするカサンドラは……騎士達に床へ押さえつけられた。


「ところで、お前は無言だが……言い分を聞いてやろう」


 クラリーチェ様が促したのは、カサンドラの形相を無言で見つめるトラーゴ伯爵令嬢ヴェルディナだった。

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