#3 猫ちゃんを病院に連れて行かなきゃ! 大丈夫怖くないよ!

『オージーザス! なんという事デース! 人間が猫になるという恐るべきウィルス、その名もネコナウィルス! まさか私の可愛い一人娘の静雫が感染するなんて! この世には神も喉仏もないのか!?』


 パソコン画面越しに男泣きする静雫の親父さん。

 次の瞬間、彼の首が筋肉質な腕にホールドされ、締め上げられた。


『喚くんじゃねえよお父さん! 静雫は大丈夫だ! アタイらには筋肉の神様がついてる! 筋肉がある限りウィルスなんぞに負けやしねえ! 静雫は必ず死の淵から息を吹き返す! アタイらの娘を信じてやろうぜ』

『オウ! お母さん、グヘッ、く、苦しいデース! ジャパニーズ三途の川が見えマース』


 筋肉ムキムキでガタイがいいこの女性は静雫のお袋さんらしい。

 両親揃ってキャラが濃すぎる。

 黒猫ちゃんの姿となった静雫はパソコンカメラ越しに両親の言葉をかける。


「お父さん、お母さん、私のことは心配しなくて大丈夫です。ネコナなんてただの風邪みたいなものですから」


 いや、現在進行形で首を絞められてる親父さんを心配してあげて。


「その通りだ静雫ちゃんのご両親!」


 その時、シルバーネックレスをジャラジャラと首から下げた、茶髪混じりのアップバングの青年がパソコンカメラに向けて力強く言葉をぶつけた。


「ウチの病院に静雫ちゃんを連れてきたからにはもう安心。世界最強の獣医であるこの二階堂光亮こうすけがネコナウィルスを必ず完治させて見せますよ。黒船に乗ったつもりでいてください」


 ペリーに開国迫られたらどうするんだよ。

 しかし彼の登場に、静雫の両親の目の色が変わる。(ついでに親父さんが首締めから解放される)


『アンタは最強獣医決定戦の世界チャンピオン、二階堂先生じゃねえか!』

「最強獣医決定戦って何!?」


 思わず俺は声に出してツッコんでしまう。

 それに答えたのはドクター二階堂本人だ。


「知らないのか? 言葉通り最強の獣医を決める大会だ。参加者は猛獣の檻に入って、最後まで生き残った獣医の勝ちだ」

「獣医ってそんなデスゲームやるの!?」


 既に社会人として独り立ちし、家を出ている俺の兄、二階堂光亮。

 離れて暮らしていたせいなのか、獣医の仕事というのは俺の想像とは大分かけ離れたものになっていた。

 そこで兄貴は俺に顔を向け、世間話でもするかのように軽口を叩く。


「そういやお前と会うのも久しぶりだな、幸人。家出してきたんだって?」

「家出じゃないですう。今日からメゾン四宮で一人暮らしするんですう」

「知ってるよ。俺と一緒のアパートってことでなんとか母さん達を納得させたんだろ」


 くっくっく、と意地悪く笑う

 そう、兄貴もまたメゾン四宮の住人の一人だ。

 現在俺達がいるのは、兄貴が勤めている動物病院の診察室。

 室内にいるのは俺と兄貴、猫ちゃんになった静雫と、そして深白と奏音。


「それにしてこんな形で光亮さんの職場にお邪魔するなんて思わなかったっすよー」

「うん、静雫がこんなことになって不安だったけど、光亮お兄さんならきっと助けてくれるよね」


 メゾン四宮の住人は俺含め六人。

 その内、五人がこの診察室に集まっている形になる。

 そういえば、最後の一人とはまだ会ったことがないな。

 そう思っていると、ガチャリと音を立てて入り口のドアノブが回された。

 噂をすればなんとやら、きっと現れたのはメゾン四宮の最後の住人である――


「グアアアアアアアア!」


 いや、誰!?

 乱暴に開け放たれたドアから熊が雄叫びを上げながら入ってきた。

 熊は手に持ったアサルトライフルを俺達に向ける。


「熊!? なんで熊がここに!?」

「ユユユユユユキ、どうしよう」


 取り乱す深白、涙目になりながら頭を抱える奏音。

 そんな中で一人冷静な様子で、兄貴は言葉を吐き出す。


「どうやら、お腹を空かせた熊さんが山から降りてきたようだな」

「山にいる熊さんがあんなゴツいアサルトライフル持ってるわけないだろ!」

「多分、山にはアサルトライフルの木が沢山生えてるんだよ。この辺の名産品だしな」

「名産品買ったら銃刀法違反になっちゃう!」


 一方、その光景をパソコン越しに見ていた静雫のご両親も悲痛な叫びを上げる。


『クマだあー! 静雫逃げるんデース!』

『筋肉を信じろ静雫うううう!』


 くっ、なんてことだ。

 とにかく可愛い猫ちゃん姿になってしまった可愛い静雫だけでも守らないと。

 ああ可愛いな。あと熊怖い。


「クマアアアアアアアン!」


 謎の雄叫びと共に熊は兄貴に銃口を向ける。

 狭い診察室内に無慈悲な銃声の連射が響き、俺は瞼を閉じた!

 銃弾を正面から受けた兄貴は、果たしてどうなったのか?

 目を開けると、兄貴は熊の前に立ち、片手を突き出していた。

 その指の間には何発もの鉛玉が挟まっている。

 まさか、銃弾を素手で掴みとったとでも言うのか?

 兄貴は不敵な笑みを浮かべながら、熊に向けて言葉を放った。


「朝飯にハエが止まって見えるぜ」


 汚い!

 銃弾にハエが止まるほどゆっくりに見えるとか、朝飯前だぜとか言いたかったんだろうが、絶妙に残念な決め台詞になっていた。

 そこで兄貴は銃を構えたままの熊に優しく微笑んだ。


「わかってる。腹減ってんだろ? だから人里に降りてきたんだよな」


 言って彼は熊の片手に自分の手を重ねる。


「ほら、これで美味いもんでも食え」


 そして熊の手には一万円札が置かれていた。

 いや、熊に日本円を渡してどうすんねん!

 しかしそれが効果があったのかなんなのかわからんが、熊は急におとなしくなり、万札を握りしめて診察室のドアから出ていった。


「またのお越しをお待ちしています」


 などと兄貴は呑気に言うが、二度と来ないで欲しい。

 熊が去ると、室内が落ち着きを取り戻す。

 続いてパソコン越しに静雫の両親が興奮した様子で捲し立てた。


『す、すげええええ! 暴れてた熊を一瞬で手懐けちまった! これが世界最強の獣医の力か! 先生アンタすげえよ!』

「はっはっは、獣医たるもの動物の気持ちがわからないと務まりませんから」


 獣医は猛獣使いじゃないと思うんですが。


『流石デース。どうしてあの熊さんが空腹だってわかったんデースか?』

「今朝の星座占いで熊座の人のラッキーアイテムがアサルトライフルでしたからね。そこから推測した結果です」


 何をどう推測したんだよ! 熊座って何月生まれだよ? ラッキーアイテムがアサルトライフルって言われても一般人には調達できないよ!

 その星座占い、インチキって言葉で済むレベルじゃないだろ!

 俺は診察室のドアに目を向ける。

 結局あの熊は一体何者だったんだ? というか病院内をあんな熊が歩いてたら大騒ぎになるのでは。

 内心ビビりながらも熊の正体が気になり、ドアを開けて廊下へ出る。

 すると、そこに奴はいた。

 熊はアサルトライフルを廊下の壁に立てかけ、自分の頭を両腕で掴んでいる。

 そして勢いよく頭を取り外した。

 熊の頭の下からは、美しいアッシュブロンドのポニーテールが姿を現す。

 なんと! あの熊は着ぐるみで、しかも中に入っていたのは女の人だったようだ。


「あの、貴方は一体?」


 背後から声をかけると、彼女が振り向く。

 その顔を一目見て、俺は息を呑んだ。

 整った目鼻立ちはまるで神に愛されたような造形美。

 絵画から出てきたような静謐さと可憐さを併せ持つ彼女は深窓の令嬢のようであり、その口から紡がれる声は小鳥の囀りのように綺麗な音色を――


「クマアアアアアアアン!」


 恐ああああああああああい!


「あっ、すいません。ついつい熊マインドトランスが深すぎて人間語を忘れていました」


 申し訳ないと彼女は一礼する。

 ビビったあ! 熊マインドトランスの意味はさっぱりわからないけど、とにかく恐かった!

 彼女は上品に微笑みながら言葉を紡ぐ。


「二階堂先生の弟くんですよね? 初めまして、わたくしは五月女さおとめ凛々りりと申します。今回は先生のお手伝いをさせていただきました」


 お手伝い、その言葉を聞いて俺は合点がいった。


「つまりさっきのは兄貴の獣医としての腕を見せつけて、静雫の両親の信頼を得るための芝居だったんですね」

「察しがよくて助かります」


 そうか、そうだったんだ。そりゃあ病院に熊が忍び込んでくるなんておかしいもんな。


「じゃあ、あの銃も人を傷つけるものじゃなくて、実はオモチャの銃だったとか――」

「あっ、あれは本物ですよ。本気で二階堂先生を殺そうとしました」

「なんで!?」


 見るからに清楚でお淑やかなお姉さんが、俺の身内に殺意を向けていることが発覚したのだが俺はどんな反応をすればいいんだ。


「自慢じゃないのですが、わたくしの家はお金持ちで裏社会にも繋がりがあるんです。それで駄菓子屋のお爺ちゃんから肩叩き券と引き換えに銃を購入したんです」


 恐い! 駄菓子屋のお爺ちゃんって何? 肩叩き券って何? 言葉どおりに受け取っていいの? 何かの隠語なの?


「いやいや、銃の入手経路よりもウチの愚兄を殺そうとした理由をお聞きしたいのですが? 兄が何か失礼をしていたら弟として全力で謝罪します」

「いえいえ、先生はとても紳士的で素敵な方です。恨みなんてこれっぽっちもありませんよ」


 どうやら怨恨の線ではないらしい。では一体何故兄貴は命を狙われてるのだろう?


「そうですね。それを説明するにはわたくしと先生の出会いから話さなければなりません」


 そう言って凛々さんは遠い目をしながら語り始める。


「あれはわたくしが大学の春休み中のことでした。暇を持て余していたわたくしは、どこにでもいる一般的なお金持ちらしくデスゲーム観戦に出かけました」


 お金持ちのイメージが歪みまくってる!


「そうして辿り着いた最強獣医決定戦、そこでわたくしは先生と出会いました。

 毒蛇に首筋を噛まれても、ライオンに頭から食いつかれても、先生は笑顔を絶やさず平然としていました。そんな彼の不思議な魅力にわたくしは気付けば心奪われていたんです」

「俺も不思議だよ! なんで兄貴生きてんだよ!」

「そう、それなんですよ」


 凛々さんが興奮した様子で捲し立てる。


「何故先生は生きているのか? どうやったら死ぬのか? それをわたくしの卒業論文のテーマにしようと決めたのです。ほら、お金持ちって不老不死に憧れるものでしょう?」


 へー、大学生って卒業論文とかあるんだ。大変なんだなー。

 いや、ウチの兄の生死を研究課題にされる方がもっと大変だわ。


「と、言うわけで先生がどうしたら死ぬのか、わたくしは日夜研究を続けているというわけです。ところで弟くん」


 凛々さんは先ほど兄貴からもらった万札を熊ハンドで器用に掴み、ひらりと翻して見せる。


「バイト代も貰えたので、一緒に牛丼でも食べに行きません? 奢りますよ」

「お金持ちなのに食の好みが庶民!」


 マッド過ぎるお嬢様の登場に俺が戦慄していると、彼女は恍惚とした表情で頬に手を当てながら語る。


「色んな高級料理を口にしてきましたが、やはり牛丼こそがこの世で一番美味しい飲み物だとわかりました」

「庶民のファストフードにハマっちゃうタイプのお嬢様キャラだったかー」


 めちゃくちゃ頭のヤバいお嬢様を前に、俺はもう診察室に戻りたい一心だった。


「とりあえずお気持ちだけ受け取っておきます。友達がネコナになっちゃってそれどころじゃないんで」

「あらっ、それは大変です。何かあったらわたくしを頼ってください。すぐ近くにいますから」

「えっ?」


 すぐ近くにいる? それってどう言う意味だ?


「申し遅れました。私はメゾン四宮の二◯二号室の住人です。一緒のアパートに住む者同士、これからよろしくお願いします」

「なんで? なんでお嬢様があんなボロアパートに!」

「それはもちろん先生を暗殺、コホン。ではなく生命の神秘を探求するために」

「今さら取り繕わなくていいです!」


 頭痛えええええええええ。

 静雫のネコナだけでも大変なのに、お金持ちで裏社会と繋がってるお嬢様に兄貴が命を狙われてるという情報量は俺のキャパシティをオーバーしている。

 俺は逃げるように、診察室へ戻るのだった。

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