佳境

 ホールのように広い玄関で、ただ二人の対立。一人は入ったばかりの玄関に、もう一人は角の廊下の前に。

「はめたな」

「正直、お前さえいなければ逃亡は容易なんだよ。それはお前が一番分かってるだろ」

「老人共じゃ相手にならないからな。ここまで事態が進んで死人が出た以上、結界も機能しない。お前らを追いかけるのも意味はない」

「老人じゃなくても意味がなかったな」

「……」

 そうだ、里でも最強の地位に匹敵するカツェン。もちろん実戦でも最強クラスの実力。他の奴だと単独では勝てない。

 ただし、僕を除いて。

 おそらく戦術的な観点のみで危惧したのはカツェンと他の仲間が分断され、自身が取り押さえられること。その逆、自分以外の仲間が僕によって各個撃破されること。

 戦闘に魔法が介入すると、戦術面の問題は戦略的な問題に繋がる。どころか、それを上回ることすらある。

 僕の力を封じ込める術は何か用意してあるのだろう。でなければ、今ここに一人でいるはずもない。

「やるよ」

 角から引っ張り出して、無造作に軽々しく投げてきたのは、

「っ!」

 ほんの一時間前に天空で別れた、フラーデベルの身体だった。

 落ちないように慌てて腕で受け止める。

 意識のない身体は重く、ずっしりと体にくる。腹は刺され、二の腕は抉られ、ただでさえ白い肌は血の気が抜けて真珠色と化して死化粧のかかったようである。

 息はまだ浅く残っているが。

 透明な髪は朝の時のように赤く染まっていた。染めた赤ではなく、鮮血の色。何度も見てきた暗い褐色はもう見慣れたものなのに目の裏に残り、吐気が湧いてくる。

「お前を釣るためにアイソートルを使った。さしものお前もこいつからなんの反応もないならこっちくるだろ」

「黙れ」

 そうだ、こんなことは分かっていただろう。

「この状況において、お前の適解は二つある。一つは里の中枢部で散らばっている俺の仲間が集結する前に倒すこと」

 そうだ、そうすれば良かったのだ。フラーデベルの状況が普通でないのは察せたはずだ。なんで見捨てなかった、なんでこっちに来た。

「もう一つは俺のことを、俺がお前を倒す準備ができる前に倒すことだ。……言わなくても分かっただろうが」

 そうだな。

「皮肉だな」

 全くだ。

「里で同じ教育を受けたから、お互い戦略的な発想は同じになる」

 だろうな、個人の意思よりも全体の状況を優先して判断できるように仕込まれている(洗脳されている)。

「だからお前の判断ミスは、お前がたった一人の人間に向ける感情の方が勝ったから」

 こうなると、言い分も分かる。

「お前は、里最強でも何でもない。感情を優先させた時点で、お前は里の人間として失格だ」

 ……あぁ、そうだな。

「黙れ、愚か者。反乱なんか本当に成功すると思ってるの?」

 声の主は、言うまでもない。

 フラーデベルだ。

「負け犬のくせに笑わせるな、結局は勝った者が正義なんだ」

「ガキめ」

 全く同感だがあちらはさぞ不愉快なようで、顔から怒りが滲みでてている。

「ごめんヴィーガン。多分もうすぐ死ぬ」

 あぁそうだな。

 この出血量、この傷。たとえこの手の素人であっても、これを見ればまず助からないと思うだろう。しかしなぜか、思っている言葉とは反対の言葉が零れる。

「嫌だ」

 なぜだろう。なぜ、分かりきっているものを受け入れようとしないのだろう。

 なぜだ、なぜだ。

「へぇ、ヴィーガンも泣くんだね。面白いもの見れた」

 血を吐いた口元から弱弱しく微笑む。

 そもそも泣いているのか。 何を言っているのか、仲間が死ぬなんてそこまで珍しいことでもないだろう。今更泣いたところで、そもそも泣くようなことでもないだろう。まさかと思って頬を触ったがよく分からない。本当に泣いているのか。

「死ぬなよ、生きて。生きてよ」

 一瞬驚いた後、たった一言。

「私は……、私はあなたを愛してる」

 そうして、髪留めを手に預けて。

 ‼

 ……。

 それが、この世で最後の彼女の発した言葉だと分かった。人は意識を失うと、自分の力でバランスを取らなくなるから一気に身体が重くなる。手にずっしりと沈み込む。

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