第539話 マッリー
三浦酒天前。
日は沈みかかり、もうすぐ暗くなる。
店の中は既に客が一杯か、賑やかな声が聞こえる。
「お酒買っていくよ」
「なんですって」
「少しだよ。久しぶりに、魔の国の懐かしい料理が食べられるんだ。
私達、魔族3人の分だけね。マサちゃんは呑みたくないでしょ?」
「呑みたくないです」
「じゃあ、ちょっと持っててくれる?」
ほい、とシズクが棒をマサヒデに出す。
「ちょ!」
さっと身を避けたが、シズクの稽古用の、普通の木の棒だ。
おっと、と手を伸ばし、倒れかかった棒を止めて、
「びっくりしましたよ・・・いつもの鉄棒だと」
シズクは呆れ顔で、
「気付いてなかったの? そんなに夢中だったんだ。
いっけないなあー。そんなんじゃ、簡単に闇討ちされちゃうぞ」
「むっ・・・いや、確かにその通りですね」
「ふふーん。もう少し、肩の力を抜くんだね。
前にカオルと3人で役所に行った時、私もカオルも同じ感じだったんだね」
マサヒデが顔をしかめる。
「よし。今日はマサちゃんも少し呑みなよ。小さいやつ買ってくるから。
少し、気を抜いた方が良いと思うよ。張り詰めすぎは良くないよ」
「呑まなくても抜けますよ」
「駄目。そんな事言って、抜いたつもりで全然抜けてないんだから。
1日に50回とか言って、さっきもハワードさんとやってたじゃないか」
「ううむ」
「カオルにも呑ませてやりたいけど、あいつは酒がきかないからね。
マサちゃんが少し気を抜いてやって、カオルの肩の力を抜いてやるんだ」
「分かりました」
「それでよろしい! じゃあ、お酒買ってくるから、待ってて」
「はい」
がら! と勢い良く戸を開けて、シズクが大声で、
「こんばんはーっ!」
「はーい! あー、シズクさん!」
「今日は持ち帰り! 一升徳利3つ、二合徳利1つお願い!」
「銀10枚と、銅20枚でーす」
シズクが懐から小袋を出して、適当にじゃらっと出し、
「えーと、1、2の・・・銀貨11枚ね」
と、数えて会計に置く。
「はい、ではこちらがお釣りで・・・持ってきますので、ご確認願います!」
「はいはーい」
シズクは確認もせず、出された銅貨の袋を袂に入れる。
少しして、店員が徳利を持ってきて、よいしょ、と置く。
「お待たせしました!」
「ありがと!」
シズクが徳利の口の紐を引っ掴み、まとめて片手で持つ。
徳利の重さを入れれば、かなりの重さだが、もう店員も慣れたものだ。
「また来て下さいね!」
「はーい!」
がらっと戸を閉めると、騒がしい店内の声が小さくなる。
シズクがマサヒデの前に徳利を突き出して、
「このちっちゃいのが、マサちゃんの分だからね」
「大きく見えますけど」
「いつもお店で出てくるのは、大体1合ね。
これは2合だから、お店で出てくる徳利2本分。
このくらいなら、二日酔いにならないでしょ?」
「多分」
「大丈夫だよ。初めてお奉行様と虎徹に行った時は、もっと呑んでたじゃん」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ。それに、今日のマッリーはお酒が合うよ。
マサちゃんも美味しく呑めるって」
「そんな物ですか」
「そうそう! 行こ」
ごごん、ごごん、と大きな徳利を鳴らしながら、シズクが歩き出す。
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魔術師協会前。
「むーっ!」
シズクが変な声を出して、すんすんと鼻を鳴らす。
油っこい揚げ物に、変わった香辛料の香り。
「ふうん・・・これがマッリーの匂いですか」
「だね! 行こう!」
がらっ!
「ただいまー!」
「只今戻りました」
すーっとマツが出て来て、手を付き、
「お帰りなさいませ」
と、頭を下げる。
ぐいっとシズクが手に持った徳利の束を持ち上げ、マツがにこっと笑う。
「これがマッリーの匂いなんですね。初めてです」
「はい。私達には懐かしい香りです。さ、マサヒデ様も早く」
苦笑しながら、マサヒデが居間に上がる。
膳は既に並んでいて、カオルが皆の膳の上の皿に上がった分を並べていく。
シズクが横に並んで、マツ、クレール、自分、マサヒデの膳の横に酒を置く。
「あら」「あれ?」
マサヒデの膳に並んだ酒を見て、マツとクレールがマサヒデを見る。
マサヒデは徳利の口を指で挟んで、ひょいと持ち上げて、
「いや、ちょっと気を抜かないといけないと、シズクさんが」
と、変な顔をする。
「うふふ。最近、気を張りすぎなんですよ。私達も心配してたんです」
「そうですよ! このままだと、マサヒデ様もカオルさんも禿げますよ」
「ははは! 禿げるって!」
マサヒデは笑い飛ばしたが、マツとクレールは真剣な顔で、
「本当ですよ。心労が過ぎると、禿げるんです」
「ええ?」
「マサヒデ様、さすがにその年で禿げるのは、お嫌ではありませんか?」
2人は真剣そのものだ。
「冗談ではないんですか?」
「本当です」
え、とカオルを見ると、カオルは無表情で最後の揚げ物を置いて、台所に下がって行った。
「ちょっと待って下さい。カオルさんもですか?」
「そうですよ。心労の禿げは、男女関係ないんです」
「・・・」
自分もこの歳で禿げたくはないが、女性はまずいのでは・・・
こくん、と喉を鳴らし、マツ、クレール、シズクと順に顔を見るが、真剣だ。
ぽん、とシズクがマサヒデの肩に手を置いて、
「今日は嫌でも呑みなよ。無理矢理にでも気を抜くんだ。いいね」
「はい」
「このくらいなら二日酔いにはならないでしょ?」
「はい」
うん、と皆がマサヒデを見て頷く。
シズクが膳の前に座ると、やっとクレールがにっこりと笑い、
「カオルさんがどんどん揚げて持ってきてくれますから、食べましょう!」
「マサヒデ様。心配のしすぎも、心労になりますからね。
適度に抜いていれば、大丈夫ですから。さあ、いただきましょう」
「む・・・いただきます!」
「いただきます」「いただきます!」「いただきまーっす!」
皆がマッリーなる揚げ物に箸を伸ばしたが、マサヒデはいきなり徳利を掴んで、ぐっと呑む。
「おいおい」
シズクが呆れて、
「マサちゃん! そんな呑み方じゃ気は抜けないぞ!」
「む、駄目ですか」
「まずは美味しい物! 合わせて呑まなきゃ駄目! さあ、食べてみて。
魔の国じゃあ、身分問わずに誰でも食べてる料理だよ!」
「はい」
マッリーを摘んでかじってみる。
外はさくっとしていて、中のナマズが柔らかい。
がっつりにんにくが効いていて、これは精が付きそうだ。
この変わった香りが、クミンなる香辛料だろう。
元々脂が強いナマズをさらに揚げてあるので、それはもう、相当にこってりしているかと思っていたが、そうでもない。
むしろ、厚みのある柔らかい肉が、衣のさくっとした食感と合って最高だ。
これは米が進む!
マサヒデの顔がほころぶ。
「おお! これは美味い!」
「だろ! そこで米だ!」
「はい!」
がつがつと飯をかき込む。これはたまらない!
横からシズクがマサヒデの徳利を取って、お猪口に注ぐ。
「さあ! 次は控えめにかじって、酒だ!」
かりっと小さくかじって、お猪口から軽く酒を呑む。
三浦酒天のすっきりした酒の味にぴったりだ。
「はあー! これは合いますね!」
「だろ!? 絶対、三浦酒天の酒なら合うと思ったんだ!」
「うんうん! 美味い!」
「よーしよし! 魔の国の料理、楽しんでね!」
シズクがにっこり笑って、自分の膳のマッリーを取って放り込み、がつがつと飯をかき込む。マサヒデも、もうひとつ箸で摘んでかじる。
「最高です!」
がんがん飯が進む。合わせて呑めば、すっきりした酒が口の中の脂っこさを消してくれる。いつもなら鼻の奥につく酒の匂いが、全然気にならない。
「うふふ」「やりましたね!」
マツとクレールが顔を合わせて笑い、2人も懐かしい味に箸を進める。
「さ、クレールさんも、おひっと・・・つっ! ん!」
重い一升徳利を、マツが抱えるようにして持ち上げる。
「あーあー! マツさん、危ない! 私がやるから!
ごめん、小さい徳利でたくさん買ってきた方が良かったね」
「申し訳ありません、私も気が回らなくて」
シズクが一升徳利を引っ掴んで、2人のお猪口に注ぐ。
んんー! と2人が酒を呑んで、はあ、と幸せそうな息をつく。
「皆様、次が揚がりました」
カオルが入って来て、熱々のマッリーを皆の皿に乗せていく。
マサヒデがにっこり笑って、
「カオルさんも早く食べましょう! これは美味いですよ!」
「ふふ。それは良うございました。私も腕を振るった甲斐がありました」
この調子なら大丈夫そうだな、と、シズクが一升徳利を口につけ、ぐいっと傾ける。魔の国の料理も、マサヒデには好評だ。
「ねえねえ、クレール様!」
「はい!」
「これ、三浦酒天や、虎徹にも教えてあげようよ!
あのお店なら、もっともーっと、すっごい美味しいのが作れるよ!
そうだ! ブリ=サンクにもなかったじゃん!」
「ああっ! シズクさん、良いです! そうしましょう!」
「でしょ! 冒険者には魔族も多いしさ、皆、喜ぶよ!」
「良いですね! 明日は三浦酒天と虎徹に参りましょう!」
「行こう行こう! そうだ、三浦酒天ならすぐ近くじゃん! 今すぐ1個持ってって、味見してもらおうよ! 揚げたてじゃないといけないし、この1日寝かせた味は中々出ないもんね!」
「そうしましょう!」
くす、とカオルが笑って、ささっと台所に入り、小皿を取って持ってくる。
ほい、とシズクが皿に乗せて、
「よし! じゃあ行ってくる! すぐ戻るよ!」
シズクがさっと立ち上がって、手で小皿に蓋をしてどたどた駆け出して行く。
「うふふ。お忙しい事!」
駆け出て行ったシズクを見て、マツが笑う。
クレールもカオルも笑う。
マサヒデも笑って、また飯をかき込む。
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