あやめ
子供の頃、月の下旬になると決まってそわそわしていた。
当時父は単身赴任していて、月に一度絵葉書が届いた。赴任先の風光明媚な街にはたくさんの絶景があるらしく、色とりどりの美しい景色の写真を見ては「私もお父さんのところに行きたい!」と言って母を困らせたものだ。
絵葉書の写真はもちろん楽しみだったけれど、いっとう楽しみにしていたのは父からのメッセージだった。あんなことがあった、こんなことがあったという知らせの最後に、母と私それぞれにメッセージが書いてあるのが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。パソコンを使って実際に顔と顔を合わせながら連絡もできたけれど、文字ってどこか特別で。父のすっとした美しい字で紡がれる自分の名前が大好きだった。
もう私はすっかり大人になって実家を出て、父も日本に帰ってきて会うことは昔よりうんと容易くなった。絵葉書のやり取りもなくなって、文字のやり取りなんて久しくしていない。
それでもときどき、父の文字が恋しくなる。そうだ、今度父に手紙を出してみようか。スマホ一つでメッセージがやり取りできる時代に手紙を送る意味を、父はきっと汲み取ってくれるだろう。
どんなことを書こうか。普段は口にできない気持ちも文字になら託せる気がする。父の文字のように美しいあやめに見守られながら、なんだか浮足立った気持ちで私は便箋に向き合った。
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