第1話 -後-

 救助ヘリの到着を待つ間、少女と木陰で休んでいた。

 待機時間は半日ほどになるだろうか。食うなと言われても腹は減る。寝るなと言われても眠くなる。空腹感を覚えなくとも、身体は確実にエネルギーを消費している。生きるためには、食べなくてはいけないのだ。

「……何か、食うものあったかな」

 長期戦は想定していなかったから、食糧など用意していなかった。片道切符になることも覚悟の上で怪物との戦闘に望んだものが大半だろう。ごそごそと服を探っているうちに、そういえば、と胸ポケットに手をあてる。

「アレがあったな」

 携帯食を持っていたことを思いだした。

 軍で知り合った相手から貰ったレーションと、私物のビスケットが残っているはずだ。……いや、取り出してみたら違った。これはビスケットだったものだ。激しい運動のために粉々になったそれを、私はビスケットとは呼びたくない。

 少し迷ってから、ビスケットだったものを口に含む。優しい甘みが舌に広がった。

 もそもそと口を動かしていたら、怪物の娘が目を覚ました。真っ白だった髪が僅かに青色を帯びている気もする。比較用の記録映像を撮っておきたかったな、と僅かな後悔が顔をのぞかせる。記録用のカメラを持ち歩く習慣もないし、ただの願望でしかないけれど。

 少女は私が食べているビスケットに興味を示したようだ。差し出してみると、少女は袋ごと口に運ぼうとする。慌てて制止した。

「待て。それは食うな」

「ェヂュナン?」

「なんだって……? や、待て。会話が出来るのか」

 そういえば、怪物の腹から這い出てきたときも何かを呟いていた。怪物の言語を解析することが出来たなら、交渉の余地もあるだろう。ますます、彼女を殺すのを躊躇してしまいそうだ。

 その事実は、私が軍人失格であることを示している。

「いいか、食っていいのは中身だけだ」

 首を傾げた少女から、ビスケットの袋を取り返す。

 袋から取り出した粉を掌に乗せ、それを口元へ運んだ。少女にも行動を促すと、彼女は見様見真似でビスケットだった粉を口に運ぶ。ぺろりと唇を舐めたのも、私の真似だろうか。反応から推測するに、怪物も人間と同じものを食べられるみたいだ。もっとも、消化不良を起こしたところで私のせいではない。

 ぼんやりしていたら、少女が悪戯っぽい笑みを浮かべた。私の隙をついて、ビスケットを包んでいたビニールを口に放り込む。今回は止める暇もなかった。ごくりと飲み込んだ少女は、満足したように頬を緩める。

「アッタカーショ!」

「……ふむ」

 教育は諦めた方がいいのかもしれない。

 だが、彼女との関係を好意的なものに遷移するチャンスに恵まれた。ここは餌付けをしておこう。

「まだ食べるか?」

「ンウ!」

 元気よく頷いた。やはりと言うべきか、少女には私の言葉が通じているようだ。

 そういえば、待てと言ったら動くのを止めたな。……だとしたら、食うなと言われたものを喜び勇んで食べたわけだ。天邪鬼が過ぎるな。興味深いけれど、私は学者じゃない。頭脳労働は別の奴に任せよう。

 レーションを渡したら、少女はそれも袋ごと食べてしまう。二度目ともなれば慣れてきて、人間基準での奇行を止めることもしない。ごくりとレーションを飲み込んだ少女は、また満面の笑みを浮かべた。

「アッタカーショ!」

 同じセリフだ。お礼の言葉だろうか。

 何を言っているのか分からないが、少なくとも敵意は感じられなかった。ビニールが胃腸に詰まって死んでも恨むなよ、と怪物に言い聞かせても意味はないだろう。喉も渇いてきたが、しばらくの辛抱だ。我慢することにした。

 木に背を預けて、身体を休める。

 陽が落ちてきた。作戦の決行から時間も経過している。腹も空くわけだ、と妙な納得感があった。怪物の娘は私に懐いているのか、どこへ行こうともしない。ある意味では好都合だが、妄想の枝葉は悪い方にばかり広がっていく。

 この怪物の娘は、私を囮にして他の人間を釣ろうと考えてやしないだろうか。ヘリが到着した瞬間、活かしておいた私を少女が頭から齧る。慌てふためく応援部隊の隊員を片っ端から屠り、残った一人を利用して再び新鮮な餌が訪れるのを待つ――とか。まぁ、今のところ、生死を問わず人間を食べようとはしていない。暗い妄想は、思考の外に追い払ってしまう。

「ふぁ……」

 初めて、少女が欠伸を漏らした。

 私に倣うように座り込むと、そのまま頭を預けてきた。今更ながらに気付いたが、少女のこめかみのやや上あたりに、丸っこいツノが生えていた。頬を擦りつけるように甘えてくるせいか、私の肩にツノがあたる。痛くはないけど、なんだか不安を煽られた。

 怪物の娘は、私に構うことなく瞼を閉じる。向けてくるのは、純粋な信頼だ。親を殺した人間に向けていいものじゃない。だから、心底居心地が悪かった。

「……いッ、て」

 右手がズキリと痛む。手袋を脱ぐと、手首より先が赤く腫れあがっていた。

 怪物の腹にナイフを突き立てた際に、火傷を負ったらしい。あの熱気を間近に浴びながら、この程度の火傷だけで済んだのは偶然だろう。傷口に滲む黄色透明な液体は、まだ細胞が生きている証だった。

 感染症も怖いし、出来れば清潔な布を巻きたいが、切り取ったシャツで手のひらを覆うのが精いっぱいだ。戦闘が終わってアドレナリンの分泌が落ち着いてきたのだろう。打ち付けた背中も徐々に痛み始めてきた。泣きっ面に蜂だ。

 利き腕を隠すように、膝を抱えて身体を丸める。

 ちょいちょい、と怪物の娘に肩を突かれた。

「ャーチ?」

「…………」

「ャーチ、ュレソアン」

 何を言っているのか、やはり分からない。食べ物を欲しがっているのだろうか。

「腹が減ったのか?」

「ウァギト」

 少女はぶんぶんと首を横に振った。仄かな青色を帯びた髪を振り乱して、これでもかと否定の意志を示してくる。試しに最後のレーションを取り出してみたら、ぷっくりと頬を膨らませた少女に睨まれる。

「腹が減ったわけじゃないんだな」

「ンウ」

 どうやら本当に、私の言葉は正しく理解しているようだ。私が話し掛ければ、首肯や否定を返してくる。私は彼女の言葉が分からないので一方通行だが、言葉は通じているとみて間違いないだろう。

 何を伝えたいのか、少女はじっと私の瞳を覗き込んでくる。綺麗な青い髪が沈む陽の光を反射して、粒子を舞い散らすように輝いていた。

「分かった、分かったよ」

「ェト、ェティサ」

「……すまない、嘘だ。実はキミが何を言っているのか、これっぽっちも分からないんだ」

 むふぅ、と少女が唇を尖らせる。

 そして、ふぅ、と息を吐いた。

「ェト」

 がしりと私の右腕を掴んで、少女が同じ言葉を繰り返した。

 手、と言いたいのだろうか。

 少女は、怪我をした私でも抱え上げられるほどの細身だ。しかし、その腕に込められた力は私が振りほどけないほどに強かった。これでも軍隊に従事していた歴は長いのだ、基礎訓練もみっちりと仕込まれてきた。格闘術なら、隊の誰にも負けたことがない。

 その私が、少女の細腕に勝てなかった。

 私の傷口に鼻を近づけ、少女は臭いを嗅いでいる。

「なにをするつもりなんだ」

「ェト、ゥソアン」

「おい、待て。食うなよ、絶対だぞ」

 踊り食いなんて最悪の死に方だ。

 すんすんと鼻を鳴らした少女が、更に傷口へと顔を近づけた。火傷跡に染み出した浸出液に、彼女は赤い舌先を近づける。チロリと傷口を舐められて、得体のしれない感覚が背を走る。少女の艶やかな赤い舌に視線を奪われ、舌が傷口を舐めるたびにくすぐったいような、痒いような、複雑な感情に襲われる。

 食われるかもしれない。恐怖に駆られた私は、反射的に少女を突き飛ばそうとした。だが、肩を押したところで少女は微動だにしない。私の醜く腫れた指先に口付けをして、彼女は優しく微笑む。

「ェト、ゥソアン」

「いってえっ、おい!」

 少女の吐息が手に吹きかけられて、燃えるような痛みが広がった。

 少女を宿していた怪物が、高い体温をしていたのを思い出す。私を焼き殺してから食うのだろうか。幼体が少女風の見た目をしているだけで、やはりこいつは人間じゃないのだ。焼け付く痛みが手のひらから全身へと広がっていく。ちかちかと、瞼の裏で星が瞬いた。

「ォド?」

「…………う、ぐ」

 少女が手を離すと同時に私は勢いよく後ろへ転がった。

 装備していたナイフを抜き放ち、少女へ向けて構える。

 そして、利き手の火傷が消えていることに気付いた。

「…………」

「ェト、アティソアン」

 ふんす、と少女が胸を張る。怪物生まれの少女から目を離すことなく、私はナイフを反対の手に持ち替える。そして、利き手へと視線を落とした。やはり、火傷が治っている。

 握った拳を開く。開いた拳を握る。何度か繰り返しても、痛みはない。真っ赤に腫れあがるほどの火傷は消え失せて、そこには真っ新な手があった。首を傾げた少女に私が投げかけられる言葉は少ない。

 辛うじて、感謝の意を述べた。

「あ、ありがとう」

 ニィ、と少女が笑う。

 細身の少女は風に乗るように、軽やかな足取りで私の元へ近づいてくる。当然の権利みたいに、私へと抱き着いてきた。母親へ甘えるように、彼女は私の直した手へと頬を摺り寄せて、私には分からない言葉で何かを囁いてくる。

「イクュシ、ェロベモテチ」

 もし彼女が人間ならば、と曖昧な推測に基づいて頭を撫でてみれば、少女は満足げに頬を緩める。手のひらに伝わるのは、人肌よりも随分と低い少女の体温だった。

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