35.ケガをさせたら命の保証ができないわ

 得られた情報は少なかった。彼女は使い捨てだったのね。雑談を振れば、過去の学院生活を聞けたかもしれない。でも、正直なところ興味がなかった。


 平和な状況の話を聞いても、記憶のない私は実感できない。他人事だから、同情も感動もないだろう。ならば、距離を置いた方がいいと思った。


「ありがとう、ゆっくりなさって」


 立ちあがろうと挨拶した私に、さっと父が手を貸す。素直に受けて、伯爵令嬢に背を向けた。サーラが扉を開く。何も言わない元友人に、私はもう何も求めていなかった。


 証人としての価値は低いけれど、いないよりマシだ。王太子に直接届かなくても、ドゥラン侯爵令息を叩くのに、多少役立つ程度。王太子の手足を捥ぐ道具を振り返って気遣うことはない。


 扉の外へ足を踏み出す直前、お父様が私を抱き込んだ。びっくりして上を見上げる。どんと衝撃があり、父の前に立ったサーラが「無礼ですよ」と叱責する。ここでようやく、伯爵令嬢が走って来たと知った。


 武器を持ち込んだ可能性はない。この屋敷の警備や侍女がそんなに無能だと思わない。でも、髪飾りやペンでも人を傷つけることは可能だった。身を挺して守った父が、厳しい目を向ける。


「アルベルダ伯爵令嬢、我が娘に無礼を働くなら……考えねばならん」


 ここで匿うことなく、放り出すぞ。遠回しな脅しに、彼女はそれでも怯まなかった。


「大切なお話が残っています! 王太子殿下には、あの女性の他にもう一人……距離の近い女性がおられました。距離を取っていたから、私やリディアは知っています」


 一気に捲し立てたあと、大きく息を吐き出した。


「リベジェス公爵令嬢です」


 覚悟を決めたのか、声の震えを抑えて言い切った。父の視線から逃れるように、私に視線を合わせてくる。


「王太子殿下はリベジェス公爵令嬢を正妃とし、あの女性を側妃にする。そう側近達が話していました」


 お父様は知らなかったのね。怒りに震える吐息が漏れ、私の旋毛にかかった。もしかしたら、貴族派にしれっと所属していたりするのかしら。この辺の事情は、伯爵令嬢がいない場所でするべきね。


「ありがとう、誠意は受け取ったわ」


 にっこりと笑って、お父様の腕をぽんぽんと叩く。緩められた束縛から、するりと抜け出た。父と腕を組んで一礼する。そのまま退室した。咄嗟の対応が遅れた騎士の、詫びる声が廊下に響いた。


「部屋から出すな」


「承知いたしました」


 彼女の安全のためではなく、私のための命令だった。あの勢いでは、ガラスペンを構えて体当たりされても、大ケガするわ。事実上の危険人物認定と、軟禁だ。それを気の毒と思うほど、私は彼女を知らない。命を保証するだけ、感謝してほしいと感じた。


「お父様、リベジェス公爵家は……」


「執務室に入ってからだ」


「はい」


 腕を組んだまま、並んで廊下を歩いた。ふと気になり、後ろのサーラに声をかける。


「サーラ、ケガはなかったの?」


「はい、ありがとうございます。お嬢様」


 よかったわ。もしサーラにケガをさせていたら、私は伯爵令嬢を公爵家の敷地から外へ捨てたでしょう。命拾いしたわね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る