私の生い立ち、話していいですか?
私の言葉に、晴飛先輩はコーラを飲む手を止めた。
「ごめん、家庭の事情を無理に聞き出そうとしたわけじゃなくて」
「いえ。晴飛先輩は聞きたくないかもしれないけど、私が話したくて」
心の中にしまっておきたい感情で、きらら以外には話したことはない。でも、晴飛先輩には知ってほしいと思った。
賑やかな水族館のカフェの中、私と晴飛先輩の周りだけ静かになった気がした。
「て、言っても、大したことじゃないですよ」
明るい口ぶりで言ってみる。
晴飛先輩は、リアクションに困ったのか表情を変えずに私を見た。
「ええと……。私が赤ちゃんの頃で記憶にないんですけど、どうやら私は親に捨てられたらしくて」
「うん」
晴飛先輩は、真剣な表情で相槌をうつ。
「私が生まれてすぐ両親は離婚したんです。それで、お母さんが私をひとりで育てようとしたんですけど、なんか、ダメみたいで。精神的に大変だったので、自分の両親である誠さんと智枝美さんに私をあずけて、どこかへ消えてしまったと聞きました」
辛いことに思えるけど、記憶はないのでどこか他人事な気がする。
「私も最初は、どうして私を捨てたのって悲しかったし、生まれてこなければよかったと思ってました」
「そんなことはない」
晴飛先輩は、間髪入れず否定してくれた。それだけで、救われる。
「誠さんが言ったんです。『あいつは昔から真面目すぎて自分を追い込んでしまう。だから、朱琴ちゃんを俺たちに預けるという判断をしてくれて良かった』って。テレビで虐待のニュースを見たとき、ぽろっと言ってて。だから、お母さんが私を捨てたのは、最後の愛情だったのかなって思うようになりました。でも……やっぱり自分に自信がないんです」
私が吐き出す言葉に、晴飛先輩は言葉に詰まる。
唇をかみしめて、言うべき言葉を探しているように私をじっと見つめてから、話し始めた。
「僕も、三国ベーカリーのご夫婦も、佐木島さんも、朱琴が生まれてくれて良かったと思っているよ。それに……朱琴のお母さんもきっとそうだ」
「ありがとうございます。親の気持ちはわからないし、今でも「なんで」って思うことばかりです。でも、誠さんと智枝美さんが愛情注いで育ててくれたから、こうして元気に生活できてるんだなってずっと感謝しているんです。だから、三国ベーカリーの売り上げをアップさせて、誠さんと智枝美さんに元気になってもらうのが、私の祖父母孝行だと思って頑張ってます」
晴飛先輩はうんうんと頷いた。
「そっか。ありがとう話してくれて」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとうございます」
「そんな話を聞いたら、ますます協力したくなるよ」
「そう言ってくれて嬉しいです。でも……私のこと、嫌いになりませんか?」
私の発言に、晴飛先輩は眉をひそめた。
「どうして?」
「だって、親に捨てられるような子ですよ?」
私のネガティブな言葉に対し、晴飛先輩は、優しい笑みを浮かべた。
「捨てられたんじゃないよ。朱琴のお母さんは朱琴を大切に思うからこそ自分の親に預けたんだ。結果、朱琴は優しくて努力家の素敵な女の子に育ったんだから。嫌いになる要素なんてない」
ネガティブなことを言うと、怒ったりイライラしたりする人もいるけど、晴飛先輩は優しく包み込んでくれた。
「そう、ですかね」
えへへ、と照れ笑いする。
「自信がないことも、ネガティブに考えなくていいと思う。だからこそ、三国ベーカリーを立て直すために必死に勉強したり行動したりできるんじゃないかな。朱琴は、朱琴のままで十分素敵だ」
私のままで素敵だって。
なんだか、涙が出そうになる。私にそんな価値があるのかなって、信じられない気持ち。でも、だからこそいろいろ努力できるんだって晴飛先輩が言ってくれたから、それでもいいんだと思えた。
晴飛先輩に話して良かった。もし晴飛先輩に悩みがあったり困ったことがあったら、三国ベーカリーと同様に全力で応援しようと決めた。それが私の恩返しになる。
自分の心をさらけ出せる人がいるというのは、なんて心強いんだろう。晴飛先輩にとっても、私がそういう人になれたらいいな、と思った。
「そうそう、マーケティングって、お店に限らずいろんなところに活用できるんだ。たとえば今日も」
晴飛先輩は、マジックのタネあかしをするように得意げに微笑む。
話題を変えようとしてくれるのだと思い、私も明るい声で聞き返した。
「今日?」
いったいどこにマーケティング要素があったんだろう?
「朱琴をデートに誘おうと思ったら、朱琴の好きなことを知らなきゃいけない。太陽の下で騒ぎたい子なのか、涼しくて静かなところでゆっくりしたい子なのか。自分が行動する時、相手のことを知っておけば大きな食い違いは避けられるでしょ」
「確かに。今日、バーベキューしようと誘われても、あんまり行きたくないかもです」
こんな暑い中騒ぎたいタイプじゃないって、分かってもらえていてよかった。それに、私の好きなこと、得意なことを見つけてくれようとしたのが嬉しい!
そういえば、私の休日の過ごし方や好きなものについて、あれこれ聞かれたことがあったな。あれはちゃんとしたリサーチだったんだ。
「それから、自分は朱琴とどんなデートがしたいか考える。順序だてて考えれば、僕も朱琴も、どちらも楽しいデートができる。そう思うと、世の中のことは、マーケティングと一緒だね」
晴飛先輩、人生何回目なんだろう。たった二歳上とは思えない、大人な考えだ。
「だからその……今日、朱琴が楽しんでくれてたらいいんだけど」
晴飛先輩は、居心地悪そうに言った。
「もちろんです。水族館は素敵だし、マーケティングの話もできたし、とっても楽しいです」
「よかった」
晴飛先輩は安心したように、深く椅子にもたれかかった。
「そうだ、切符代と水族館の入場料、払います」
私はバッグからお財布を取り出した。
「いいよ、僕が誘ったんだし」
「ダメです。働いていない中学生がおごったりおごられたりしちゃいけないって祖父母に言われているので」
私は事前に調べておいた入場料と電車の往復運賃分をテーブル渡す。
「まぁ、そうだね。じゃあ……」
納得はしていないようだけど、しぶしぶ私のお金を受け取った。
「まだまだ水族館は広いから、見にいきましょう」
私はテーブルを片づけて立ち上がった。
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