晴飛先輩の裏切り?
移動販売のお店の名前は、誠さんと智枝美さんと相談して「三国ベーカリー アコちゃん出張所」になった。まさかの、きららの案が採用されるなんて!
「一番わかりやすい」と、誠さんと智枝美さんがゴリ推ししてきたから、私も乗っかることにした。恥ずかしいな……。
完成した「三国ベーカリー アコちゃん出張所」のチラシを老人ホームに持っていくと、職員さんからなかなか良いリアクションを貰えた。
「利用者さん、なかなか外に買い物に行けないからネット販売を利用するけど、それだと物足りないみたいで。移動販売に来てくれたら、目の前にある商品を選んで買うっていう体験ができてきっと楽しいと思う。しかも、お店で買うのとたいして値段も変わらないみたいだしね」
「ご興味がありましたら、後日祖父と一緒にお伺いします!」
大人と話すための敬語も、一応勉強してきた。社長だからね。「おうかがいします」がうまく言えなくて、何度も練習したんだ。
対応してくれた職員さんは、所長に相談して後日連絡してくれると言ってくれた。
同様に、他の施設も回ってみた。最初は子どもひとりでの訪問に警戒していたけれど、三国ベーカリーの名前を出すと、すぐに優しい表情になる。
職員さんと話している間も、元気な利用者さんが話しかけてくれる。
「三国ベーカリーさんね。昔は良く買いに行ったわ。移動販売に来てくれるならとっても嬉しい。アコちゃん出張所だなんて、かわいらしい名前ね。覚えやすいわ」
杖をついていたおばあちゃんは、懐かしむように目を細めた。
誠さんと智枝美さんが守ってきた三国ベーカリー。買い物にいきたくても出来ない人がこんなにたくさんいるなんて!
老人ホームのあとは、先日熱中症で倒れたところを助けたおじいさん、大湯さんの家に行ってみた。
ドキドキしながらチャイムを押すと、インターホンの向こうから「あ、三国ベーカリーのお嬢ちゃん!」と声がして、すぐに玄関のドアがあいた。良かった、覚えてもらえてた。
「どうした? 忘れもんか?」
「いえ、実は三国ベーカリーで移動販売を始めることになって」
私がチラシを渡すと、大湯さんはちらっと見た後、ため息をついた。
えっ、ダメかな……。喜んでくれるはず、と思っていたから、ショックが大きい。
私の顔を見て、大湯さんは慌てて手を横に振る。
「あ、ごめんごめん。老眼で文字がよく見えなくて。そんな自分がイヤでスーパーに行くのも面倒になったんだ。疲れるんだよね、字やモノがたくさんあるスーパーって」
そこで、私はミスに気付く。たくさんの情報を入れようと、文字を小さくしてしまった。
高齢者に配るのに、配慮がない。
「すみません、次からは大きな文字にします」
「いいって。それより、移動販売はいいね。でも、送料とか高いんじゃない?」
私は、送料はパンの値段+十円~二十円程度であること、電話で商品の指定をしてもらうのもアリだけど、基本的には「その場で」選んでもらうことになることを伝える。
「十円? たったそれだけでいいの?」
「移動販売って、そういうものらしいです」
実績ある移動スーパーの価格を見てみると、店頭販売の料金+十~二十円程度しか上乗せしないというので、それにならってみた。
「へぇ~これは利用しないわけにはいかないな。楽しみにしてるよ! アコちゃん出張所!」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
私はぺこりと頭を下げた。読みやすいチラシ、作ってこなくちゃ。
汗を拭い、かばんの中の水筒から冷たい水を流し込む。美味しい。習い事も部活もまともにやってこなかったから、こんなにも「美味しい一杯」があることは、この夏まで知らなかった。
三国ベーカリーに帰ると、三歳くらいの小さな子どもを連れたママさんがお店の中から出てきた。しかし、グズりはじめた子どもを抱きかかえようとしたとき、購入したばかりの三国ベーカリーの三斤サイズの食パンの入った袋が地面に落ちてしまう。
私は慌てて駆け寄り、大きな食パンを拾って渡す。先日、三国ベーカリーのお客さん調査をしたときにも来てくれていた常連さんだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
疲れた表情のママさんは、力なくお礼を言う。私はかばんからチラシを出し、折りたたんで袋の中に入れる。
「いつも食パン買ってくれてありがとうございます! 今度移動販売を始めるので、良かったらご利用ください! わからないことが合ったらメールか電話ください!」
私の言葉に不思議そうに首を傾げつつ、ママさんは子どもをなだめながら、うだる暑さの中を歩いて行った。
……なんだか、手ごたえがない。これはダメそうかな。街中でティッシュ配りをしている人をスルーしてしまうけど、こんなむなしい気持ちなのかもしれない。
でも、これでくじけない!
手ごたえがないと思ったけど、その夜、昼間のママさんから電話が来た。夕飯を終えて誠さんと智枝美さんに進捗を報告していたところだった。一緒に話を聞けるよう、スピーカーにする。
『昼間はありがとうございました。ちゃんとお礼しなくてごめんなさい』
「いえ、とんでもないです」
『ところで移動販売なんだけど、定期便にしてもらうことは可能でしょうか? 週に二回ほど、玄関先の宅配ボックスに入れておくというのは? うちの子たち、三国ベーカリーの食パンが大好きで、これじゃないと食べないって言うんです。でも、週二回買いに行くのがちょっと大変で……どうしようかと思っていた今日、チラシをもらって嬉しかったです』
子どもたちが三国ベーカリーのパンが大好き、と聞いた誠さんは、目じりを拭いながらひとり頷いていた。
「行きます!」
詳しく打ち合わせをし、正式に契約が決まった。
「やったー!」
電話を切り、私は大喜び! やっとやっと、移動販売がスタートラインに立った気がして、嬉しかった。手ごたえの有無なんて、わからないものだ。
「嬉しいな……パン作り、続けて良かったよ」
誠さんは、何度も指で目じりを拭う。
「こうして、買ってくださるお客様の声を聞けるって、何よりの励みになるわね。お店で売るだけじゃ、あんまりこういった声を聞けないもの」
智枝美さんも嬉しそう。
お金だけじゃない。パンを売って喜ばれることは、売る側としても大きなモチベーションになる。
ずっとずっと不安だったけど、少し希望が見えた。
やったよ、晴飛先輩! きらら!
その後、老人ホーム二件の契約も決まった。どちらも五十人前後と人数が多いから、ここは誠さんに車を出してもらう。
大湯さんも、ご近所さんに声をかけてくれたらしく、そのうちの一軒の庭先で営業して良いと言ってくれた。
「みんな寂しいから、理由つけて集まりたいんだよ」だって。交流の場になれるのも、移動販売の良いところだと思う。人数は五人前後だという。
それにしても……なんとも上手くいっている!
もちろん私の力じゃなくて、長く三国ベーカリーを経営してきた誠さん、智枝美さんあってのことだし、色々教えてくれた晴飛先輩と、協力してくれたきららのおかげ。
三国ベーカリーと聞けば、「ああ、長くやってるあそこの」で通じ、話を聞いてもらえる。商売とは、信頼あってのものだと実感した。
あとは、保健所等の認可を待つばかり。早く許可が下りないか、毎日待ちわびている。
そろそろ、晴飛先輩に報告してもいいかな。
気が付けばお盆も明け、夏休みも残り少ない。
早く会って、いろんなことを報告したくて。「朱琴、がんばったね」って言ってほしくて。
会えない間、ずっと晴飛先輩のことを考えてた。晴飛先輩ならこう言ってくれるかな。晴飛先輩ならどうするかな。
もう、私は晴飛先輩のいない人生が考えられなくなっちゃったみたい。
そう思うようになって、逆に連絡しにくくなってしまった。だって、恥ずかしい!
これまで、好きでいてもらって当たり前だったから。私からどう動いていいかわからなくて、なかなか連絡できない。
きららに相談したところで「今更、恋しちゃったって気付いたの? 遅くない?」って呆れられちゃったけど……。
頭を冷やすために、コンビニにアイスでも買いに行こう。外に出てみると、夕方の風が子落ち良かった。お盆が明けてから、心なしか風が爽やかになった気がする。
歩いてコンビニに到着する。アイス売り場に直進しようとすると、見覚えのある素敵な人がアイスを選んでいた姿が見えた。
くまさんちの、シュンさんだ。
相変わらずかっこいいけど、なんだか気まずくてお菓子の棚に隠れてしまった。一方的にライバル視しているだけなんだけどね。
「シュン」
名前を呼ばれたシュンさん。そっちを見て、ニカっと笑顔を浮かべた。
シュンさんを呼び捨てにする声……聞き覚えのある男の子の声……。
うそっ、晴飛先輩!?
なんで晴飛先輩が?
一瞬にして、目の前が暗くなる。
二人は小さな声で何かをささやきあい、楽しそうにアイスを選んだ。
レジに向かう二人にバレないよう、私はお菓子の棚を利用して逃げる。
どうして、なんで。くまさんちのシュンさんの話をしたとき、知り合いだとか友達だとか言ってなかったじゃない。それとも、言えない関係なの?
付き合ってる、とか……。
そういえば、私は晴飛先輩から「好き」とは一度も言われてない。好意は感じたけど、私の勘違いだったのかな。「女の子の友達」「経営のことを勉強しているから応援する」とか、そういうことだったのかも。
勝手に、自分が恋愛対象だと思って、バカみたい。
二人はコンビニを出ると、アイスを食べながらやたらと広いコンビニの駐車場を横切って交差点を渡っていった。
アイスを買う気力がなくなって、私はそのままコンビニを出た。そして、その足できららの家に向かう。
「どうしたの、いきなり」
部屋着のきららは、連絡もなく家に来た私に驚いていた。でも、ただ事ではない様子を見て家に招き入れてくれた。
事情を説明すると、きららは眉をしかめる。
「うーん、でも、センパイの朱琴への対応は間違いなく好意だと思うんだけど……」
「そうかな……」
まるで自信がない。本当にそうだったのかな。
「そうじゃなかったら、あたしがセンパイを許さない」
きららは、ものすごい殺気をまとっている。本当に何かしそうで怖いくらいだけど、とっても頼もしい。
「ひどいじゃない。さんざん朱琴をその気にさせて、好きにさせて。でも本当は本命がいました、それはライバル店のイケメンです、ってふざけてる!」
「ほんとだよ! ひどい!」
きららに合わせて、私も文句を言う。
「ちょっと顔がいいからって! ちょっと優しいからって! ちょっと経営に詳しいからって! ちょっと気が利くからって! ちょっと頼りになるからって!」
「……朱琴、文句じゃなくて好きなところばっかり言ってる」
恥ずかしい。私が晴飛先輩のことを語るとなると、良いことしか言えないみたい。
「ほんとに、好きになっちゃったんだね。朱琴も恋かあ。大人になったのねぇ」
「智枝美さんが言いそうな言葉」
きららと話して、心がすっきりしてきた。ちょっとだけね。
「コンビニでアイス買えなかったんでしょ? アイス、ウチにあるの食べていって。それから、三国ベーカリーのことも教えてよ。最近ひとりで頑張っているみたいだから、寂しかったんだよ」
きららと一緒にキッチンに行き、冷凍庫の中から選ばせてもらう。そのやさしさに、なんだか泣きそう。きららに何かあれば、絶対に何をおいても助けるんだ。晴飛先輩よりもね。
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