2 ベースメイク

「――え?」


 必死の形相で見つめてくる伏見さんに驚いた私の喉から出たのは、拍子抜けするほど小さく短い声だった。

 伏見さんはそんな私を笑うことも呆れることもせず、じっと真剣な目を向けてくる。


「だから、私がまりりだってことは、絶対に秘密にしてほしいの。」


 念を押すようにゆっくりと言われても、頭がついていかない。

 確かに伏見さんはまりりちゃんにそっくりだが、本当にまりりちゃんだと思ったわけじゃない。

 だってよく見たことはないにしてもこれまで伏見さんをまりりちゃんだと思ったことはなかったし、まりりちゃんが私と同じ学校で、しかも同じクラスだなんて、そんなミラクルあるわけないじゃないか。

 かといって今の伏見さんは、まりりちゃんに似すぎている。

 いくらそっくりさんでも、まりりちゃんに似せてメイクをしていたとしても、ここまでまりりちゃんに似るものだろうか。


「伏見さん……本当に本物のまりりちゃんなの?伏見さん、水色のメッシュなんて入れてたっけ。」


「これエクステ。アカウントページ見せてあげようか?」


 私が訝しむような目を向けると、伏見さんはポケットからスマホを取り出す。

 淡いピンク色のグラデーションで、大きなリボンやキャンディーの飾りがついたスマホカバーは、以前まりりちゃんが動画で紹介していたものと全く同じだ。

 ハンドメイド作家に作って貰ったもので、同じデザインのものはないと言っていたのを覚えている。

 伏見さんの向こうに見える置きっぱなしのメイクポーチやヘアアイロンも、まりりちゃんの動画で見覚えがある。


 何やらスマホを操作していた伏見さんは画面を私に見せてきた。

 それは私が何度も見たまりりちゃんのアカウントページだが、プロフィールを編集したり、投稿ができるようになっていた。


「まりりちゃん……本物……!」


 憧れの人に会えた喜びと、目立たないクラスメイトが有名人だったことの驚きで脳が混乱して、何を言えばいいのかわからない。


「あの、えっと、まりりちゃん、私、ファンです!!いつもすっごく可愛くて、キラキラしてて、その……。」


「あはは。何でそんなに片言なの。嬉しい!ありがとう!!」


 まりりちゃん――いや、伏見さん――いや、まりりちゃん?は弾けるような笑顔で私の手を取り、握手をしてくれる。

 可愛すぎる。


「あ、ありがとうございます!」


「クラスメイトなんだから、タメ語でいーよ。えっと……日華梨ひかりちゃん?日華梨でいい?」


 私は興奮してしまって何度も頷いた。

 話したこともない私の名前を覚えていてくれて、すごく嬉しい。


「やった!日華梨、私のことも名前で呼んでほしいな。」


「えっ、茉莉子ちゃん?」


「茉莉子でいいよ!」


「……茉莉子。」


 私が名前を呼ぶと、まりりちゃん――茉莉子はニコッと笑って「なあに?」と言った。

 本当に可愛くて夢みたいだ。

 伏見さん、まりりちゃん、茉莉子。いろんな呼び名が混ざってよくわからなくなりそう。

 何だか照れ臭くて私が目を逸らすと、茉莉子はそっと私の手を取った。


「日華梨お願い。私がまりりだってことは内緒にしてほしいの!特に学校の人には絶対!!」


「何でもするから!」と茉莉子は必死で頼み込んでくる。

 推しの願いだ。別に何もしてくれなくても秘密にするが、一つ欲張ってもいいだろうか。


「もちろん、茉莉子がバレたくないなら言わないけど、もしよかったら、そのー、私が持ってる写真集にサインしてほしい!」


「え、買ってくれたの?めちゃくちゃ嬉しい!サインくらいいくらでも書くよ〜、任せて!」


 無理なお願いだと思ったのに、茉莉子は快く了承してくれた。

 むしろとっても嬉しそうで、すごくいい子なのがわかる。

 私が言っている写真集というのは、まりりちゃんが去年ネットで販売した約50ページの本のこと。

 まりりちゃんがそれまでアップしてきた写真に加えてそこでしかみられない写真もたくさんある、とっても可愛い本だ。


「ありがとう。じゃあ明日学校に持って行けばいいかな?」


「いや、お礼は早くするものだよ!日華梨の家って近い?」


「え、うん。ここから歩いて10分かからないくらい……。」


 家から近いというだけで選んだ高校から家は歩いて15分程度。

 このショッピングモールは高校から5分くらいだから、ここから家に行くならすぐだ。


「じゃあ今から日華梨の家行ってもいい?」


「え!いいけど……茉莉子は用事があったんじゃないの?」


 茉莉子はないない!と大きく首を横に振った。

 丁寧にメイクをしていたからどこか出かける用事があるのかと思っていた。

 それこそ撮影とか、デートとか……。

 まりりちゃんに彼氏がいるという話は聞いたことがないが、こんなに可愛いのだからいてもおかしくないだろう。


「ね、髪結んじゃうからちょっと待ってて!すぐ行こう!日華梨がまだ買い物するならついて行くし!」


「もう買ったから大丈夫だよ。待ってるね。」


 申し訳ないと思ったが、茉莉子はすっかりのりのりだ。

 楽しそうだし、お言葉に甘えていいのかな。

 そう思って楽しそうにヘアアレンジしている茉莉子を眺める。


 ツインテールに結んだ髪の毛先をヘアアイロンで少しずつ丁寧に巻いていく。

 それだけで既に可愛いまりりちゃんが、更に可愛くなっていく。

 ちゃんと顔を見たことはないけど、きっと茉莉子は少し地味なだけで整った顔をしていたんだろう。


 カラフルなコスメで綺麗な顔を彩って、クセのない真っ直ぐな髪を自在に操って魔法にかかった茉莉子が、お姫様のまりりちゃんになる。


 最後にふわふわのリボン飾りをつけた茉莉子は荷物をまとめ、鏡に向かってニコリと笑った。

 なんて可愛いんだろう。メイクは本当に素敵な魔法だ。


「お待たせ!行こっか。」


 可愛いお姫様が私を見た。

 私は名誉ある召使になった気分で、茉莉子を自宅に案内した。

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