第7話 居候離れの時
「あの、村瀬さんはおいくつで?」
「三十六だけど」
「じゃ、自分が一つ下ですね」
「見た目は私の方が年齢より若いけどね?」
「……はぁ」
棘のある返しをされた俺は言葉に詰まった。だが、異論はない。
「ところでうちの事務所に入りたいんだってね」
「はい。お願いします」
「事務所に入るってことはどういうことか分かっている?」
「と、言いますと?」
「契約すれば最低限のルールが存在する。これが契約書です。内容を読んで理解して下さい」
そう言いながら村瀬さんは鞄から契約書の紙をテーブルに置いた。
契約用紙には難しい文面が並んでいるが、要約すると収入の四割を事務所へ差し出すとか問題行動をすれば違約金が発生するとかよく聞く内容である。
「勿論、事務所に入ればメリットがある。配信に必要な経費やプロの人材を手配したり援助する。やっていることは個人事業主だけど、それを会社みたいにするって形式かな? この内容で問題なければ契約書にサインをしてください」
「援助ってどんなことをしてくれるんですか?」
「まぁ、サポートしてくれる編集者とかプロのカメラマンとかうちにいるから。他にも機材も相談に応じて買ってもいいし」
「俺、無一文で家もないんですけど、大丈夫ですか?」
そう言うと村瀬さんはポカンと察したような表情を浮かべた。
「そこからですか。まぁ、最初は収入のほとんどをもらうことになると思います。それでもよければですけど、どうですか?」
「契約します!」
俺は契約書にサインした。
元々契約するつもりだった。考えたところで俺には選択肢がない。
「はい。確認しました。普通だったらこんな待遇はないですよ? あなたの実力を見越しているんです。難しいダンジョンをいともたやすく攻略したその実力は稼ぎ柱になる。そう確信しているんです」
「そうですか。ならお願いします」
「部屋や機材は手配します。サポートしやすいように事務所から近い場所になると思うけどいいかしら?」
「俺は住めるならどこでも構いません」
「分かりました。では、後日詳細をメールでお送りしますのでそちらをご確認ください」
「はい。ありがとうございます」
話はトントン拍子で決まっていき、部屋を借りてもらい、機材を揃えてもらった。
そのことを沙里奈に報告する。
「へぇ、部屋まで貸してくれたんだ。随分、待遇がいいわね」
「あぁ、それほど俺に期待しているってことだよな」
「まぁ、そうかもしれないね。なんと言っても私の知名度もあるんだから」
「沙里奈ってそんな有名なの?」
「チャンネル登録者数八十万人いるのよ? まぁ、そのうちの半分はお兄ちゃんのおかげでもあるんだけど」
「へぇ。そうなんだ。それは凄いのか?」
「凄いに決まっているでしょ。無名から数万人まで持っていくことすら難しいのよ」
「そうか。じゃ、俺も頑張らないとな」
「なんだかノリが軽いわよ、お兄ちゃん」
「そんなことないよ。でも異世界で痛い目見てきたからそれに比べたら対したことないと思ってさ」
「ふ、ふーん。まぁ、別にいいけど。それより、いつ出ていくの?」
「一週間後だって」
「そ、そう。良かったじゃない」
「あぁ、本当に良かった。でも稼げなくなったらまたここに戻ってくるからその時はよろしく頼むよ」
「誰が頼まれるか。そんなこと。失敗したらその辺で野垂れ死になさいよ」
「酷い妹だな。本当に死んだらどうするつもりだよ」
「そんなことにならないから安心してよ。お兄ちゃんの実力は分かっているから」
沙里奈はいつにもなくツンデレを見せた。
そして、俺が新居に引っ越す日のことだ。
「紗理奈。短い間だったけど、世話になったよ」
俺は紗理奈にそう告げた。
「はい、はい。もういいからさっさと行きなさい」
紗理奈は面倒そうにスマホを弄りながら俺とは目も合わせなかった。
「なんだよ。お兄ちゃんが居なくなるっていうのに寂しくないのか?」
「はぁ? 何を言っているの? そんなんじゃないし」
「稼げたら旨いものご馳走するからさ」
「焼肉」
「え?」
「高級焼肉をご馳走して」
「分かった、分かった。じゃ行くわ」
「お兄ちゃん。またここへ遊びに来ていいから」
「おう。また来るよ」
素直じゃない紗理奈だったが、この短期間だけでも一緒に暮らせてよかった。長居をすると迷惑だからこれくらいが丁度いい。
義理の妹とはいえ、多少は兄妹の絆が深まった……気がした。
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