75.過去の傷に怯える私はもういない
「
カリストお兄様の声は、厳しい響きを宿していた。お兄様の姿を見るなり、フリアンが暴れる。渾身の力で振り払って飛び掛かろうと思ったのか、単に助けを求めた可能性もあるけれど。お兄様の視線は冷たかった。
「他国へ嫁いで王の妃になる元リベジェス公爵令嬢カサンドラと一線を越えた、その証言が取れました。国交断絶や内政干渉だけでなく、我がフェリノス国の民を路頭に迷わせるところだったのです」
さらに付け足された情報に、ざわりと貴族が声を洩らした。ひそひそと仲間同士で会話が始まる。情報交換の声を、伯母様は咎めなかった。扇を振って広げ、顔を半分ほど隠す。入ってきたお兄様は、遅れながら挨拶をして頭を下げた。
「久しいな、カリスト。用事は終わったのか?」
お父様に申し付けられたみたいね。用事の内容は予想がついた。ここにフリアンが捕まっている。ならばオレガリオやカサンドラ、浮気相手のトラーゴ伯爵令嬢も捕縛されたはず。その指揮を執っておられたのでしょう。遅れてきたのは、その所為だと思われた。
「はい、取り逃がしはありません」
お兄様は誇るように顔を上げて、伯母様に対峙する。その顔をじっくり眺めた後、面白くないと呟いたクラリーチェ様は扇を下ろした。まだ広げたまま、膝の上にある。
「外患誘致は、国家転覆罪と同等であったな。敵を連れ込んだ証拠はあるのか?」
「はい、カサンドラが手元に残しておりました」
しばらく離れていた兄が、何をしていたのか。結果がすべてを物語るだろう。フロレンティーノ小公爵として恥ずかしくない成果を下げ、堂々と顔を上げているのだから。
ゔー! 煩い呻き声を放つフリアンに視線を向けたクラリーチェ様が頷き、フェルナン卿が頷く。許可が下りたことで、罪人の反論が認められた。たとえ罪人と断定されても、言い訳をする権利はある。その内容が認められるか、正当性があるかは別として。
「……むっ、貴様、裏切るのかっ! お前だってその女を助けなかった、くせに!」
「助けたら、さらに裏で陰険な罠を仕掛けたのはお前だろう。知らないと思っているのか? アリーチェの日用品を奪い、虫の入った紅茶を無理やり飲ませた。婚約者以前に、淑女に対する礼儀がなっていない。恥を知れ!」
「なんだと、貴様に言われる筋合いはない! もごっ」
フリアンとお兄様の言い合いは、ここで一度中断された。言い訳や否認は権利だけれど、誰かを罵る権利まで認められていないの。騎士達の当然の判断だった。
そんな罪は犯していない、そう話すなら耳を傾ける。意味があるか判断するのは、女王陛下の仕事よ。だけど、誰かに罪を擦り付けようと騒ぎ立てる言葉に価値はなかった。過去の紅茶事件を口にする時だけ、お兄様は顔を歪める。自分の古傷が痛むかのように。
私はそれで充分救われている。クラリーチェ様の心配そうな眼差しに、微笑む余裕さえあった。あれは過去のこと、日記で読んだ際は衝撃を受けた。この身に起きたなんて、想像するのも恐ろしい。けれど、痛みや悲しみは乗り越えることができる。
父や兄が懸命に塞ぎ、伯母様が癒そうとしている。王妃様を始めとする貴族も味方についた。床に這いつくばって叫ぶ元婚約者の姿を見ても、私の心は波風ひとつ起きない。これが答えだ。過去の傷に怯えたりしない。私は愛され認められているのだから。
「クラリーチェ様、言い訳は終わりのようですわ」
「ふむ、ならば刑を言い渡す必要がある」
すべてを込めた私の言葉に、女王陛下はにやりと笑った。
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