57.本当に心配しましたのよ!

「お嬢様、トランクは?」


 尋ねられてはっとする。靴を脱ぐ際に倒れたトランクを探せば、少し離れた場所に落ちていた。蹴飛ばしてしまったようだ。サーラがすっと進み出て、代わりに拾ってくれた。ついでに靴も拾って返されるが、残念ながら踵が折れている。


 勢いよく殴ったから仕方ない。溜め息をついてまだ履いている右足を脱いだ。ダンスフロアにも使える広間は絨毯が敷かれていない。気遣ったサーラがハンカチを置いた。失礼するわね、後で新品でお返しするわ。


「ありがとう、サーラ」


 良かった。敵に奪われていたら、と思う。でも最初に逃げ出した数人を除き、ほぼ全員が倒れている。奪っても切り倒されていそうだわ。


「立派な攻撃でしたわ、フロレンティーノ公爵令嬢様に幸いあれ」


「本当に素敵でした。我が家でも見習います」


「護身術って役に立ちますのね。我が家も取り入れます」


 周囲の若いご夫人やご令嬢が、わっと賞賛の声を上げた。なんだか照れてしまうわ。そんな騒ぎの中、離れた場所でもじもじする数人のご令嬢が目立つ。ちらりと私を見ては目を逸らすから、悪意があるというより……過去の私に失礼な態度でも取った方々かしら。


 私から歩み寄る気はないので、体の向きを変えた。目が合わないようにして、カリストお兄様の活躍を見守る。指揮を執る兄は、雄姿と呼ぶ活躍だった。筆頭公爵家の跡取りとして、面目躍如だわ。


「全員外へ放り出せ。ご夫人やご令嬢の中で気分が悪い方は、あちらへ」


 手際よく人を振り分けていく。賊と見做した兵士は外へ投げ出され、死人は一時的に放置。生きている者は拘束してどこかに隔離するみたい。広間の奥では、各家の執事や侍女が気付けのホットワインを用意していた。


 一杯だけ頂いたけれど、スパイス入りでアルコールが飛ばしてある。子どもの頃に飲んだわ。懐かしくなった。念のために、サーラが毒見役を買って出た。申し訳ないけれどお願いする。見知らぬ飲み物は、やはり口をつけようとしたら怖いの。サーラの頷きを確認して、美味しく頂いた。


 温かい飲み物で、気持ちも落ち着いたようね。青ざめていたご令嬢達も顔色が戻ってきた。ご夫人達もそれぞれに顔見知りと会話を始める。私の隣にはエリサリデ侯爵夫人が付き添い、様々な夫人と無事を喜びあった。


「遅れてしまった、くそっ……」


 荒い足取りで入ってきたのは、お父様だ。驚いて目を見開く私を見つけ、脇目も振らず人を掻き分けて近づいた。そのまま、無言で私の体を確認する。手や肩、首、頬……くるりと裏返して背中まで。立っているから足は無事だと思ったのね。


「無事で安心した、アリーチェ」


「お父様こそ! おケガをなさったと聞いて……」


 もう半回転して向き合い、お父様のケガを探す。どこかに包帯があるはず。見当たらないから、胸や背中など見えない位置かもしれない。先ほどの元気な足音なら、きっと腰から上ね。ケガを探す私の所作に、お父様は言葉を遮って抱きしめた。


「ああ、心配させてすまん。ケガはこれだ」


 腕に私を閉じ込めたまま、左手の指先を見せる。ケガなんてあるかしら? 目を細めてしまった私に、お父様は手の甲を見せた。切れているといえば……確かに、細い赤い筋があるような……??


「これは……?」


「後れをとって掠めた傷痕だ」


 剣がこう……こんな感じで襲ってきて、弾いたのだが当たった。身振り手振りで説明するお父様に、私は両手を突っ張って距離を取る。驚いた顔をするお父様の頬をぱちんと叩いた。


「本当に、本当に! 心配しましたのよ……ぐすっ」


 涙が滲んで頬を伝う。申し訳なさそうに大きな体を窄めた父は、涙を隠すように私を優しく包んだ。触れるかどうか、ぎりぎりの抱擁が腹立たしくて飛び込む。息を吸い込むと、服からは汗と血の臭いがした。

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