#2 お引越しだよ猫ちゃん! ハアハアハア! 可愛いなあ゛!

 突然だが、猫ちゃんってとてつもなく可愛い生き物だと思う。

 フサフサモフモフの毛並み、三角の耳、無防備で愛くるしい寝顔、そしてなにより俺の心を掴んで離さない肉球という神秘の存在。


「なあ、キミもそう思うだろ。ジェノくん」


 バスの揺れを感じながら、俺は長年連れ添った茶トラ猫ちゃんを膝の上に載せて背中を撫でる。


「ふふ、ジェノくんは今日も可愛いなあ。毛並みが綺麗で触り心地も最高だよ」


 そんなことを呟いていると、他の乗客の話し声が耳に入る。


「ママー、あのお兄ちゃん。猫のぬいぐるみ撫でながらニヤニヤしてて気持ち悪いよ」

「息子よ、目を合わせてはならぬ! あれはこの世ならざる存在。魅入られれば我らもあちら側に引き込まれるであろう」

「どうしたタカシ? ママなら一週間前に葬式を終えたばかりだろう。辛いだろうがお前も現実を受け入れて生きていくんだ。ところで父さんな、再婚の約束をした相手がいるんだが」

「はっ、ざけんなクソ親父。ママが生きてる時から不倫してやがったなテメエ。もう我慢できねえ、ぶん殴ってやる!」

「い、いや落ち着いて話を聞いてくれタカシ。髪の毛を引っ張らないで! カツラが! カツラがずれる!」


 なんかほのぼのした親子の会話が聞こえたような気がするが、まあ俺には関係ないだろう。

 俺は心を落ち着けるために茶トラの背中をもうひと撫でする。

 さあ、ジェノくん。

 もうすぐ着くよ。俺達の新しい家に。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 俺こと二階堂にかいどう幸人ゆきとは猫ちゃんが好きだ。

 近所に猫ちゃんを飼ってる家があれば毎日でも会いに行くし、今まで食べたパンの数は覚えてなくても、動画サイトの猫ちゃん動画をお気に入り登録した回数はやっぱり覚えていない。

 本音を言えば自分の家にも猫ちゃんをお迎えしたい。

 だが、両親の仕事の都合で各地を転々としていたウチではペットを飼うことはできなかった。

 しかし高校二年になる今年、両親を説得し、夢の一人暮らしを実現したのだ。

 俺の新たなる城、メゾン四宮しのみや

 年季の入ったアパートの前に立ち、ジェノくんを胸に抱く。


「ご覧、ジェノくん。今日からここが俺達の愛の巣になるんだよ」

「あっ、ウチのアパート、ペット禁止っすよ」

「ホワァイ?」


 早速出鼻を挫かれ、俺は声の方を振り向く。

 そしてその少女を一目見て、俺は息を呑んだ。

 春の日差しに照らされたツーサイドアップの髪は太陽よりも眩しい黄金色にキラキラと輝き、青空よりも澄み渡ったスカイブルーの瞳は、コウモリの髪飾りが示す通り小悪魔のように楽しさを滲ませている。

 四宮しのみや深白みしろ、このアパートの大家の娘にして俺の幼馴染の少女。

 彼女は片手を上げて元気に挨拶した。


「チョリーッス。お久しぶりっすパイセン!

 直接会うのは三年ぶりくらいっすかね。なんかめっちゃ背え伸びてて東京タワーよりデカくなってるから一瞬誰かわかんなかったっすよ」


 そう言って彼女はケラケラと笑う。

 まあ俺も身長を褒められて悪い気はしない。


「ああサンキュ深白。まあ東京タワーは俺の弟みたいなものだからな。東京タワーのオムツ替えたこともあるし、アイツには飯も奢ってやったっけ」

「マジっすか、パイセンぱねえっす! 東京タワーって何食べるんすか?」

「アイツ意外と少食だからなー、人の心に巣食う憎悪や嫉妬をよく食べるんだよ」

「東京タワーはラスボスだった?」

「憎悪ばっかり喰ってないで、魚や野菜もバランスよく食えって言ってるんだけどなー」

「それって同列に並ぶものなんすか! パイセンマジやばっすね」


 それにしても彼女と最後に会ったのは小学生の時以来か。

 俺の一個下で今は高一の筈だが、記憶の中の姿からずいぶん成長している。


「にしてもパイセンがウチのアパートに住むって聞いて楽しみにしてたんすよ。あっ、さっきも言ったけどペット禁止なんで」

「うっそ、引っ越し落ち着いたら里親募集とか調べるつもりだったんだが!

 大家が知り合いってことで、親がここしか許してくれなかったけど、なんという落とし穴!

 いいもん、俺にはジェノくんがいるから」


 言って俺はもっふもっふ毛並みの茶トラを抱きしめる。


「あー、そのぬいぐるみ。パイセンが小さい頃から大事にしてた子だ。可愛いけど、流石に男子高校生がぬいぐるみ抱いてる絵面はキツいっす。パイセン恥ずかしくないんすか?」

「何を言う。ジェノくんはこの世界を統べる魔王だぞ。真名まなはジェノサイド・ファイナルトルネード・オブ・ザ・ライトニングノヴァ」

「いや、そんな小学生が考えた必殺魔法みたいな名前つけて恥ずかしくないんすか?」


 呆れ顔の深白は置いておいて、俺は改めてアパートを見上げる。

 部屋数八部屋で二階建ての小さなアパートだ。

 そろそろ自分の部屋に入るとするか。


「俺の名前は二階堂幸人。今日から住む部屋二階をゲット。邪魔する奴は視界からアウト!」


 ご機嫌に歌いながら俺は外階段に足をかける。


「いや、ラップ調で歌ってもパイセンの部屋は一階っすよ」

「なんでだよ。俺は二階堂だぞ! 二階に住むのがジャスティスだろ!」

「二階堂だからって特別扱いされると思ったら大間違いっすよ。ウチのアパートの経営理念は二階堂もそうでない人も平等に暮らせる場所を提供することっすから」


 そんなニッチな理念、初めて聞いたわ。


「てかパイセン、自分の部屋も知らないとか下見とか一切しなかったんすね」

「遠かったからなー。ペット禁止を確認しなかったのは後悔してるよ」


 テンションだだ下がりで俺は階段を降りる。


「で、パイセンの部屋は一階の一番端っすよ」

「端ぃ?」


 改めてアパートの前に立ち、建物を見上げる。

 一階と二階にそれぞれ四部屋づつ。

 俺は一階の右端の部屋へ向かいドアノブを回した。


「きゃあっ!」


 俺がドアを開くと同時に、丁度中から出ようとしていたらしき少女がよろめきながら姿を現す。

 何ということだ。この部屋は美少女付き物件だったのか。

 部屋から出てきた彼女を改めて見る。

 肩口まで伸ばされた栗色の髪は両サイドで細三編みにして結えられており、頭に載せた白いセーラー帽と、青と白のセーラーワンピが清楚な印象を引き立てていた。

 気弱そうなブラウンの瞳が俺を見つめて揺れる。


「あ、あの」


 彼女が何かを言おうとして口を開く。


「あの、その、あ、あな、貴方は? ええっと、こ、ここ、ボ、ボクの、部屋、だよ」


 顔を赤くしてめっちゃ言葉に詰まってた。

 わたわたと焦りながら話す彼女が可愛くて、とても庇護欲をくすぐられる。


「よし暮らそう! 今日から俺達は家族だ! お兄ちゃんがキミを守ってあげるからな!」

「えっ、ええ!」


 セーラー帽の彼女が困った声を上げると、深白が呆れた様子で言葉を吐き出す。


「はい、セクハラー! パイセン、イエローカードで通報っす」


 なんだと? 俺は即座に反論する。


「ズィスイズマイハウス、ドゥーユーアンダスタン?」

「今日からパイセンの家はブタ箱っすよ」

「美味しそうじゃねえか、豚肉は好物なんだ」


 俺の歓迎会のメニューが豚しゃぶに決まったところで、深白は説明する。


「パイセンの部屋は一階の左端っす。右端そっち奏音かのんパイセンの部屋っすよ」

「奏音?」


 その名前には覚えがあった。


「お前、奏音か! うわー、久しぶりだな。俺だよ、幸人だよ。小学生の頃一緒に遊んだろ!」


 俺の幼馴染の一人、三枝さいぐさ奏音かのん

 引っ込み思案で、俺達幼馴染組の背中に隠れていた姿を思い出す。

 俺と同じ高二の筈だが、根本的な性格は昔と変わってないらしい。


「えっ、ユキ。あの、あの、今日からここに住むって言ってた、あの?」

「そうそう、ユッキーパイセンは今日からウチらメゾン四宮の家族ファミリーっすよ」

「おう、今日からよろしくなお隣さん」

「いや、お隣ではないっす」


 言って深白はこちらにジト目を向ける。


「パイセンの部屋は一○一号室。奏音パイセンが住んでるのは一○四号室っす。

 で、パイセンのお隣である一○二号室の住人は何を隠そうウチなんすよ」

「へー、お前もここに住んでるんだ」


 親の物件で一人暮らしなんて、微塵も独り立ちできてないと思うが。

 そんな風に考えてると、深白は嬉しそうに自分の顔を指さしてアピールする。


「パイセンパイセン! ウチの好感度上げておけば、料理作り過ぎちゃってお裾分けイベントとか起きるかもしれないっすよ」

「お前、料理できんの?」

「得意料理は憎悪と嫉妬のグラタンっす!」

「魚や野菜もバランスよく食えって言っただろ!」


 三年ぶりの再会だが、スルスルと昔の感覚が戻ってくる。

 そうだ、あの頃も俺達はこんな風に馬鹿騒ぎをしてたっけ。

 俺と深白と奏音と、そしてあと一人。

 そういえばあの子は元気でやってるかな?

 そんな風に昔一緒に遊んだ幼馴染に思いを馳せていると、そこに凛とした声が割り込んでくる。


「あれ、お客さんですか?」


 カンカン、と金属製の外階段を下る足音と共に、その少女は俺達の前に姿を現す。

 春一番の風に吹かれて靡く長い髪は、見惚れるほど美しい烏の濡れ羽色で、顔の左側の髪に巻き付けられた赤い紐リボンがよく似合っていた。

 均整のとれた顔立ちは、熟練の職人が手がけた精巧な日本人形の様であり、あどけなさと淑やかさが同居している。

 白いノースリーブシャツの上に黒いジャケットを緩く着崩したファッションは、ジャケットに袖を通してなお肩出しスタイルになっており、とてもキュートだ。

 ベージュのキュロットパンツからスラリと伸びた生足は健康的な魅力を放っている。


「あれっ、貴方は?」


 俺を見て不思議そうな顔をする彼女に、片手を上げて挨拶をする。


「よお! 今日からこのアパートの一億一号室に越してきたんだ。よろしくな静雫しずく

「一億一号室! ウチのアパートにそんな隠し部屋があるんすか!」


 深白うるさい。

 今は目の前の黒髪美少女と話してるのよ。


「えっ、私の名前?」

「そうそう、久しぶりだな。一葉いちよう静雫しずくちゃん。俺のこと覚えてないか? 昔よく一緒に遊んだろ」

「昔、そういえば」


 遠い目をしながら、彼女は過去に思いを馳せる。


「目出し帽を被った小太りな中年男性が、息を荒くしながら『お嬢ちゃん可愛いね。アイスあげるからウチに遊びに来ない?』って誘ってきたことが」

「その人、絶対俺じゃないから! よく魔法少女ごっこに付き合ってあげた優しいイケメンお兄ちゃんの二階堂幸人を思い出して!」


 不審者おじさんに記憶を上書きされまいと俺は必死に思い出をアピールする。

 その言葉に静雫は納得の表情を浮かべ、言葉を吐き出す。


「幸人さんだったんですね。お久しぶりです。会わない間に大分成長してたんでわからなかったです」


 ぺこり、と礼儀正しく頭を下げながら彼女は再会の挨拶をした。


「はは、さっきも深白に言われたよ。もう俺は東京タワーよりもビッグになっちまったからな」

「いえ、流石に東京タワーが比較対象なのはおかしいと思いますが」

「魂のサイズが俺の方がずっとデカいんだよ。俺の魂は五十万キーロメトロだから」

「ファンタジー小説に出てきそうな架空の単位出されてもさっぱりわかりませんよ!」


 そこに深白が割り込んでくる。


「しっずっくー、アンタが一番ユッキーパイセンに懐いてたよね。大人しいフリしてないで再会のチューでもしたらどう? どう? どう?」


 ウザテンションで絡む深白に対し、静雫は冷ややかな目線を向ける。


「ウッザ、死ねよ。過酷なラジオ体操で首を二百七十度回転させて死ね」

「ラジオ体操に罪をなすりつけないで! ウチが死んでもラジオ体操は無実だから!」


 静雫は俺を始めとした歳上には礼儀正しいけど、同い年の深白にはちょっと砕けた喋り方をするみたいだ。

 そこに奏音が口を挟む。


「あの、あのあの、その、ホントに久しぶりだねユキ。それに猫ちゃんも」


 奏音の視線が、俺が脇に抱えている茶トラ猫に注がれる。


「おっと、そうだな。俺だけじゃなくジェノくんとも久しぶりの再会だよな。ジェノくん、ご挨拶しような」 


 その時だった。俺がジェノくんを胸に抱くと、静雫の表情が強張る。

 そして彼女は声を震わせながら言葉を吐き出す。


「ジェノサイド・ファイナルトルネード・オブ・ザ・ライトニングノヴァ! まさか、魔王まで帰還するとは」

「あの、静雫? なんでその子のフルネームは覚えてるの?」


 奏音の疑問には答えず、静雫は踵を返し、外階段に足を向ける。


「すいません、用事があるのでこれで失礼します」

「どうした静雫? 顔色が悪いみたいだが」

「お気になさらず、なんでもありません」


 ジェノくんを見てから静雫の様子がおかしい。

 彼女は逃げるように階段を駆け上がっていく。

 その時――


「きゃあっ!」


 彼女が階段を踏み外し、バランスを崩した。


「おい、危ない――」


 だが続く目の前の光景に俺に思考は真っ白になった。

 外階段の上に静雫の衣服が舞う。

 彼女の姿はその場から忽然と消え、身に纏っていた服だけが無造作に階段に落ちた。


「はっ? 一体なにが」

「静雫が消えちゃったっすよパイセン! 人体消失マジックっすか!」


 そんな愉快な特技は残念ながら俺にはない。

 その時、静雫の衣服の下で何かがモゾモゾと動いた。

 やがてその存在は、衣服の山を掘り進み、隙間から顔を出す。


「あれっ、私は確か部屋に帰ろうとしてた筈じゃ」


 そんな静雫の声が聞こえる。

 しかしその場に静雫の姿はない。

 彼女の代わりに言葉を発したのは、服の下から現れた小さな黒猫ちゃんだった。

 なんということだ!

 俺の全身に電流が走る。

 目の前に鎮座する黒猫ちゃんを見て、俺の脳は冷静に一つの解答を導き出していた。


「か、可愛いいいいいいいい!!」

「えっ? えっ、幸人さん? なんなんですかこれ? 私の目線が低いような」


 正反対のテンションで騒ぐ俺達を後ろで奏音と深白が言葉を交わす。


「あの、あの、これってまさか」

「ええ、ウチもビックリっすよ。まさかウチのアパートから感染者が出るなんて」

「うん、ボクも初めて見た。これが――」


 奏音の口からその名が告げられる。


――ネコナウィルス患者、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る