ドキドキのデート!
その夜、図書館で借りた経営の本を読んであれこれ考えてみたけど、これといったアイデアは浮かばない。
客層や感じたことをメモしたノートを見ても、なにも良い案が出てこない。
頼るしかないか、晴飛先輩を。
自分の力じゃないみたいでイヤだけど、このままだと誠さんが三国ベーカリーを閉店させてしまう。
晴飛先輩にメッセージを送るため、改めてインスタの投稿を見てみた。
美味しそうなパンばかりで、遠くのパン屋さんにも足を運んでいるみたい。
でも、なぜかくまさんちの写真は一枚もなかった。
好きじゃないのかな?
不思議な気持ちはありつつ、私はメッセージを考えて送る。
くまさんちに行って感じたこと。三国ベーカリーでも映えるパンを、という私の案は却下されたこと。今日、三国ベーカリーのお客さんについて調べたこと。
すぐに返事が来た。
『デートしよう』
目の前にいたら「なんでだよ」と突っ込んでしまいそうな回答だった。今はパンのことを考えたいんだけど。
「デートですか?」
『メッセージじゃ相談に乗りにくいし。直接会おう。ところで朱琴は水族館好き? 暑いから涼しいところがいいよね』
本当に相談に乗ってくれるのか怪しくなってきた。
……けど、晴飛先輩と水族館には行きたい。
頭で考えるだけじゃ、新しいアイデアは浮かばない気がするし、せっかくの夏休みだし。
「行きたいです!」
返事をしてしまった。
私にとって、男の子とデートするのは人生初。
しかも相手は、どうやら私のことを好いてくれている人で、私もちょっと気になる人。
返事をしてから、事の重大さに気づく。
「これは大変だ」
きららに、即連絡!
「明日、晴飛先輩とデートすることになったんだけど!」
『なんだと!』
「デートって何着るの? わかんない助けて」
『明日、待ち合わせ何時?その前に朱琴んち行くから、その時決めよう』
持つべきものは友達!
それにしても、パンのこともおしゃれのこともいろいろ考えることになって、パンクしそう。
翌日、晴飛先輩と待ち合わせ前にきららと作戦会議。
おしゃれなきららは、水族館デートなら……ということで色々考えてくれた。
「歩きやすい靴がいいよ。靴に合わせてコーディネートしよう」
「なるほど」
「水族館の雰囲気を邪魔しないように、ブルーやグレーの服がいいかな」
「そこまで考えてなかった。さすがきらら」
「でっしょー。あたしに任せてっ」
きららに服をコーディネートしてもらい、さらにメイクも少しやってもらった。
淡い色のリップを塗っただけで、いつもより可愛くなったみたいで嬉しい。
鏡を見て、笑顔の練習もする。
「朱琴、可愛いよ!」
きららが、親指をくいっとあげる。自信がついてきた!
「朱琴たち、駅で待ち合わせでしょ? センパイがどんな私服か見に行っちゃおうかな」
「本当に?」
「冗談だよ、こんな暑い中わざわざ見に行くほど興味ない」
大きな口で、あっけらかんと笑う。
きららのさばさばした性格、本当に好きだな。
こんなに可愛くて面倒見が良いきららより、なんで私が晴飛先輩に好かれているのかわけがわからない。
きららは、顔のタイプなんてそれぞれ……っていうけど。
私の良さ、ってなんだろう。
三国ベーカリーのことも自分のことも、近くにいるのに良さが全然わからないよ。
晴飛先輩と最寄り駅待ち合わせ。
夏休み中の駅前は、家族連れも多くてとても賑やか。若いママと一緒に歩いている同世代の女の子を見ると、今でも胸がぎゅっとなる。その笑顔から、急いで目を反らした。
誠さんと智枝美さんが大好きなことに変わりはない。
でも、若いパパとママがいたら……って思うことは、やっぱりある。もちろん、二人には言えないし、言わないけど。
自分の幸せを諦めたら、こんな風に胸が締め付けられることもないんだ。そう思っていたけど、まさか、夏休みに駅で男の子……しかもとってもかっこよくて、私のことを気に入っている人と待ち合わせることが、私の人生にあるなんて。
緊張しながら待ち合わせ場所である改札前に行くと、晴飛先輩がすでに待っていた。
スマートなアンクル丈のグレーのパンツに、ブルーのアンサンブルTシャツがめっちゃおしゃれ! モデルさんみたい……。
晴飛先輩はすぐに私に気付いて、会釈した。会釈……?
「お待たせしました!」
一方の私は、白地のTシャツにハイウエストのワイドパンツを合わせた。ワイドパンツはスカートのようにも見えるタイプだけど、パンツだから歩きやすくてスニーカーにも合って、おしゃれで歩きやすいんだ。
「ヨ、ヨロシクオネガイイタシマス……キップカッテオキマシタ」
ロボットのような動きで切符を渡してくれる。
口調がかたい。晴飛先輩、もしかして緊張してる?
「ありがとうございます。お金払います」
「ジャア、イキマショウカ」
相当緊張しているのか、会話がかみ合わない。その姿は可愛くて、私の緊張は飛んでいってしまった。
晴飛先輩は改札もうまく通れなくて、バターンと改札から通せんぼされている。切符が上手く入れられないみたい。
普段は、交通系ICカードを使っていて、慣れないのかも。
なんとか改札を通りホームまであがったけど、晴飛先輩は無口。電車に乗っても、カチコチのまま窓の外を見ているだけ。
その姿を見ているのが楽しくて、私は晴飛先輩ばかり見ていた。
水族館がある駅につくと晴飛先輩は少し落ち着きを取り戻したようで、堅い口調とロボットみたいな動きが取れてきた。
ゆっくりながら、改札もスムーズに通れた。
「水族館はこっちみたいです」
「なんで敬語に戻っちゃったんですか? なんか今日、らしくないですよ」
「それは……朱琴の私服が可愛くてびっくりしたからです」
予想していなかった答えに、今度は私がぎこちなくなる。
「あっ、そうでしたか……」
恥ずかしいけど、嬉しい。
水族館のチケットはオンラインで予約済みということで、並ばずに入場できた。
晴飛先輩はスマートだなぁ。
……デートに慣れている......ってこと?
別にいいんだけどね、年上なんだし。それくらい、きっとある。そう思っておこう。
「晴飛先輩も、私服めっちゃかっこいいです!」
晴飛先輩は、「ヒィィ」とおかしな声をあげて顔を覆ってしまった。
なんだか、ギャップが面白い人だ。
水族館はすべて屋内だから、涼しい中で生き物たちを見ることができた。
クラゲは、大きな水槽、小さな水槽の中にいる。薄暗い館内でライトを浴びながら優雅に漂う姿に囲まれるのは、まるで宇宙の中にいるみたいな非日常の空間だった。このエリアはカップルも多くて、手を繋いでいる人も多い。なんだか恥ずかしくて、その人たちや晴飛先輩の方は見られない。
「きれいですね」
「ですね」
話が弾まないけど、隣にいて居心地は良かった。どうしてだろう?
私のことを好いてくれているっていう安心感があるからかな。それだと、私のことを好きであれば誰でも良くなっちゃうのか。でもそれは違う。
いけない。あんまり難しいことを考えるのはよそう。
巨大水槽を見たり、ペンギンを見たりして、普通のデートを楽しんだ。でも、頭の片隅にはずっと三国ベーカリーのことがある。
水族館を楽しんでいて、いいのかな、パンのことを考えないでいいのかなって思ってしまう気持ちもある。
誠さんとはやっぱりぎこちないし。新しいアイデアも出ないし。
でも、このまま三国ベーカリーがおわっちゃうなんてイヤだよ。
「少し、休みましょうか。お昼ご飯食べよう」
水族館の中のカフェでランチをすることにした。水族館の中のお店ということで、なんとチンアナゴの形をしたパンが売られている!
「晴飛先輩、チンアナゴですよ! 可愛い……けど、六百円……」
非常に高い。こんな値段じゃ、三国ベーカリーで売っても誰も買わないよ。
「高いけど、買っているお客さんはたくさんいるよね。それが希少性。ここでしか買えないから、高くても気にならない」
経営の話になって、ようやく晴飛先輩の敬語がとれた。
「非価格競争ができるわけですね」
何度も本を読んだから、すっと言葉が出るようになった。「非価格競争」は商品の価値を高めたり希少性をアップさせたりすれば、値段が高くても購入してもらえる仕組みだ。
水族館という場所で、チンアナゴパンという希少性があるから六百円でも売れる。他のお店と安い値段で勝負する「価格競争」をしなくていい。
「経営のことはまだわからないけど、こうして見ると街中で売られている商品やサービスの仕組みが見えてきて面白いです」
「そうでしょ! 僕もそれが楽しくて、経営を勉強しているんだ」
明るい表情で、晴飛先輩は何度も頷く。
カフェでは、晴飛先輩はチンアナゴパンとコーラ、私はホットドッグとオレンジジュースを注文した。
晴飛先輩は「ごめんね、まず写真を撮らせてね」と私に一言断ってくれてから、チンアナゴパンを撮影しはじめた。
「晴飛先輩の写真、パンに愛情があるってわかるから、素敵です」
私の言葉に、晴飛先輩は「いやいや」と顔を赤らめながらスマホをしまった。
「本当に、パンが好きなだけだから」
いただきます、と言って、晴飛先輩は「頭からは行きにくいなぁ」と言って、チンアナゴパンの尾の部分から食べ始める。口から、鮮やかなチンアナゴパンがにょろっと出ているのがおかしくて、私は笑顔になる。
あ、そうか。「チンアナゴパンを写真に撮りたい」「口からチンアナゴが出ている姿が面白い」という体験も、値段に含まれているということか。
でも、私みたいに「普通のホットドッグが食べたい」と考えて注文する人もいる。
お客さんのタイプはそれぞれ。三国ベーカリーに来てくれるお客さんのことを考えて、作戦を練らないといけないんだ。
誠さんが、かたくなに「映えるパンは作らない」と言った理由がわかった。
毎日、お客さんと対面で商売している誠さんは、とっくにわかっていたんだ。いつも来てくれるお客さんは、映えるパンを欲しがらない。それに、映えるパン目当てに新しいお客さんも来ないって。だって、店構えからしておしゃれなパンは売ってなさそうだもん。リフォームするお金もきっとないし。
自分の幼稚な考えに、がっかりする。
「朱琴、落ち込んでるでしょ」
晴飛先輩は、コーラを飲んで私を覗き見る。
顔が良いから、覗き込まれるとドキドキしちゃう!
「あ、急にごめん。ずっと、三国ベーカリーのこと考えてるよね」
「ごめんなさい、つい」
「いいんだよ。だって、今日はそのために会っているんだし」
そういえばそうだった。晴飛先輩のペースに巻き込まれていたけど、その相談をしたくて連絡したんだった。
「あんまり、うまくいっていなくて。私、どうしても諦められないんです。三国ベーカリーは、祖父母の生きがいだと思うので」
私の熱を込めた言葉に、晴飛先輩は言葉を選ぶように、ゆっくり口を開いた。
「気持ちはわかるよ。でも朱琴が、そこまで祖父母のことを考えているのは、ちょっと不思議な感じ」
不思議とは言いつつ、何も聞いてこなかった。どうして親じゃなくて祖父母なのか。親はどこにいるのか。不思議に思っていることだろう。
気になっても聞いてこない晴飛先輩の配慮がすごく嬉しい。
でも、知ってほしい、と思った。
「あの、聞いてもらいたいことがあります」
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