第506話 濤瀾乱
マサヒデは庭に敷いた茣蓙の上に座り、脇差であろう桐箱をひとつ取った。
(さあて)
ぱかっと蓋を開けてみる。
ほとんど黒に見える、濃い茶色の石目の鞘。
地味な拵えだが、丁寧だ。金具も良いし、縁と鯉口の大きさに狂いがない。
手に取ってみる。
特に物凄い名刀だという雰囲気はしないが、中はどうだろう。
(おっとこれは)
波のような、大きな互の目乱れ。
濤瀾乱刃。
刃紋が大きく、先の方は樋まで刃紋が掛かっている。
このように激しい波のような濤瀾乱刃を入れるのは、刀の歴史で3人。
もしかしたら、知られていない地方刀匠にいたかもしれないが、この激しくも美しい刃紋を入れられる刀匠が、一地方刀匠で埋もれてしまう訳がない。
ヒロスケか、ヒロスケの後継者のナオスケ。そして、リントク。
この3人の誰の作であったとしても、予備に置くには十分すぎる。
さっと見て、鞘に納める。
さて、次の脇差は。
(おや。珍しい)
ケイハンだ。
300年程前の、国のお抱え鍛冶。
特徴的なひじき肌(硬軟混ぜて作った黒い地金)で、見れば一目で分かる。
お抱え鍛冶であったのにも関わらず、意外と数が少ない刀匠だ。
これも贋作ではよもあるまい。
さて、次はどうだろう。
(あれ?)
また濤瀾乱刃。
だが、先の物より波が柔らかく、大人しい。
ヒロスケの弟子辺りの作だろうか?
少し抜くと、彫りが出て来た。
差表に龍。
差裏に三鈷剣。
龍の方は、焼刃にぎりぎりかからないように、綺麗に彫られている。
これは高かっただろう。
(こんなに細かい彫りがあるのはな・・・)
見た目は良いが、手入れも研ぎも面倒だ。
刀身の出来も良いのだが、では使うかと言われると・・・
どちらかというと、武器というよりも、美術品に大きく寄った作に見える。
飾っておくには良いかもしれないが、これは蔵に送ろう。
次。
(む)
また彫りだ。蔵行きか。
しかし、随分がっしりとした作りだ。
樋が入っているが、それにしても重みがある。
板目に小沸。
直刃で匂口が明るい。
(うん?)
小さく首を傾げながら、軽く鍔元から刃先まで見てみる。
鍛えが異常に細かく、丁寧だ。
この鍛え方は、美を重視したシロヤマ伝の特徴だ。
深く、綺麗な彫りもシロヤマ伝の刀匠によく見られる。
だが、がっしりした作りはミカサ伝のようでもある。
一体、誰の作だろう?
(ま、いいか)
すっと納める。
どうせ、彫りのある作は蔵行きだ。
さて、脇差は次で最後だ。
(おお!?)
抜いた瞬間、地金の美しさに、思わず目を奪われてしまった。
古刀か?
差表に素剣。
差裏に2本樋。
「む、ううむ・・・」
思わず唸ってしまった。
この地金はかなりの物だ。
ホルニの脇差ほどではないが、小さい沸えが細かく明るく冴えている。
彫りは入っているとはいえ、素剣と樋。
単純に直線で彫られているだけだ。
これなら、手入れもそれほど面倒ではない。
面倒な事には変わりはないが。
(悪くない)
候補の3本を並べる。
濤瀾乱刃。1尺8寸。
ひじき肌のケイハン。1尺7寸と半。
この地金が美しい脇差。1尺3寸。
(さあて、どれにしようかな)
1本はカオルにあげようか。
カオルの脇差は、カオルが元々持っていた物。
マサヒデが小太刀代わりに、と与えた1本で、今は脇差として使っている。
小太刀にイエヨシ、打太刀にモトカネ。
(これにしよう)
カオルにあげようかな、と考えたら、すっと決まった。
濤瀾乱刃の作。
長めのケイハンか、地金が美しい短い脇差。
短い方なら、小太刀のイエヨシと合わせればぴったり釣り合う。
ニ刀のナイフ代わりにも使える。
「良し」
脇差はこれで良いだろう。
カオルが選んだ物をあげてしまって、後は蔵行きだ。
送る前に、ラディ、ホルニ、イマイに見せようか?
さて、刀の方を軽く見るか。
雲切丸程の作は、絶対にないだろう。
もしかしたらだが、父上から貰った無銘より良い物があるかもしれない。
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(また彫りか)
刀を数本見て、置いた所で、ん、と顔を上げた。
からからから、と玄関が開く音がして、
「只今戻りました」
カオルの声。
「おかえりなさいませ・・・」「おかえりなさい・・・」
マツとクレールの小さな声。
また見入ってしまっているのだろうか。
「マツさん、クレールさん。見入っちゃいけませんよ。
今日中に分けて下さい」
「あ、あ、失礼しました!」
「ごめんなさい!」
慌てた声が、山積みの箱の向こうから返ってくる。
予想通りか。ふう、と息をつく。
「奥方様、クレール様、これは」
「良い物が多くて・・・明らかにこれは売ってしまおう、というのが、中々」
「そうなんです・・・」
困ってしまった2人の声。
ふ、とマサヒデは笑って、
「カオルさん。庭に来て下さい」
「は」
玄関が開く音がして、すたすたとカオルが歩いて来る。
「カオルさん。脇差あげます。
今持っているのより良いと思ったら、持って行って下さい」
マサヒデがケイハンと、地金が綺麗な短い物を差し出す。
「私はこれをもらいます」
1尺8寸、濤瀾乱刃を抜いて見せる。
「あっ! ヒロスケ!?」
カオルが驚いて声を上げる。
にやっとマサヒデが笑って、濤瀾乱刃の脇差を納め、
「さ、分かりません。ナオスケか、リントクかも。
細かく見るのは後です。
早いもの勝ちで、私はこれを頂きました」
差し出した2本に手を差し出し、
「さ、どうぞ。カオルさんの目に適うなら、2本共、持ってって良いですよ。
他の脇差は細かい彫りがあって、色々と面倒ですので、蔵に送ります」
す、とカオルが差し出された脇差を挟み、マサヒデの前に正座する。
「では、有り難く拝見させて頂きます」
長い方を取る。
すいっと抜いて、ぴたりと立てる。
「ご主人様・・・このひじき肌は、ケイハンでは・・・」
「私もそう見ます。もう1本、短い方も見て下さい」
カオルがケイハンを静かに納め、短い方を抜く。
「おお!? これは!」
やはり地金の美しさに驚いたか。
にやっとマサヒデが笑う。
「二筋樋が入ってますけど、まあ良いかなと思って」
「ううん・・・」
「誰の作とかは後で調べましょう。
蔵に送るか、送らないかの仕分けですから」
カオルが脇差を納め、腕を組んで2本をじっと見つめる。
横でマサヒデが刀を少し抜いて、すぐ納めて、箱にしまう。
「短い方を頂きます」
にこっとマサヒデが笑い、箱を脇にどけて、
「そっちを選ぶと思いましたよ。
ところで、蔵に送る前に、ラディさん達にお見せした方が良いですかね?
お見せせずに蔵に送ってしまったら、恨まれたりしませんかね?」
ぷ、とカオルが小さく吹き出して、
「ふふふ。ありそうですが・・・
でも、道場の方へは、皆様、またお訪ねするのでしょう?
その時に、ご主人様が送った物も、一緒に見てもらえば良いのですから」
「ああ、そう言えばそうですね。では、打太刀の仕分け手伝ってもらえます?
細かい彫りがあるのは、手入れも研ぎも大変ですから、誰のでも蔵行きです。
樋彫りはありにしましょう。
後は、今の自分のよりも良い物があるか、ですけど・・・」
マサヒデには、カゲミツが自ら手入れしていた無銘。
国宝の兄弟刀、雲切丸。
カオルには、小太刀に古刀の大傑作イエヨシ、打太刀に三本杉のモトカネ。
これらを超える作は、まずないだろう。
カオルは小さく首を傾げて、
「ご主人様、打太刀は全部、蔵行きでは?」
「まあ、もしかしたらあるかもしれませんし。軽く見るだけです」
そう言って、マサヒデは次の箱を開けた。
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