#4 可愛い可愛い猫ちゃんをお迎えだよ! ウェヒヒヒヒヒ!

「というわけで静雫ちゃんの世話係は幸人にけってーい! はい拍手」


 診察室に戻ると、兄貴の明るい声とともに、天井から垂れ下がったくす玉が割れ、俺の頭に紙吹雪が舞い落ちる。


「えっ、いや何? どういう状況? 人がいない間に何決めてんの?」


 問い詰めると兄貴は悪びれる様子もなく答える。


「そりゃ、静雫ちゃんは一人暮らしなんだぞ。猫の姿じゃ家事もできないし、誰かが面倒を見ないといけないだろ」

「申し訳ありません幸人さん。お手数をおかけします」


 兄貴の言葉に続き、黒猫ちゃんになった静雫がすまなそうに告げる。

 しかし、俺が静雫の世話係? つまり今日からこんなに可愛い黒猫ちゃんとの共同生活が始まると言うことか?


「とりあえず静雫ちゃんには薬を出しておくから数日は様子見だ。幸人は春休み中で暇だろ? 猫の扱いもわかってるし、一緒のアパートで住んでるんだからこれ以上なく適任だろ」


 むっ、むむ。確かにもっともらしい理由だが。


「確かに俺は昔から猫ちゃんとの生活を夢見て、猫ちゃんの飼い方を勉強してきたし、猫ちゃんの喜ぶおもちゃ類を集めて日々イメージトレーニングに励んできたとは言え、こんなに可愛い猫ちゃんと一緒に暮らすなんて、いや可愛い、本当に可愛いな。もふもふしたいな。肉球触りたい」


 話しながらも俺の視線は可愛い可愛い黒猫ちゃんに釘付けになり、途中から自分が何を喋っているのかもわからなくなった。


「めちゃくちゃニヤけてるじゃねーか、嬉しいなら素直に言えよ」

「あの、幸人さん? なんだか目が怪しく輝いているように思えるのは気のせいですか? 早くも身の危険を感じるのですが」

「あのあの、イメージトーレニングって、その、ひょっとしてユキがいつも抱いてる猫ちゃんぬいぐるみはそういうことに使ってたの?」

「リアル猫を飼ってるわけでもないのに、猫用おもちゃとぬいぐるみでエア飼育してたとか、ちょっと怖いっすよパイセン」


 みんなが何やら言ってるがもはや関係ない。今日から俺は静雫猫ちゃんと一緒に暮らすのだ。


「そんじゃパイセン、ウチからの餞別っす」


 深白が可愛らしいピンクのナップザックを俺に渡す。


「静雫の着替えを詰め込んできたので、人間に戻った時に使ってください」


 人間に。そうか、冷静に考えると今の猫ちゃん姿の静雫はすっぽんぽんなのだ。

 突然人間の姿に戻ったりしたら大変なことになるかもしれない。


「幸人さん、なんで顔を赤くしてるんですか?」


 猫ちゃんの静雫がジト目で見つめてくる。

 いや、だってほらもしラッキースケベ的な展開になったらと思うとドキドキしてくるのは仕方ないだろ?


「あのねユキ、もしもの時はこれを使って」


 言って奏音が数個のマフィンが詰められた透明な袋を差し出してくる。

 お手製らしきラッピングを見て俺は察した。


「ひょっとして奏音の手作りか?」

「あ、うん、その、ボクお菓子作りが趣味で。って言っても下手の横好きなんだけど」

「いや、美味しそうだよ。食べていいか?」


 俺は袋からマフィンを一個取り出して口に運ぶ。


「あっ、待ってユキ。それはね、いざというときに食べて。もし静雫が突然人間に戻ったら、この子の裸を見た記憶を消す為に使って」


 記憶を消す? 不穏な響きに俺は問い返す。


「つまりこれはラッキースケベの記憶を都合よく消せるマフィンだということか?」


 しかし奏音は首を横に振った。


「えっとね、そんな都合のいいものはないから。そのマフィンを食べた人は、全部の記憶を失って言葉も喋れなくなるの」

「恐い! なんて恐ろしいものを!」


 即座に俺は食べようとしていたマフィンを袋に戻す。


「あっ、ごめんねユキ。やっぱりボクみたいな素人の作ったお菓子なんて駄目だよね。想定外の副作用が起きたら大変だもんね」

「いや想定通りの主作用が既に大問題なんだが!」


 そこで深白と兄貴の揶揄が飛んでくる。


「パイセン、女の子の手作りお菓子っすよ。一口くらい食べましょうよー」

「そうだぞ幸人、別に死ぬわけじゃなし」

「反応おかしいだろ! 俺が廃人になってもいいのかよ!」


 ワイワイ騒いでいると、奏音が自信なさげに俺を見つめながら言った。


「あ、あのね、ユキ、もし良かったら、食べた感想とか聞かせてほしいな」

「食べたら言葉も忘れちゃうのに!」

「だ、大丈夫だよ。たとえユキが何も話せなくなっても、ユキの気持ちはなんとなくわかると思うんだ。ボクら幼馴染だもん」

「幼馴染の絆ってやつか。イイハナシダナー。そもそも俺を廃人にする元凶がお前ってことに目を瞑れば美談なんだろうなー」


 そんなやりとりを経て、俺は今日から一人暮らしする予定のアパートに一匹の同居人を連れて帰るのだった。

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