第3話

 研究所での暮らしも長くなった。

 早いもので、半年が過ぎた。季節も移り変わり、衣替えをした。薄手の半袖を愛用していたイデアも長袖を着るようになったが、彼女は気温の影響をほとんど受けないらしい。服飾は私を真似ているだけで、怪物生まれの彼女には無用の長物みたいだった。

「人間よりも優れた恒温生物だね」

「どんな理屈か、揖斐先生の意見を伺いたいな」

「くはっ。いいかね、矢矧くん。本来、生物において体温を維持する目的というのは効率的に代謝する他にもあってだね! たとえば――」

 滔々と語り出した揖斐を見て、要らんことを聞いてしまったと後悔した。ぺらぺらとよく回る舌だなと関心こそすれ、不快ではない。私は、揖斐に対しても愛着がわいてしまっているようだ。

「――というわけで、イデアの体温調整機能は――」

 話が長いのだけは、うんざりするけれど。

 適当に相槌を打ちながら、頭では別のことを考える。

 研究所暮らしが長くなったせいか、友達の少ない私も揖斐と仲良くなってしまった。元々孤児院で育ったし、義務教育期間を終えた後は国のために働くことで食い扶持を稼いでいた。職業軍人の私は危険な任務に就くことも多く、意図して人付き合いを減らしていた。同世代の知り合いが少ない私にとって、揖斐のような相手はとても得難い存在だ。

 イデアを妹みたいに可愛がってしまうのも、私に身寄りがないことが影響しているのだろうか。孤児院にいた頃も、年少組が懐いてくれることはなかった。年上や、年が近い子とは喧嘩ばかりしていた気がする。理屈もないのに距離を置かれるのは思春期の少女には酷なものだが、幼い子供を相手に文句を言ったところでどうしようもないのも分かっていた。

 私の人生が、幸福とは程遠いものだったとしても。

 今はただ、イデアが幸せであってほしいと願う。

「なぁ、揖斐」

「つまり汗腺が……ん? なにかね」

「私達の拘束は、いつまで続くと思う?」

「あー、えっと、そうだな。まだ続くとは思うけど」

 イデアの体温調整機能について、長々と自説を展開していた揖斐を遮って話題を変えた。彼女は眼鏡の奥の瞳を曇らせると、珍しく口を濁して視線を逸らした。研究所の激しい派閥争いで磨いた腹芸も、ストレートな質問には分が悪いようだ。

「明智大佐に、手紙を出してくれないか」

「構わないが、矢矧大尉、私は責任を取らないぜ」

「それでいいよ。私の名前を前面に出してくれ」

「……返事がいつ来るかも分からないぞ。それでも?」

「大丈夫さ。ま、気長に待つよ」

 どうせ、帰る場所もないのだ。

 私が所属していた部隊は、今回の作戦で実行部隊をすべて失っている。解散したか、他の隊に合併吸収されていることだろう。その通知すら来ないのは、私が既に死んだことになっているからかもしれない。……まぁ、どちらにせよ辞めるつもりだったし、怪物の娘に懐かれているのだ。あらゆる手段で社会から隔離、管理をしておかないと、どうなるか分かったものではない。

「それじゃあ、手紙は既に書いてあるから、持って帰ってくれ」

「分かったよ。んで? 明智大佐って、どんな人なんだい」

「私の上司だ。あまり顔を合わせることはないが、顔が広いって話は聞くな」

「顔が広い? 大きいってこと?」

「違うぞ、イデア、顔が広いってのはな、付き合いが広いってことだ」

 大人の会話に割り込んできた生後半年の少女へと、言葉の意味を教えてあげる。

 なんだかんだと言うけれど、案外、今の状況は悪くないように思えた。私達は研究所から出られないが、代わりに衣食住が保証されていた。最低限の人権もあり、イデアは自由に人間のことを学んでいる。私も筋トレ用品を頼んだら、ハンドグリップ程度ならすぐに仕入れてくれた。

 過ごしやすい場所だ。

 イデアの世話をしつつ、上層部からの連絡を待つだけでいい。問題はその連絡がいつくるか不明で、イデアの処分がどうなるのかも分からないことだった。もしも彼女が人間にとって不要だと判断され、残酷な処分を受けなければならないとき、果たして私は人類と彼女のどちらに味方するのだろう。

 既に答えが出ている問題について考えるのは時間の無駄だろうと、私は筋トレグッズに手を伸ばした。私が握力を鍛え始めるのとほぼ同じタイミングで、イデアが勉強の手を止める。

「ねぇ、イビさん」

「ん? どうした、イデアちゃん」

「今日って、研究所にお客さん来てるの?」

「あー、それはどうだろう。極秘の施設だからね、ウチは。横の繋がりも密接ではないし……。君達と接触する職員が私しかいないのも、色々と事情があるんだぜ」

「事情?」

 イデアが首を傾げると、揖斐は申し訳なさそうな顔で笑った。

 揖斐が私達を親身に扱ってくれるのは、彼女達自身の都合だ。この研究所は、私達が想像する以上に秘匿性の高い組織なのだろう。イデアを乱雑に扱って彼女の機嫌を損ねるようなことがあれば、その暴走を止めるだけの武力を持たない。睡眠薬の類が効かないことも、既にデータが出ている。事実上、イデアを拘束しているのはイデア自身だ。

 大きな損害を避けるため、ファーストコンタクトに成功した揖斐が、そのまま私達の世話役になっているに違いなかった。

 私が納得すると、揖斐が申し訳なさそうな顔をする。

「矢矧大尉なら分かってくれるよな?」

「あぁ。君も難しい立場だろうから」

「ふーん。まぁ、やちーが言うならいいケド」

 ぷっくりと頬を膨らませたイデアが勉強を再開する。彼女が来客を気に掛けたのは初めてのことだった。握力を鍛える手は止めず、イデアへと質問を投げかけてみる。

「何か気になることでもあったのか?」

「なんかね、変な音がするから」

「……私には聞こえないが。揖斐はどうだ」

 私の問いかけに、揖斐は首を横に振る。大人ふたりが揃って耳を澄ませても、何も聞こえない。だが、イデアには確かに何かの音が聞こえているようだった。

「キキキッ、キュルキュルって聞こえるよ」

「……推測するに、硬いものがぶつかる音かい?」

「うーん。こう、キシキシキシって」

 脅威の身体能力を持つ彼女でも、知識がなければ状況への理解は不足するようだ。丸めた左の拳に、右手の指をつんつんと立てる。その仕草に、揖斐が何かを思いついたらしい。

「掘削音か?」

「あ、それかも。金属がガリガリっと掘り進む音!」

「それはまた、難しいな。工事の予定もないし……」

「えーっとね、こっちから聞こえるけど」

 イデアが指差したのは、私達が共住している部屋の壁だ。廊下に面しているわけでも、屋外に向いているわけでもない。イデアは壁の一角へと耳を寄せた。するすると壁伝いに動いて、音の発生源を探す。彼女の腰よりもやや低い位置を、指先でつんつんと突いた。どうやら、その場所から音が聞こえてくるようだ。

「隣の部屋からだって言いたいのか、イデア」

「うん。近いよ」

「どういうことだ?」

 どんな音か興味をそそられた私と揖斐が近づこうとしたら、ぐい、と腰を押されて押しとどめられる。宙に浮かぶ青白い光は、高出力障壁……簡単に言えばバリアだった。空中へ棒状に生成したそれをつっぱり棒のように使って、イデアは私達の邪魔をしたらしい。つんのめった私は、怪物生まれの少女へと文句を飛ばす。

「人類に真似できない超技術で遊ぶな!」

「矢矧大尉、何が起きたんだ。これはイデアの仕業なのか?」

「そうだとも。このバリアは彼女の母親も使っていた。対艦ミサイルも数発なら無傷で防ぐぞ」

「は? バリア? ミサイルを?」

 驚いた様子の揖斐を無視して、私は視線を壁に向けた。

 打ちっぱなしのコンクリート壁だ。私達には聞こえない音がイデアには聞こえているらしい。知らない音を警戒するだけなら、バリアを張ってまで私の行動を制限しないだろう。むしろ、音の正体を知るための知見を欲しがるはずだ。

 バリアを乗り越えようと不格好に手を伸ばす揖斐の服を掴んで、その場に留まらせた。視線を潜り抜けた経験が、私の脳内で警鐘を鳴らしている。

 ここは分岐点だ。

 ぞわぞわと背中を走る悪寒に、私の腕が粟立った。

「揖斐。隣には誰かいるのか?」

「いや、空室だよ。管理しているのは別の部署だけど……」

「本当に工事の予定はないんだな? 隣室は何に使われている?」

「昔は危険物の倉庫だったけど……。は? え? 急にどうした」

 イデアと暮らしている間、考えていたことがある。

 怪物との戦闘で仲間を失った者は多い。彼らが研究所にいるイデアの話を耳にしたらどうだろうか。怪物を滅ぼすために犠牲を払ってきた人類が、果たして彼女にどんな態度を取るのかは想像に難くない。

 まだイデアが生かされているのは、怪物を倒して平和な世界を得るために有用な情報を持っているかもしれない、その一点の理由に他ならない。たとえ人類に友好的な存在だとしても、彼女のことを快く思う人間ばかりではないはずだ。

 ここでイデアを失うわけにはいかない。

 彼女のため? いいや、人類のために。

「来客者の正体を確認しておこう。頼めるか?」

「あ、あぁ。私に出来ることはやってみるけれど」

「充分だよ、ありがとう。それじゃ、イデアは……イデア?」

 私と揖斐が会話をしている間も、イデアは壁に張り付いていた。

 こめかみのツノが、青白い光を放っている。細腕の先、爪も同様に光を放っていた。壁に向けて、指を何度か当てている。私には仕組みが分からないが、壁の向こう側を調べることも出来るのだろうか? 話を続けようと口を開いたら、イデアが後ろへと飛び退った。くるりと振り返った彼女が私達へ向けて手を突き出す。その手を取ろうと反射的に腕を伸ばした私は、コンクリートの壁が爆発する瞬間を目撃した。

 爆発音と共に吹き込む白煙が私達を包む。石片はイデアが展開したバリアによって阻まれ、足元に転がってくることすらない。続いたのは、嵐のように激しい銃撃だった。戦場で聞き慣れた音が私達へ向けられていることを直感して死を覚悟した私は、無意識のうちにイデアを庇っていた。悲鳴を上げながらしゃがみ込んだ揖斐と共に、恐怖でその場へうずくまる。だが、いつまで経っても銃弾の雨は降り注がなかった。

 爆撃のような銃撃音は続いている。男達の怒号も聞こえてくる。

 ゆっくりと振り返った私は、黙ってイデアの頭を撫でた。

「イデアがいなければ、死んでいたな」

「ふふん。もっと褒めていいよ?」

「……あぁ」

 青白い光の壁が、私達を守っていた。

 見惚れるほどに美しく、人智の及ばぬ圧倒的な力を感じさせる壁が、私達を銃弾の雨から守っている。彼女の母親を殺すときは忌々しく思っていた怪物のチカラに、まさか救われる日が来るとは。

「くそっ。弾が切れるぞ」

「本部へ連絡しろ。暗殺は失敗だ。作戦を変更する」

「行くぞ、逃がすなよ!」

 途切れた煙幕から飛び出したのは、黒い装束を身に纏った男達だった。男達が構えた機関銃は対人用ではない。怪物を殺すために法律を変え、国境を跨ぎ、様々な改造が施された特別仕様の軍用兵器だ。イデアが展開している障壁に防がれるのも構わず、彼らは弾丸を撃ち続けている。私達を守る障壁は、銃弾の衝撃で微かに震えていた。

「こいつら……私達を殺しに来ているな」

「見れば分かるよ。やちーはバカだね」

「イデアは冷静だな。えらいぞ。持ちこたえてくれよ?」

 私と揖斐の命は、のんきに腕を組んでいるイデアのバリアによって守られている。彼女の母親が展開していたバリアと同等の耐久力を持つなら、この程度の装備を前に死ぬこともないだろう。問題は、これほどの重火器を秘密裏に揃えられたことだ。

 私達を、いや、イデアを殺すために手を打った奴が、どこかにいる。

 過呼吸になった揖斐の背を擦り、なんとか平静を取り戻してやろうとした。ズレた眼鏡を直すことも出来ず、彼女は短い呼吸を繰り返している。

「はっ、ひっ、な、なにが、ひっ、っ」

「落ち着け、揖斐。……イデア、まだ保つか?」

「一ヶ月は守護まもれるけど。反撃した方がいい?」

「……殺さない程度に。出来るか?」

 私が促し、イデアが頷く。

 障壁から放たれたのは、青白い光の拳だった。今時、漫画でもお目に掛からないような古臭い怒りの鉄拳が、男達を真正面から殴り飛ばしていく。男達は次々に倒れ、逃げ出そうとした者も障壁によって退路を断たれ、イデアの拳の餌食になる。僅か数秒で、イデアは十数名からなる部隊を制圧した。

 青白い拳は手を開き、気絶した男達を一か所へと積み上げていく。気を失った男達が呻き声を漏らしたところで、私は我に返ってイデアの肩に手を置いた。

「おい、あんまり重ねるなよ」

「どうして?」

「人間はな、肺を強く圧迫すると呼吸が止まって死ぬことがある」

「そっか。それだとやちーとの約束守れないね」

「……あぁ。殺すなよ」

 無表情に男達を処理していくイデアは、やはり怪物で――。

 しかし、私達を救ってくれたのは、紛れもない事実だった。

 過呼吸の症状が和らいだのか、やや落ち着いた揖斐が私の袖を掴む。

「な、何が。矢矧、説明してくれ」

「その前に場所を移動しよう。動けるか、揖斐」

「あ、あぁ。なんとかな」

 快適な場所だっただけに、ここで会敵してしまったのが残念だ。もうこの研究所にはいられないだろう。

 イデアに障壁を解除してもらって部屋の外に出ると、知らない顔の研究員達が廊下の隅で震えていた。揖斐を含めて、多くの同胞にも知らせずに決行した作戦のようだ。部隊の人数と周到な用意から考えるに、秘匿したまま作業を起こすにはかなりの無理がある。大きなトラブルが起こらなかった点を踏まえても、内通者が持つ権力が大きいことが推測できた。

「まずいな……」

 人間を守るための暗殺作戦じゃない。

 私の勘が、そう告げていた。

 色々な疑問を後回しにして、私はイデアの手を握った。揖斐へと振り返ると、彼女はよろよろとふらつきながら立ち上がるところだった。ズレた眼鏡を掛け直した彼女へと、最後になるかもしれない質問を投げる。

「揖斐はどうする。ここに残るか、私達についてくるか」

「……判断材料が欲しい」

「私と一緒に来れば共犯者だ、命の保証はない。残れば赤の他人だが、尋問の可能性は否定できない。揖斐は私達と仲良くなってしまったからな」

「どちらにせよ、殺されるのか?」

 肩をすくめて、揖斐の質問への答えとした。

 すぐに死ねればマシな方だ。

 今回の敵は、私達と対話をする気がないことだけは確かだ。間接的な圧力をかけ、心身を弱らせる手段を取っていないどころか、イデアから私達を引き離すことすらしていない。イデアに何か命令を聞かせたいなら、私か、私と仲の良い揖斐を人質にとって行動を起こすはずなのだ。

 だから、私達を殺すことが目的だと分かる。

 ……暗殺という直接的な暴力で私達を屠ろうとした者が相手になる。だから、これから先に進む道が、茨の道であることだけは確かだった。

 前線で戦い続けてきた私には、軍上層部ほどの戦術的知識はない。しかし、私が想像しうる限りの情報を与えると、揖斐は満足そうに頷いた。

「決めたよ、矢矧大尉。私は、君達についていく」

「一応、聞いていいか? どうして?」

「君達の敵とやらに、ムカついてね」

 軍人としては最低の答えだが、友としては最高の答えだった。

 口端を吊り上げ、歪んだ笑いを漏らす揖斐が、私の腕を掴む。私を引っ張るように歩き出した彼女は、蒼白な顔で不敵な笑みを浮かべていた。

「矢矧大尉、ヘリは操縦できるかい」

「一応な。戦闘機よりも操縦歴は長いぞ」

「そりゃ頼もしい」

 揖斐に導かれるまま、私達はノアの箱舟を探してヘリポートへと向かう。

 イデアが生き残ること。それが人類を救うと、私達だけは信じている。

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