これならパン屋さん経営がうまくいくかも?

 その日の夜、三国ベーカリーのマーケティングについてメモしているノートを前に、頭を悩ませた。


 パンの宅配は良い案だと思う。「どんなお店にしたいか」について、思ったままを書いていく。



・宅配は、注文のハードルがある

・目の前にある商品を選んで買いたい

・高い送料は払えない

・人とコミュニケーションを取りたい



 これがクリアできたら……。外出が面倒になった高齢者、妊婦さん、小さな子供連れのパパやママ、身体が不自由な人たちに、パンを食べてもらえる。誠さんもやりがいを感じられそう。


 ベッドでうつぶせになりながら、自分の書いたノートの文字を追う。外出しにくい人が利用すると言えば、ネットスーパーかな。


 スマホで、ネットスーパーについても調べてみた。


 ネットスーパーは事前にメール・電話・ファックスを送って、指定の日に食料や日用品を届けてもらうサービス。一週間前に注文しないといけないらしくて、中には何を注文したか忘れて、同じものを頼んでしまう人もいるとか。


 それに……。


「一週間前に、何が食べたいかなんてわかんないよ」

 天気もあるし、気分も違うのに、一週間前に何が必要かを決めるのはなんだか楽しくなさそう。


 便利ではあるけど、私が三国ベーカリーでやりたいこととは違うな、と思った。


 ネットの記事を追っていると、「移動スーパー」の文字が目に入る。興味があってタップしてみた。


 移動スーパーは、軽トラに生鮮食品、お惣菜、日用品など、スーパーで買えるものを積んで、週に何度か販売に来てくれるサービスみたい。個人宅だけでなく、老人ホームやケアサービスなどの施設に行くこともよくあるみたい。


「週二回来てくれれば、その時食べたいものを買えるし、その場で食べたいものを選べる!」


 移動スーパーのシステム、いいんじゃないかな。

 これなら、誠さんも智枝美さんも興味をもってくれるんじゃないかって興奮して、移動スーパーについて調べ物をする手が止まらなくなった。



   *


 

 翌日、夕飯を食べ終えた誠さんと智枝美さんに、パンの移動販売を考えていることについて提案した。


 あれからずっと、誠さんとはちょっと距離ができていたけど、ここでくじけるわけにはいかない。


 私の話を一通り聞いたあと、誠さんと智枝美さんは顔を見合わせた。


「いい……んじゃないかしら」


 智枝美さんが、誠さんの様子を伺うように問いかける。


「確かに、最近顔を見なくなった高齢者のお客さんがいて、心配だったんだよな」

 呟くように、誠さんが言う。


「でも、誰が移動販売をするんだ? 俺と智枝美はどちらか店にいなきゃいけないし、かといってひとりで販売に行くというのも大変そうじゃないか」


「私もやる。名前だけとはいえ社長だから」


 移動販売を思いついてから決めていたことを言うと、誠さんも智枝美さんもやっぱり驚いた。


「ダメだ、ちょっとお手伝いするのとは訳が違うんだ。それに芸能人とか新聞配達員と違って、中学生は働いちゃいけないって法律で決まって……」


「家の手伝いであり、なおかつ簡単な仕事であれば労働契約にあたらないんだって」


 絶対に反対されるだろうと思って、法律についても調べておいた。


「私がやりたいの。社会勉強にもなるし、学校の勉強はさぼらずやります」


 私がしっかり調べていることに対して、誠さんも智枝美さんも、何も言い返せない。


「私は、三国ベーカリーのパンをもっとたくさんの人に届けたい。美味しいって笑顔で食べてほしい。それに……」


 誠さんと智枝美さんの顔を見つめる。


「二人がパン屋さんを経営している時が、一番イキイキしてると思うから。ずっとずっと、パン作りをしてほしいの」


 大好きなパンが売れずに落ち込んでいる二人から、パン作りを取り上げたくない。


 私の言葉に、誠さんは声を詰まらせ、目に涙を浮かべた。


 誠さんが泣くのなんて、初めて見た。びっくりして、私は何も言えなくなる。


「そうだよ……俺はパン作りが好きで、パン作りだけをしてきたんだ……本当は、店をたたみたくない」


 雑な仕草で涙を拭う誠さんの背中を、智枝美さんが優しくさする。


「誠さん、やってみましょうよ移動販売。朱琴ちゃんのおかげで、この歳で新しいことに挑戦できるなんてラッキーじゃない」


 ね、と智枝美さんが私を見てにっこり笑った。


「そうだな。やろう!」


 誠さんの目はやる気に満ちあふれていた。


 そうと決まれば、やることは山積みだ。

 いつの間にか八月に入っていて、夏休みもあと一ヶ月しかない。その間に、移動販売を形にするんだ!



 翌日はきららに来てもらい、作戦会議をする。


 移動販売の話をすると、「いいじゃん!」と乗り気になってくれた。

 スマホのマップだとどうにも見えにくいので、図書館で地図をコピーしてもらって、移動販売をする範囲を決めていく。


 働ける時間は、朝学校が始まる前と、授業が終わった放課後だけ。短時間で販売して帰るためには、遠くには行けない。でも、三国ベーカリーの周りは住宅街だから、さまざまなポイントで販売ができる。

 高齢者も多いけど、ファミリー層もとっても多い。市内に小学校は八校、中学校は五校もある。人口はわずかながらに増え続けていて、活気がある街だ。


 だから、競合となる移動販売をしているお店は他に無かった。でも、少なくても買い物に困っている人はいる。

 その人たちをサポートできれば、三国ベーカリーの希少性になって、売り上げにもつながるはず。


 保健所への申請や販売地域の許可は、誠さんがとってくれることになっている。


「老人ホームと、このデイケア施設はマストだね」


 きららは、ペンで老人ホームや施設にマルをつけていく。ここも、誠さんや智枝美さんと行って許可をもらいに行こう。


「ねーねー、お店の名前どーする? 三国ベーカリーだけじゃなくて、なんかもっと可愛い名前つけたくない?」


 販売場所探しに飽きたのか、きららがジュースを飲みながら楽しそうな表情を浮かべた。


「そっか、名前か……」


「アコちゃん出張所とか」


「……それ、可愛い?」


「ダサいか」


 きららは大笑いして、手を左右に振った。

 でも、そういう名前があると、より楽しめそうだと思える。キラキラした横文字より、わかりやすくて親しみある言葉がいいなぁ。


「アコちゃんち、は?」


 なんか聞いたことある。


「くまさんちみたい……そういえば、くまさんち、の由来ってなんだろう?」


 あまり考えていなかったけど、店の名前を考えるとなると気になる。


「テディベアが好きとか? 名前が熊野さんとか?」


「あー、熊野さんありそう」


「それにしてもシュンさん、かっこよかったなぁ」


 きららは、いつもの元気でさばさばした表情とは違う、ちょっと緩んだような、にやにや顔をする。


「きらら、ああいうタイプが好きなんだね」


 繊細で儚い雰囲気のシュンさんを思い出す。


「やだぁ、好きっていうか、憧れっていうか推しっていうか」


 きゃーと手で頬を挟む。


「推しか……。そういう売り方を見つけたシュンさんはすごいよね」


「えー、そういう言い方だと、なんか金のためって感じでイヤじゃない?」


 きららは、ちょっと汚いものを見たかのような顔をする。

 でも、実際そうだ。

 美味しいパンを作って並べておけば売れるわけじゃないってことは、これまでの流れでわかったこと。でもお金を儲けたいって思いを全面的に押し出すと、きららのように「なんかお金のことばっか考えているみたいでヤダ」と思われてしまうかもしれない。


「あーモノを売るって難しい!」


 私の唐突な叫びにきららはびくっとなる。


「あ、ごめんごめん。そうだ、チラシ作ろう。老人ホームとかに配って移動販売の契約してもらったり、販売拠点周辺のおうちにも宣伝しないと」


「オッケー! 可愛いイラストも描こう。朱琴は字がきれいだから任せる」


「えへへ。ありがとう。移動販売はこの街では珍しい存在だから、わかりやすく書いて理解してもらわないとね」


「なるほど~それはそうだよね」


 ふんふん、ときららが頷く。


 きららは、いつも私の味方であり、最近では三国ベーカリーのことも手伝ってもらっている。


「……今更だけどさ、きらら大丈夫? こんなに私のこと手伝って」


 ずいぶん自分の都合に付き合わせてしまっていて、ちょっと申し訳ない。


 きららは、不思議そうな顔をして首をかしげる。


「何が」


「中学生は基本的に、家の手伝いレベルじゃないと働いちゃいけなくて。私は三国ベーカリーの子だからいいけど、きららはそうじゃないじゃない? お給料は出せないし、完全に労働力の搾取、っていうか……」


 ニュースで聞きかじった言葉を使ってみる。きららの好意に甘えて、都合よく使っているんじゃないかって心配。


 きららは、搾取って言葉を聞いてまた笑う。


「あー、そういう心配ね! 大丈夫、私の夏休みの自由研究の課題として、『経営について調べてみた』っていうのやってるから! いいネタ提供してくれてこっちこそありがと!」


「えー、私も自由研究は経営についてまとめようと思ったのに!」


「ネタかぶりはダメでーす。あたしが先でーす。そういうわけだから、気にせずこき使ってよ。夏休み中なら、自由研究のネタ提供の……なんていうの、対価としてボランティアするからさ。それに、フツーに楽しいから、手伝ってるって感じでもないし」


「じゃあ、ありがたく夏休みの間だけはお手伝いよろしくお願いします」


 もしかしたら、きららなりに私に気を遣わせないように自由研究のネタにしたのかも、なんて思った。きららなら、それくらいの気遣いを無意識にできる子だから。


「三国ベーカリーの売り上げがアップして、私のお小遣いが増えたら、美味しいものおごってあげるからね」


 アップしたお小遣いは働いて得たお金だから、おごるのはアリでしょ。


「やったぁーあたしクレープがいいな!」


 これだけ協力してくれているきららのためにも成功させなくちゃ!



 晴飛先輩とは、水族館デート以降会ってない。というのも、私が「良いアイデアがまとまりそうなので、上手くいったら報告します」と連絡しているから。


 晴飛先輩は「わかった。がんばって」と言ってくれた。


 これまで、晴飛先輩に頼ってばかりだったから、自分の力で頑張ってみたいんだ!

 とはいえ、これで黙る晴飛先輩ではない。


 夕飯を食べ、自分の部屋でのんびりしていると、メッセージが来た。晴飛先輩から。


『朱琴の声が聞きたい』


 何これー! ドラマや漫画でしか見ないセリフ!


 声が聞きたい、だって。どうしよう、何を話したらいいんだろう。


 でも、私も晴飛先輩とおしゃべりしたい。


「いいですよ」


 返信すると、すぐに通話が来る。通話ボタンを押す手は、ためらいながらも画面に吸い込まれるようにタップした。


「こ、こんばんは」

『……』


 あれ、無言。通じてないのかな?


「晴飛先輩?」

『あっ……ごめん、自分から言い出したのにいざとなると緊張して』


 緊張しやすい人だな。


「面白いですね、晴飛先輩って」


 私の声に、晴飛先輩はあははと力なく笑う。


『情けないな。朱琴の前ではかっこつけたいのに』


 私の前ではかっこつけたい、って。嬉しい。


「どんな晴飛先輩でも、私は平気です」


『ありがとう。三国ベーカリーのこと、頑張ってね』


「ありがとうございます。上手くいったら、報告します」


『朱琴なら大丈夫だよ。これまで色々考えて、頑張ってきたんだから』


 朱琴なら大丈夫。その言葉で、自分に自信が出てくる!


「絶対、いい報告ができるようがんばります!」


 晴飛先輩と話していると、自分のことを好きになれる。不思議な感覚だった。

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