第545話 アルマダとの稽古・5


 クレールがついに霞となって消える。


 アルマダはどんなものか、と期待を込めた目でクレールを見る。

 クレールも、気迫を込めてアルマダを見返す。


 あまり長い時間は消えていられないし、消えたまま動いたり、魔術を使ったりすると一気に腹が減り、すぐに動けなくはなるが・・・

 簡単な魔術一撃!

 これなら、ぎりぎり持つだろう。


 簡単で高威力。

 当たればアルマダでも昏倒させられる。

 マサヒデは良い術を思い付いてくれた。


「では、始め」


 すうっとクレールが消える。


「むっ!」


 クレールが居た所に、アルマダが十字に剣を振る。

 全く手応えなし。

 気配も消えた。


 振り切った所で固まっていると、ぴにゃ、と微かな音が首筋を伝わってきた。

 は! として、振り返りもせずに横に飛ぶ。

 同時に、耳の真横を、後ろから何かが恐ろしい勢いで飛んでいった。


「く!?」


 大きな音はしなかったが、耳を掠めたせいか、耳の中で、ぐあん! と音が響き、思わず顔を歪め、う、と耳に手を当てて膝を付く。

 何かがクレールが居た所を飛んでいき、ばす! と壁に穴が開く。

 同時にクレールが姿を現し、ぱたんと片膝を付き、俯いたまま、小さな声で、


「参りましたあ・・・」


 と、降参する。

 アルマダが慌てて立ち上がろうとして、ずきん、と耳が痛み、また膝を付く。


「ラディさん。アルマダさんを」


「はい!」


 ばたばたと裸足のままラディが飛び出し、アルマダに駆け寄る。

 アルマダが顔を歪めたまま、


「耳です。くそ、凄い・・・鼓膜でしょうか」


「見ます」


 すっとラディがアルマダの耳に手を当てる。

 マサヒデが弁当を抱えて、クレールの前に座り、箱を開ける。


「さあ、食べて下さい」


「はいーっ!」


 ががが、と流し込むようにクレールが弁当を空にして、次の箱を開ける。

 シズクももう一抱え持って来て、クレールの前に置く。

 アルマダがそれを見ながら、ラディに手を挙げて、


「痛みは引きました。大丈夫です」


 ラディが頷いて、


「耳鳴りはありますか」


「はい」


「痛みが引いたとは、我慢出来る程度?

 ちゃんと引いていますか?」


「いえ、全くないです。耳鳴りだけです」


 うん、とラディが頷き、手を伸ばす。


「念の為、奥の方にも」


「本当に平気ですよ」


 と、笑ったアルマダを、ラディが抑える。


「駄目です。ただ、治癒で痛みが引いただけかもしれません。

 中の骨がやられていると、後で難聴になったり、耳鳴りが起こったりします。

 目眩もするようになります。武術家には致命的です。確認させて下さい」


「む、それはまずい。お願いします」


 ラディがアルマダの耳を塞ぐように手を当てて、目を瞑って集中する。

 すぐに目を開けて、頷いて手を引き、


「特に異常は感じられません。今日は耳鳴りが残るかも。

 明日には耳鳴りも治ると思います」


「ありがとうございます」


 ふう、と息をついて、アルマダがぺたん、と胡座をかく。

 マサヒデが弁当の箱を開け、アルマダの方に振り向いて、


「危なかったですね。あれ喰らってたら、間違いなく死んでました」


 と言って、壁の方を指差す。

 拳より少し小さいくらいの穴が、ぽっかりと硬い土の壁に開いている。

 あんな威力の物が、真後ろから飛んできたとは。

 横に飛んでいなかったら、後頭部から鼻まで、あんな穴が開いていたのだ。

 ほ、と息をついて、


「クレール様、もう少し手加減をして下さいよ」


 と、耳に手を当て、笑いながら、


「私の耳、まだありますよね?」


「ははは! ありますよ!」


 マサヒデが笑うと、クレールが、ばかっと弁当箱を投げ出して、


「申し訳ありません!」


 と頭を下げた。


「ちょっと、クレール様。頭を上げて下さい。どうしました、急に」


「消えたままだと、上手く術が調節出来なくて!

 あんなに強くなってたとは、分からなかったんです!

 軽く、頭にこつん、て程度にしたつもりだったんです!」


「ははは! 当たらなかったんだから、構いませんよ!」


 アルマダが笑って、弁当箱をひとつ取る。

 弁当箱を持って、かくん、と肩を落とし、


「もう、今日はここまでで良いですか。

 マサヒデさんの相手が出来なくて、残念ですけど」


「構いませんよ。ところで、今のは引き分けで良いですかね」


「ええ? クレール様、参ったって言ったではありませんか」


「もう1発飛ばされてたら、アルマダさん、やられてましたよ。

 あれ、初歩の魔術ですから、クレールさんなら、ばてばてでも飛ばせます」


「あんな威力で初歩ですか?」


「ええ。初級の初歩の初歩くらいです。

 攻撃魔術が苦手なラディさんでも、あのくらい出来てしまいます」


「ホルニコヴァさんでも・・・あ! あれですか!

 確か、魔剣の調査の時、庭でやってましたよね」


「そうです」


「ううむ、改めて、恐ろしい魔術だと実感しました・・・

 それにしても、上手い手ですよ。消えて驚いた所に、完全な死角から」


 アルマダが感心しながら、弁当の蓋を開け、割り箸をぺきっと割る。


「消えていないと出来ない芸当ですね。自分に当たってしまいますから。

 あの威力なら、私に当たっても、貫通して自分もやられてしまう」


「ええ。単純ですけど、見事でしたよ」


 アルマダがぱくっと卵焼きを口に放り込む。


「クレール様、もしかして、私の剣を避けたわけではないですよね?」


 ごくん、とクレールが口の中の物を飲み込んで、


「当たってましたよ」


「は?」


「私の頭と、胸の辺りをちゃんと通って行きましたよ」


「ええ? 完全に空振りだったんですが・・・

 つまり、ただ見えないというのではなくて、本当に霞になるんですか?」


「さあ・・・自分でも良く分かりませんけど」


「不思議ですね・・・」


 アルマダがぽかんとした顔で、弁当を頬張るクレールを見る。

 マサヒデが首を傾げて、


「もっと不思議な事がありますよ。

 何故、身に付けている物まで消えるんです」


「あ、そうですよ! 近くの物を消す、というのならまだ分かります。

 いや分からないですけど、そういう魔術みたいなものだって納得は出来ます。

 しかし、私の剣は消えなかった! 何故です!?」


「さあ・・・」


 クレールが首を傾げる。

 マサヒデが腕を組んで、


「あの、もしかしてですけど」


「はい」


「例えば、私に抱きついて、消えたとしたらです。

 私も消えてしまうのでしょうか?」


「む!?」「ああっ!」「ええっ!?」


 アルマダ、ラディ、シズクが驚いて、クレールを見る。


「ううん・・・どうでしょう?

 試した事はありませんけど、多分消えはしないと思います」


「何故です?」


「何となく、そんな感じがします」


 クレールが立ち上がって、座ったマサヒデの背中におんぶするように張り付き、マサヒデの肩の上から腕をだらんと垂らす。


「やってみましょう」


「大丈夫ですか? もう弁当が半分くらいしか」


「一瞬だけですから。それで分かりますよね」


 ふっとクレールが消える。

 マサヒデの背中から、重さが消える。

 あ、と思った瞬間、また、ぐたっとクレールの重さが乗る。


「どうでした?」


 と、クレールが立ち上がって、弁当の前に戻る。

 アルマダが首を傾げて、


「マサヒデさんは消えませんでしたね・・・

 マサヒデさんの服も。

 一体、どうなってるんでしょう」


 マサヒデが腕を組んで、眉を寄せる。


「ちょっと待って下さい。今、また謎が増えました」


「どうしました」


「消えた瞬間、クレールさんの重さを感じなくなりました」


「ええ?」


「重さが無くなったのに、何故飛んで行ってしまわないのでしょう。

 重さが無いなら、ほんの少しの空気の揺れで、どこかへ飛んでしまうはず」


「む! 確かに!」


 ラディとシズクも、ぽかんと顔を見合わせる。

 一体どうなっているのだ!?


「まだありますよ。クレールさん、私の背中に上から乗ってましたよね」


「ええ」


「剣で振っても当たらないなら、私の身体を通り抜けて、地面の下まで、すとんと落ちるはずでは? いや、重さがないから、落ちないか・・・」


「そ・・・そうですよ!」


 クレールは、はあ? という顔をして、


「マサヒデ様、私はちゃんと乗ってましたよ?」


「ええっ!? 全く重さを感じませんでしたよ!?」


 皆の顔が驚愕に包まれる。

 マサヒデにのしかかっていたのだから、飛ばないにしても、前に倒れてしまうはずでは・・・なのに重さは感じない。


「つまり、すり抜けてしまう訳ではない?

 でも、剣はすり抜けて・・・

 一体、どうなっているんだ・・・」


 アルマダが口を半開きにして、弁当を睨む。

 シズクもラディも、がつがつと弁当を食べるクレールを見る。

 もし、クレールがこの力を使いこなせるようになったら・・・

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