14.気づいた違和感を無視できない

 夜も更けた屋敷の廊下を歩き、自室へ引き上げる。食事は喉を通らず、スープに口を付けたが胃の中で重かった。料理人に悪いことをしたわ。そう思ったので、伝えてくれるよう執事に声を掛けた。自室で待っていたサーラは何も尋ねなかった。


「もうお休みください。明日の朝、湯浴みの準備をいたします」


 何もせず休んでもいい。そう示されたことで、大人しく従った。ベッドに潜り込み、長い髪をシルクで巻いて横になる。ふと……髪の一部が不揃いなことに気づいた。天蓋の薄布を閉めるサーラが遠ざかったのを確認し、私はそっと指先で確認する。


 今までは結ったり纏めていたため、気づかなかった。髪を弄るサーラは知っていたはず。指摘したからといって伸びるわけではないから、手入れだけしてくれたのかも。確信はないけれど、これも夜会で切られたのだろうと感じた。他に貴族令嬢の髪が千切れることなんて、ないと思う。


 乱暴に扱われたのだろう。大柄な男性に恐怖を感じたのも、触られて震えたのも、すべてここに繋がっていた。頭の中でぐるぐる回る父と兄の言葉が、夢の中まで追ってくる。それでも眠りは訪れた。闇の底へ落ちるように、一瞬で……。




 目覚めは夜明け前だった。まだ薄暗い部屋の中で、嫌にぱっちりと目が冴えている。少し迷ったが、身を起こした。ベッドサイドの引き出しにしまった日記を引っ張り出す。赤い表紙に入った黄金の装飾を指先でなぞった。開いてペンを手に取る。毛細管現象で吸い上げたインクで、すらすらと記した。


 昨夜聞いた話を、父と兄に分けて記入する。真ん中に線を引いて、双方の言葉を記憶通りに書いた。乾くまでの間に、以前書いた部分に目を通す。


「……おかしい」


 違和感は「違う」という指摘になって、嫌な汗を滲ませた。


 最初に目覚めた時、父は「愚かな父を許せ」と縋った。兄は違う。「恨むのは当然」と言い「兄なのに疑った。償いたい」と続けた。それは昨日の話と噛み合わない。


 父は話した通りだろう。仕事で遅れて到着し、エスコートがないことに激怒した。まだ夜会の場にいなかった王太子を探して、戻った広間で私を助けようとした。一緒に捕まって拘束され、国王陛下に……ここまで一気に考えた思考が停止する。


 兄が訴えたから父が解放された。それを逆に言い換えるなら、兄は私の救出の要請をしなかったのでは? 昨夜聞いた状況をそのまま兄が国王に語ったなら、私も一緒に解放されるはずだわ。実際は父だけが解放され、私を探して部屋に飛び込んだのも父。兄ではない。


 兄カリストが私を疑ったのはいつ? 恨まれるようなこととは、どんなこと? 償わなければいけないのは、何に対して。湧き出る感情と考えに、私は胸を押さえた。動悸がして息苦しい。それに涙が零れ落ちた。何に対して泣いているのか、まったく分からないけれど。


 ぽろりと落ちた涙が、日記の文字を滲ませる。まだ乾いていないページをそっと閉じた。反対側に滲んでしまうけれど、涙で読めなくなるよりマシよ。


 兄を信じていいのかしら。もしかしたら裏切るのでは? そう心が囁き、私は驚いた。裏切られた経験があるみたいに、ごく自然に疑った。サーラに続いて信じられるのは父だけ。兄はまだ距離を置こう。そう決めて、袖で涙を拭った。


 もう溢れて来ないのを確かめ、日記を開いてやや滲んだ反対側のページに記す。父の名の隣にマルを、兄カリストにバツを。肩が揺れるほどの呼吸を、ゆっくり整える。


 日記を定位置に戻した室内に、ノックの音が響いた。もう朝なのね。カーテンの隙間から入り込んだ一筋の朝日に、なぜか安堵を覚えた。

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