第510話 どうやる、2000回


 明早朝。


 マサヒデが木刀を持って庭に立つ。


 日に2000回。

 間違えた振り方をしていると、ジロウのようなガタイになる。

 コヒョウエの腕は引き締まってはいたが、ジロウとは比べ物にならなかった。

 だが、3000も4000も振れるという。


(答えは簡単)


 力を入れずに、刀を落とす重さだけで振るのだ。

 真正面から真っ直ぐ上げ、そのまま下ろすだけだ。

 出た刀にそのまま身体を乗せていくだけ。

 おそらく、この無願想流の振りに近いものがある。

 横薙ぎや下からの斬り上げは、まだ分からない。


 一度上げて、腰の高さまで下ろす。

 握りは良し。

 これ以上は下まで下がらないから、思い切り振り下ろしても良い。


 すーっと上げていき、頭の中心に木刀を乗せる。

 きっと、ここまで力を抜いても良いはず。

 握りだけ崩れないように・・・


 しゅ。

 ぴたりと腰の高さで止まる木刀。


(こんな振りで斬れるか!?)


 余りに軽く、頼りなく感じる。

 だが、答えは間違っていないはず。


 もう一度上げる。

 頭に木刀を乗せる。


 しゅ。

 ぴたりと腰の高さで止まる木刀。


「・・・」


 止まった木刀をじっと眺めていると、カオルも木刀を持って出て来た。

 マサヒデの前に立ち、


「おはようございます」


 と、頭を下げる。


「む、カオルさん。おはようございます」


 カオルがマサヒデの隣に立ち、振り始める。

 はっとして、もう一度振り上げる。

 軽く頭に乗せるくらい。


 しゅ。

 ぴたりと腰の高さで止まる。


(ううむ)


 真っ直ぐ落とすだけだから、引く力もない。

 本当にこれで斬れるのか!?


「・・・」


 マサヒデは縁側に上がって、執務室に入り、紙を重ねて持ってくる。

 刀架から無銘の方を取って、庭に下りて来た。

 集中して素振りを続けるカオルに、


「カオルさん」


「は」


 素振りを止めて、マサヒデの方を向いたカオルが、ぎく、とした。

 真剣稽古?


「手伝ってもらえますか。この紙を持ってもらって」


 マサヒデが紙の束を突き出す。


「は? はい」


「縦向きにして持って下さい」


 言われるまま、カオルが紙を持つ。

 斬れ味を試すのか?

 最近、研いだということはないが・・・


 すとん、とマサヒデの刀が落とされ、4分の1程の所でびりっと破れる。

 うん、とマサヒデは眉を寄せて頷く。


 ただ落としただけだと、4分の3まで。

 4分の3は斬れ、4分の1は、刀の重さで破れただけだ。


「新しい紙、持ってもらえます?」


「はい」


 斬れた紙を丸めて袂に突っ込み、新しい紙を出して開く。

 マサヒデが少し離れて、ゆるっと振り上げ、ぴ! と振り下げる。

 綺麗に両断された紙。


「カオルさん。今の斬り加減、どうでしたかね?」


「お見事です」


 マサヒデは首を傾げながら刀を納め、


「手に持っていた感じで分かると思いますが・・・」


 カオルの目の前に立って、カオルの鎖骨に手刀を置き、


「今の振りで、ここから、骨を斬って、心の臓に届くと思いますか」


 カオルは手に持った紙を見て、少し首を傾げ、


「いえ。そこまで入って行くとは思えませんが」


 マサヒデはカオルにぴったりくっついて、右手の手刀を鎖骨に置いたまま、左手を顎に当て、険しい顔をしている。しばらくして、


「もう一度、お願いします」


「はい」


 カオルが紙を広げる。

 先程と同じように、すうっと振り上げて、ぴ!

 紙が綺麗に両断される。


「どうでしょうか。心の臓まで届きますかね」


 手応えが軽すぎる。

 只の手振りだ。

 確かに、軽く振っている割には、すぱんと綺麗に斬れた。

 だが、いくらなんでも胸まで届くとは感じない。

 鎖骨を斬るか折る程度で、すぐに止まるのではないだろうか。

 これでは胸まで入るまい。


「肩までは斬れましょうが、すぐに止まるかと」


「ううむ・・・」


 マサヒデが唸って、ゆっくり刀を上げ、しゅ! しゅ! と刀を振る。

 全然力が入っていないが・・・

 は! とカオルが気付いて、


「ああっ! ご主人様!」


 む、とマサヒデが手を止めて、カオルの方を向く。


「もしかして、2000回は、それですか?」


「ううむ・・・出来てから教える、という話でしたが・・・」


 マサヒデは苦笑して、


「いやあ、さすがにバレますよね。

 おそらくですが、これです」


「なるほど。全く力を使わないから、2000でも3000でも楽なもの」


 カオルが唸って、腕を組む。

 『全く力を使わない』。

 はたと気がついて、顔を上げ、


「ご主人様、当然ですが、合気上げは出来ますよね。

 クロカワ先生に、教えを受けておられるのですから」


「ええ。それが何か」


「まず、振り上げてもらえますか」


 カオルがマサヒデの前に立って、下から手を伸ばす。


「ここまで振り下ろして来てもらえますか? ゆっくりと」


 マサヒデがゆっくり振り下ろし、カオルの手の上にマサヒデの手首が乗る。


「私を崩せませんか? 合気上げと同じように、下げて」


「ああっ! それか!」


 ゆっくりと腕を振り下げていくと、カオルが崩れる。

 カオルが手を離して、よっと体勢を直し、


「この感じではないでしょうか?」


「そう、か・・・この感じか。あとは真っ直ぐ・・・」


 しゅ、しゅ、とマサヒデが刀を振る。

 カオルが紙を持って、マサヒデの前に立つ。


「ご主人様、お試し下さい」


「いきます」


 しゅ! ぴ!


「む!」


 カオルが小さく声を上げる。


 軽い。

 だが、確かに手応えがあった。

 深く斬り込める程ではないが、先程とは違う。


「しかと手応えがありました。

 まだまだ深く斬り込めるとは感じませんが、間違いありません。

 お見立ての通り、この振り方でしょう」


「やはりそうですか・・・」


 だが、マサヒデもカオルも顔が険しい。


「コヒョウエ先生は、カゲミツ様は、1ヶ月程で、これを振れるようになったと仰っておられましたが・・・」


「1ヶ月・・・」


 1ヶ月で、この振りを身に付ける事が出来るか!?

 2人はカゲミツの才に、改めて驚く。


「カオルさん。これ、無願想流に近いものがあると感じませんか。

 無願想流は、力を抜き、剣の進む方に、そのまま・・・

 この振り方、力を抜き、剣が落ちる方に、そのまま・・・」


「ああっ! 確かに!」


 カオルが目を見開く。ほとんど同じではないか。

 マサヒデは頷いて、


「パーティーの時、無願想流は使えないから知らない、なんてとぼけていましたが、アブソルート流か、コヒョウエ先生の教えに、基本の所で似たような所があったんですね。間違いなく、無願想流を知っていて、振り方を教えてくれたんです」


 カオルは腕を組んで、感心して深く頷く。


「ううん・・・流石はコヒョウエ先生です。

 これが基本、これが出来てから稽古に参加させた、と。

 首都で指折りの道場であったのも、納得です。

 皆、この振り方が出来るのですから」


「ですけど・・・」


 マサヒデが剣を下段に垂らして、すうっとゆっくり振り上げる。


「上から振り下ろす時は、おそらく今ので合っています。

 では、横からや下からはどうなのか」


「む! 確かに・・・確かに、そうですね」


 そして、マサヒデが振り下げを受けるように、剣を上げる。


「まだ分からない事があります。

 これが出来ると守りも良くなる、と・・・

 一体、どういう事でしょう・・・」


「合気に近いものがありますから、力を逸らして・・・でしょうか。

 しかし、それでは普通に流すのと変わりませんね・・・

 逸らしながら、方向を変える?

 普通に受け流すのと、何が違うのでしょう?」


 2人が腕を組んでうんうん唸っていると、シズクが庭に下りてきて、


「おっはよう! 難しい顔してどうしたんだよ!

 また、何か凄いの閃いちゃった?」


 と、難しい顔の2人の横に立って、ゆっくりの素振りを始めた。

 じりじりと前に出ていくシズクの鉄棒が、朝日で長い影を落としている。

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