第552話 弱者の鬼


 少し時間は遡って、魔術師協会。


 マツとクレールが歴史書を前に感じ入った顔で頷いている。


「ハワード様の仰る通り、乱世の時代の英傑と呼ばれる方々には、深い言葉があります。年表を見るだけでは、分かりませんでしたね」


「ううん、全くです。でも、私は少し寂しいと感じる所もあります。

 これも乱世ゆえの宿命でしょうか」


「寂しい? クレール様、ご説明頂けますか」


 クレールは本を見て、


「こちらはガンシュウ=モートシーという方の息子、リュウゲン=モートシー様が、稀代の謀将と呼ばれ、恐れられたお父上の言行を記録したものです」


 ぱらぱらとページをめくり、


「お父上のガンシュウ王は、貴族でもない地方豪族から、一国の王になった方。

 その謀略には恐れ入るばかりですけど・・・」


 モートシー? 聞いたことが、と首を傾げたマツが、あっ、と驚き、


「あのモートシー家ですか!?

 一時は、世界の銀の4割は、モートシー家から出た物と!」


「はい。そのモートシー家です。

 乱世の時代は、独立した国だったのですね。

 ですけど、初代のガンシュウ王は、それは非情な方であったようです」


「ううん、やはり、乱世の王といえば、そうでしょうね」


「御本人も、常々そうあろうと心掛けていたそうです。

 この言行録を残したリュウゲン様にいたく感激し、一度だけ涙を流したとか。

 お父上の涙を見たのは、生涯でこの時だけだ、と、最後に残してあります」


「お聞かせ下さい」


 クレールが頷き、


「ガンシュウ王は、祖父、父、兄を酒が原因の病で失ったので、固く酒を慎み、リュウゲン様にも2人の弟君にも、酒は慎むよう、常々注意しておられました。ある時、そのガンシュウ王が、気分良く酒を飲んでいる事があったそうです」


「そのような方が、お酒を」


「はい。そして、ふとリュウゲン様に問いました。

 英傑に、真の友はあるかと」


「それは居られたでしょう。

 乱世の世、真の友と呼べる方が居られなければ、王にはなれぬはず」


 クレールがマツを見て首を振り、


「リュウゲン様も同じく、そのようにお答えされたそうです。

 ところが、ガンシュウ王は、英傑は真の友を得る事は叶わぬ夢と」


「乱世ゆえ・・・ですか」


 悲しげにマツが小さく頷く。

 クレールも頷いて、


「ガンシュウ王は、仮に、私がその英傑だとして、その英雄の私が真の友と呼べるのは、同等の智略、器量を持つ英傑のみ。されど、そのような英傑同士が、この乱世に時を同じくして生まれてしまえば・・・」


「戦になる」


「はい。その者が私を殺すか、私がその者を殺すか。

 いずれかしかなくなる、と」


「・・・」


「リュウゲン様は、さりげなく自分を英傑扱いされるとは、と思いつつも、されど、父上ほどの王であれば、全く自惚れではないと、そうお思いになりました。後に弟君に尋ねましたが、やはり同じく」


「ご子息から見ても、それほどの方でしたか」


「リュウゲン様も、弟君2人も、言葉無く、ガンシュウ王を見ていたそうです。ガンシュウ王はリュウゲン様達から目を逸し、寂し気に月を眺めながら、英傑の真の友たる英傑が、志を同じくして世を治めれば、万民は安堵し、泰平となろうに、乱世というのは、なんと切ないものか、と悲しげに盃を傾けた、と」


「悲しいものですね」


「ええ。リュウゲン様も、お父上を見て悲しくなり、英傑の器ではない私は父上の真の友にはなりえません、ですが、少しでもお力になれればと願う心はございます。ですので、どうか今少し、お心を安んじて下さい、と」


「ああ、なんと」


 マツの目が潤む。


「ガンシュウ王は驚いて、リュウゲン様を見て、言葉が出なかったそうです。

 そして、笑い出して、友はおらずとも、ここに家族があるではないか。

 乱世の世、親子で殺し合う事も当然であるのに、我は何と幸せ者であるか。

 これはリュウゲンに一本取られた、と泣きながら盃を飲み干した、と」


 うんうん、とマツが頷く。


「その時は、ガンシュウ王が何故泣いたか、よく分からなかったそうです。弟君2人は、さすがは兄上と褒めてくれたが、それが何故かも分からず。自分は、父には当然だが、弟2人にも敵わぬと、常々考えていたそうですね。


 それで、それほどの答えであったか、と問うと、ガンシュウ王は泣きながら、弟君2人に、これぞ真の英傑と言う者だ、とお褒めになられ、弟君も頭を下げた。慌てて、ガンシュウ王や弟君におやめ下さい、と」


「王に必要なのは、心」


「はい。ガンシュウ王は慌てるリュウゲン様には構わず、頭を下げる弟君達に、少しはリュウゲン様のような真心を持て、とお怒りになられたそうです」


「英傑に友はいない・・・

 きっと、乱世に生まれたガンシュウ王の覚悟だったのですね」


「はい。ですけれど、ガンシュウ王は、人々が心を合わせる大切さを遺書として残しておられます。こちらも素晴らしい内容です。真の友を得られなかった故に、心を合わせる大切さが分かっておられたのですね。事実、ガンシュウ王の統治は、肩を並べて戦った者の粛清から始まっているのです」


「何と悲しい王でしょう・・・」


「でも、恐れらた稀代の謀将も、本当は温かい方だったのですね。

 家族を思う心も、人一倍に強かったのです。

 次代に国を残したい、というようなものではなく、純粋に、親子として。

 リュウゲン様も、弟君2人も・・・」


「私達も、そのような家族でありたいものです。

 戦はしたくありませんけど」


 マツが床の間からタマゴを取り、そっと撫でる。

 クレールもそっと手を伸ばして、タマゴの腹に手を当てる。


「平和な世でも、きっと・・・

 マサヒデ様も、一部には恐れられていますけど、温かい方と知られています。

 クレールさん、きっと、私達も・・・」


「はい・・・」



----------



 マツとクレールが沁み沁みとしていると、がらりと玄関が開いた。


「只今戻りました」


 と、カオルが上がってくる。

 後ろには、げっそりとしたシズクが、黙って付いてくる。

 カオルが振り返って、


「今日はお休み下さい」


「うん」


 どすん、とシズクが胡座をかき、頭を抱える。

 こんなシズクは見たこともない。

 カオルは驚く2人の前の急須と湯呑を取り、


「茶を足してきましょう」


 と、台所に下がって行った。

 マツが心配そうに、


「シズクさん」


 と声をかけたが、


「大丈夫だよ」


 と、シズクは頭を抱えたまま応える。

 全く大丈夫そうではない。

 怪我はないようだが、何があったのだろう。

 アルマダに叩きのめされたのか?


「何かあったのですか?」


 クレールが下から覗き込むように、シズクを見る。

 シズクは小さく首を振って、


「何でもないんだ」


 と、両手で顔を隠す。

 全く、何でもない、という様子ではない。


 カオルがまんじゅうを持って来て、皆の前に並べる。

 いつもなら、さっとぱくつくシズクが、まんじゅうを前に動きもしない。

 これは余程の事があったのか、と、マツがカオルに尋ねる。


「カオルさん。シズクさんに何が?」


 む、とカオルがシズクを見て、急に怒りだし、


「臆病者になってしまったのです! 全く、情けない!」


 かん! と湯呑を置いて、


「これが、私を追い詰めた者かと思うと、自分が恥ずかしくなります!

 こんな者に私が追い詰められたなど!」


「ごめん」


「ええい! 奥方様の前で、情けない姿を!」


 ぱん! とカオルがシズクの頭をはたく。


「うん」


 シズクがおずおずと、顔を覆っていた両手を下げる。

 叱られて、正座させられている子供のようだ。


「ふん・・・ご主人様が帰ったら、治療を願っておきます」


 びく! とシズクが肩を震わせる。

 カオルがマツとクレールの方を向いて、


「ご主人様でもどうしようもないなら、カゲミツ様にお出で頂くつもりです。

 奥方様、クレール様、その際は、お口添えを願いますでしょうか」


「一体、どういう事でしょう? シズクさんが、臆病者に?」


「ちょっと信じられません、けど・・・」


 2人がシズクを見る。

 いつもの豪快な姿は、微塵もない。


「ああ!」


 と、シズクが頭を抱えた。


「分かってるんだよ! 自分でも! でもどうしようもないんだよ!

 ビビるもんはビビるだろ! お前だって怖いだろ!」


「ええ。ですが、怯えて動けなくなるのとは別。

 貴方はどんなに相手が強かろうが、怖れずに立ち向かう方でしたのに!

 それがこんな情けない姿に!」


 ふう、とカオルが溜め息をついて、ち、と舌打ちをついて、


「役立たずが!」


「カオルさん。それは」


「何もそこまで」


 マツとクレールがカオルに言ったが、カオルは不機嫌な顔で、


「このような調子で、勇者祭の相手に会ったらどうなると思いますか!

 皆が戦っている中、馬車の影に隠れ、震えている!

 そのような者を、連れて行けると思いますか!」


「それは・・・そうですけど」


「でも、でも、強いではないですか」


 ばん! とカオルが畳を叩き、


「強い? 弱者には力を振るい、強者に会えば尻尾を巻いて隠れるような者!

 そのような者を強者とは言いません! この者は弱者です!」


 マツもクレールも黙り込んでしまった。


「・・・もう、治療など必要ないでしょう。

 ご主人様がお帰りになられましたら、新しい者を入れる事を上申致します」


「カオル! それは勘弁してくれ! 頼むよ!」


 ぱ、とシズクがカオルに泣きついたが、ぱしん! とシズクの頬を叩き、


「弱者は必要ありません。貴方はもうお荷物なのです。

 荷物持ちとしてなら、付いて来る事を許されるかもしれません。

 それをご主人さまにお願い下さい」


「う、う」


 カオルは泣き出したシズクの手をどけて、


「夕餉の支度を致します」


 と、台所に下がって行った。

 ぐすぐす泣くシズクを前に、マツもクレールも何も言えず、黙ってしまった。

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