9 リップ

 私は委員会の仕事を終わらせて、茉莉子の待つ教室に向かっていた。

 今日も茉莉子にメイクを教えてもらう約束をしているのに、文化委員会が思いの外長引いてしまった。

 待っている間茉莉子は暇になってしまうから延期を提案しても、茉莉子は教室で待っていると言ってくれた。

 優しい茉莉子が待つ時間を少しでも減らすため、私は早足で教室に向かっている。


 なぜだかわからないが、今日は凄く視線を感じる。

 初めは自意識過剰だと思っていたが、こう何度も見られると流石に気のせいとは思えない。


 前から歩いてくるクラスメイトの女子生徒達数人と目が合う。

 やっぱり私を見ている。


 よく見ると真ん中の女の子が持っているスマホの画面と私を見比べている。

 私にもはっきり聞こえる笑い声が嫌な感じだ。

 どうしても気になって、すれ違いざまに彼女のスマホを覗き見た。

 そこには昨日のまりりちゃんの投稿が映っていた。


 ーーまりりちゃんの隣にいるのが私だってバレてる!?


 気づいた途端、私は急いで茉莉子の元へ向かう。

 嫌な予感がする。

 廊下を走ってはいけないなんて関係ない。

 とにかく早く茉莉子のところに行かなければいけない気がした。


 廊下を駆け抜けて、階段を一気に4階まで駆け上がる。

 流石にしんどくて息が上がるが、そんな事気にならなかった。

 1年の教室が並んでいる4階は静かだった。

 もう殆どの生徒が帰宅しているのだから静かで当たり前かもしれない。

 1組、2組、3組……と他所のクラスを通り過ぎ、6組の教室の前で足を止める。


「ーー茉莉子!!」


 名前を呼びながらドアを開けると、すぐに視界が茉莉子の姿を捉える。

 独りぼっちの教室で、茉莉子は俯いて座っていた。

 自席の椅子ではなく、教室の隅の地面に。

 色とりどりのコスメが突っ込まれたゴミ箱の前にへたり込んでいる茉莉子の周りには、茉莉子の物と思われる大量のコスメが散らばっていた。


「……茉莉子、何があったの?」


 散らばったコスメを踏まないように注意して茉莉子に近づく。

 散らばっているだけの物は丁寧に拾う。

 だが無造作に蓋が開けられ、真ん中からポキっと折れているリップや、割れてヒビだらけになったアイシャドウはどうすればいいのだろうか。


「……私がまりりだって、バレちゃった。まりりがこんなつまんない奴だって、知られちゃった。」


 茉莉子は顔をあげて私を見て、にっこりと笑った。

 綺麗な目には涙が溜まり、無理やり上げたのだろう口角は引き攣っている。

 皆に言われている通り目立たない、けれどもよく見るとバランスの取れた顔はぐちゃぐちゃだ。


「まりりは私と違って華やかで、明るくてキラキラしてる、素敵な女の子だったのに。こんな何もできないな隠キャと同一人物なんて思われたくなかったのに。」


 震える声で言いながら、茉莉子は目の前に落ちているアイシャドウパレットを摘む。

 あの日、私の顔に塗ってくれた手のひらサイズの8色パレットだ。

 全ての色が粉々に砕け、可愛かった模様は見る影もない。


「散らかすだけじゃなくて、ご丁寧に使い物にならないようにしてくれちゃってさ。まりりの正体は私だって、今頃拡散してるんでしょ?次にスマホを見る頃には、まりりの居場所なんてなくなってるんでしょ?ほんと、陰湿だよね。こうなるから、学校では大好きなメイクも我慢して、隠してたのに……!」


「ごめん。」


 ぽろぽろと涙を流す茉莉子にどんな言葉をかけたらいいのか分からない。

 やっと絞り出した言葉は誰にでも言えるたった3文字で、自分が情けなくなる。

 茉莉子がまりりちゃんだとバレたのは、きっと昨日の写真だ。

 あの写真に私が写ったからだ。私が悪い。


「日華梨は悪くないよ。気をつけられなかった私が悪い。私こそごめんね。」


 茉莉子は更に口角を釣り上げて、目を閉じて笑う。

 ああ、茉莉子は優しすぎる。

 顔も、声も、周りに散らばっている宝物達もボロボロなのに、どうして私を気遣うのだろうか。

 お願いだから無理しないで。お願いだから、そんな顔で笑わないで。

 どこか既視感のある痛々しい笑顔を見たくなかった。


 これ以上壊さないよう、優しくコスメの海を掻き分けて、茉莉子をぎゅっと抱きしめる。

 服越しに伝わる暖かい体温を感じながら、冷え切った手を握った。


「まだ出会ってからそんなに経ってない私に言われても信用できないかもしれないけど、茉莉子と友達になってから、まりりちゃんに似てないって思ったこと1回もないよ。」


 私は口下手だから、思ったことを上手く伝えることも、気の利いたことを言うこともできない。

 でも少しでも茉莉子に元気になってほしい。


「茉莉子はまりりちゃんそのままの、明るくて可愛くて面白い、素敵な子だよ。つまらない隠キャなんて思わなかったよ。」


「それは……、日華梨が私に似てる気がして、昔の私にまりりが評価されたみたいで嬉しくて、日華梨とメイクの話するの、楽しかったから。」


 必死な時に出るのは、人の本性じゃないだろうか。

 本当の茉莉子は明るい素敵な子だってことじゃないだろうか。


「私、正確悪いからかな。茉莉子のこと知った時、まりりちゃんのこともっと好きになったよ。頑張って自分磨きしたら私でも可愛くなれるんだって教えてもらって、まりりちゃんは雲の上の人じゃないんだって知って、元気もらっちゃったんだ。」


 憧れの人が本当は、自分と同じ普通の女の子だと知った。

 それで嬉しくなってしまうのは我ながら性格が悪いなと思う。


「日華梨は性格悪くないよ。いい子だからこうやってギュッてしてくれるんでしょ。」


「ありがとう。」


 私はいま一度強く茉莉子を抱きしめてから、正面から茉莉子の顔を見る。

 思い出した。既視感の正体を知ってしまった。

 ママの口紅を借りて、ワクワクしながら唇に塗ったあの日。

 紅い唇の自分を見て絶望した時の、鏡に映っていた可哀想な私と、今の茉莉子は同じ顔をしている。


 私は一度立ち上がって、カバンの中から昨日買ったアイシャドウを取り出す。

 また茉莉子の前に戻ってきて、ハート模様の刻まれたパレットを茉莉子に見せる。


「わ、可愛い……!」


 悲しみに染まっていた茉莉子の瞳の奥が少しだけ輝く。


「茉莉子にお礼したいなと思って、昨日買ったの。」


「お礼?私お礼されるようなことしてないよ。」


 不思議そうに首をかしげる茉莉子に「したよ。」と返す。

 それでもピンとこないらしく、茉莉子は更に深く首をかしげる。


「沢山してくれたよ。綺麗なリップをくれたのも、いつもメイクを教えてくれるのも、私にメイクの楽しさを教えてくれたのも!どれだけお礼しても足りないや。」


 多分今、私はとても可愛く笑えている。

 綺麗に優しく笑えている。

 一目惚れしたアイシャドウパレットを、初めて会った日の茉莉子のように差し出す。


「今から私にメイクさせてくれない?茉莉子ほど上手くできないと思うけど壊れてないコスメと、このアイシャドウを使って、私が茉莉子を可愛くする。いつもの茉莉子でも、まりりちゃんでもなくて、可愛くメイクした茉莉子にするよ。だからーー」


 あの時茉莉子にかけてもらった言葉を思い出しながら、優しく、だけど力強く最後の言葉を口にする。


「自分のこと、ブスなんて言わないで。」


「……っ!」


 大きく見開かれた茉莉子の両目から大粒の涙が溢れてくる。

 綺麗な雫がシミひとつない頬を伝う。

 茉莉子は涙を流したまま、嬉しそうに笑って私の持っているアイシャドウを受け取った。


 さあ、腕の見せ所だ。今度は私が、茉莉子の魔法使いになる番だ。

 まだメイク歴は浅い、見習いの魔法使いだけれど。

 茉莉子に教わったことを全部生かして、茉莉子に魔法をかけよう。

 メイクができたら鏡を見せて、茉莉子に囁く言葉は決まっている。


『――茉莉子、世界1可愛いよ。』

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世界1可愛い魔法使い 天井 萌花 @amaimoca

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