第17話 刺繍

「ねぇ、昨日、どうだったの?」

「どうって?」

「なにか、いいことあった?」

「いいことって?」

「大人のお付き合いってこと」

「なんにもないよーんだ」

 颯空と望は休みを利用して、冬物の服を物色するために帯広のデパートに来ていた。店内の装飾や陳列されている商品は、黒やグレーで統一され、購買意欲を掻き立てる演出がされていた。短い夏が終わり秋を飛ばして一気に冬へ移り変わる北海道は、すべてにおいて早めの冬支度が必要だ。


「あと、どこ見ようか」

「大体見たけど、手袋だけ見たいからメンズ館行ってもいい?」

「うん、メンズ館ね。なんでメンズ館? あっ、松田さんにプレゼントね!」

「いいから、行くよ」

 二人は三階の渡り廊下を使って、本館の隣にあるメンズ館へ移動した。店内の装飾は黒一辺倒になり、過剰なまでの電飾と大音量のBGMで威圧感を感じる。女性一人ではなかなか入りづらい。二人は、期間限定で出店している革製品を扱うショップへ入っていった。

「どんなのにするの?」

「なにが?」

 フロアの一角を使用して、東京の革製品を扱うメーカーが出展していた。ライダーを意識した製品を多く品揃えしており、その品質とファッション性はとても高い。一通り展示品に目を通したあと、颯空はグローブの前で足を止めた。

「これ、いい感じ」

 そういって手に取ったグローブは、黒革のガントレットというモデルだ。カフスの部分が十センチほどの長さがあり、保温機能性を高めている。

「ガントレットね。昔、私も使ってた 暖かくていいのよねぇ」

「望ちゃんも使ってたの? 原チャリ乗るとき?」

「あっ、うん。そうそう、原チャリ乗るときね。あとチャリ乗るときとか」

「自転車乗るときにもこのグローブ付けてたの? 完全防備だね」

「そうよ。冷たい風なんかぜんぜんへっちゃら」

「Lサイズかなぁ」

 展示品に手を通し、大きさを確かめてみた。

「松田さん、たぶんLサイズよ。この前、手をつないだときにそう思ったの」

「手をつないだだけでわかるの?」

「あらぁ、やっぱり松田さんにプレゼントなんだぁ」

「おっと、バレたか」

 颯空の頬がほんのり赤く染まった。望はそれを見逃さなかった。

「いつから?」

「なにが?」

「気になり始めたのは」

「気になり始めた? そういうことじゃないの。これはお礼なの」

「お礼?」

 颯空は、近くにいたスタッフに声をかけた。

「あの、すみません。カフスのところに刺繍はできますか?」

「はい、そのグローブでしたらお受けできます。文字かなにかですか?」

「漢字を入れてほしいんです」

「かしこまりました。受付いたしますので、サービスカウンターへどうぞ」

 黒のジーンズに、店のロゴが入った、ロングTシャツを着たスタッフが丁寧に案内をしてれくれた。

「三十分ほどで出来上がりますが、店内でお待ちになりますか?」

「いえ、ちょっとカフェに行ってきます。後ほど伺いますので」

「承知しました。それではお預かりさせていただきます」

 颯空は、先にグローブの会計を済ませておいた。望を探すと、店の奥で革ジャケットを羽織って店員と話をしていた。

「望ちゃん」

 後ろから声をかけてみたが、望はイケメンのスタッフとの会話に夢中で、颯空の声が耳に入らない。

「ダメだこりゃ。放置!」

 颯空は、望をその場に置いて店の外に出た。エスカレーターで六階へ上がり、マルコという紅茶専門の店に入った。その店は、颯空が好きなマリアージュフレールの茶葉を扱っている。フロアスタッフに席を案内されたが、通路が見える窓側が空いていたので、そこを使わせてもらった。

「いらっしゃいませ。お決まりでしたらそちらのボタンを押してください」

 アルバイトと思われる若い女性スタッフが、メニューを差し出してマニュアル通りの対応をしてきた。

「あの、お願いします。ポットでマリアージュフレールのアンブーシアと、ワッフルをお願いします」

 颯空は、メニューも見ずに、さらっとオーダーを済ませた。何度かこの店に来ており、いつも同じオーダーをしていた。

「どこにいるの?」

 望からラインが入った。

「六階のマルコ」

「わかったぁ。すぐ行く」

 しばらくして、店の前の通路に大きな紙袋を抱えた望がウロウロしているのが見えた。颯空はレジの前にいた店員に声をかけて店の外に出た。

「望ちゃん、こっち」

 颯空の声に反応して望が振り返った。

「あぁ、ここね」

「マルコって伝えたでしょ」

「だってぇ、来たことなかったし」

 再び店に入り席に戻ると、紅茶とワッフルが運ばれていた。

「何か買ったの?」

 床に置いた大きな紙袋の中身を覗き込むようにして、颯空が尋ねた。

「革ジャンよ。お気に入りがボロボロになっちゃって、そろそろ新調しようかなぁって思ってたの。あのお店、タイミングよく来てくれてよかった。今着ているのと同じブランドなんだ」

「ふぅん、そうなんだ。その革ジャン、バイカーでしょ」

「うん、バイク乗りなら憧れるブランドよね」

「バイク乗り?」

「うん、私は原チャリ乗りだけど。デザインがいいのと、着心地がいいからずっと使っているの」

「望ちゃん、革ジャン着ているところなんか見たことないよ。通勤は車で来ているから、原チャリに乗っていることも知らなかった。まだ、私の知らない望ちゃんがありそうだね」

 望は、その質問には答えず、出された紅茶を飲み始めた。


「それで、昨日はどうだったの?」

「どうって?」

「なにかいいことあった?」

「さっきも同じこと聞いてたよ」

「だって、教えてくれないんだもん」

「なんにもないよ。普通にお出かけしただけ」

 颯空は、ワッフルの上の盛られた生クリームとソフトアイスをスプーンですくい、口に運んだ。

「美味しい」

 ワッフルは望の分も頼んであった。トッピングは単純なものだが、素材が厳選されており、甘さや脂肪分が少ない、マリアージュフレールに相応しい高級なデザートだ。

「映画、観たの」

「なに観たの?」

 やたらとしつこく質問してくる。

「そしてバトンは渡された」

「芽衣ちゃんの映画ね。いいなぁ」

「うん、そのあと街ブラして、お食事したよ」

「どこでお食事したの?」

「久太」

「えっ、お寿司食べたの?」

「うん、なんで?」

「北海道でお寿司って観光客しか食べないでしょ」

「そんなことないでしょ。松田さん、北海道に来たらいつもお寿司なんだって。東京のとは比べ物にならないくらい美味しいって言ってた」

「それはわかるけど。でも、雰囲気がおじさんくさいよね。へぃ、いらっしゃーいって感じ」

「望ちゃん、それ、偏見よ。私はあの雰囲気好きだな。ホントはマリヨンヌに行きたかったけど、今回は和食にしました」

 マリヨンヌと聞いて、望の目がキラリと光った。

「颯空ちゃん、そのお店に行こうとしたのは、意味があったってことよね」

「意味って?」

「ねぇ、マリヨンヌの意味、知ってる?」

「知らない。シェフの名前かなにかじゃないの?」

「ちょっとぉ、なんでそのお店にしなかったの。マリヨンヌはフランス語で結婚しようって意味」

「そうなの? 知らなかった。行ってたら勘違いされちゃったかも」

「次はそのお店にしないさいね」

(望ちゃん、今日はなんかへんよ。いつもちょっとへんだけど、今日は特におかしい)

「ねぇ、さっきからずっと質問攻め。他のお話しにしようよ」

 颯空が話をそらそうとするが、望は追及の手を緩めない。

「お食事のあとはどうしたの?」

「帰ったよ。遅くなっちゃうと、松田さん、牧場に戻れなくなるから」

「なんで、帰っちゃったの?」

「なんでって、なんでよ。望ちゃん、なんかへんなこと想像してない?」

 カップ四杯分が入ったポットが空になった。まだワッフルが残っているので、颯空はロイヤルミルクティーをオーダーした。

「これからどうするの?」

「これからってなにが?」

「颯空ちゃん、今日はとぼけてばっかりよ。ちゃんと答えて」

「とぼけてないでしょ。望ちゃんがとんちんかんな質問するからよ」

「松田さんとお付き合いしたいんでしょ?」

 優しい口調で、ずばっと直球を投げてきた。

「そんなんじゃないの。そういうことじゃないの」

「じゃぁ、どういうこと? デートしたんだから、お付き合いするってことでしょ」

「感謝、しているの」

「感謝?」

 時に、カフェのスタッフは、客が夢中になっている会話に割って入ってくる。それは邪魔をしているわけではなく、自分の仕事、役割を果たすためだ。

「お待たせしました。マルコポーロのロイヤルミルクティーです」

 飲み口の広い、ウエッジウッドのカップに入ったロイヤルミルクティーだ。カップをテーブルに置いて、スタッフは二人に一礼すると、ゆっくりとした動作で静かにその場を去った。

「えっと、なんだっけ」

 二人は、ミルクティーを一口飲んだ。砂糖は入っていないが、果物と花の甘い香りがほんのり漂う。

「感謝、でしょ」

「そうそう、なんの感謝なの?」

「私、目標というか、やりたいことが見つからなくて、時々不安になることがあったの」

「仕事ってこと?」

「うん、仕事もそうだけど、プライベートでも、こうありたいと思える自分がなかったの。それが、松田さんに会えて、最初は無理強いだったけどレーサーに誘われて、仕方なしにやってみたら、なんていうか、光が見えてきたの」

「レーサーを目指してみるってこと?」

「プロになりたいということではないの。でも、この業界にかかわることで、なにか存在感というか、私がそこにいる意味ができるような気がしたの。役に立ちたいというか、どうなるかわからないけど、これ、やってみようって。初めてなんだ、こんな気持ちになったの。わかる?」

 うんうんと、望はうなずいた。

「それで松田さんに感謝したってことなのね」

「うん、そういうこと」

「だったら、お礼の気持ちとして何かプレゼントだけすればいいのに、わざわざデートするなんて、きっとそれ以上だと思うよ」

「それ以上?」

「うん。松田さんを意識し始めたってこと」

「そうなの、かなぁ」

「そうよ、そうなのよ。なんていうか、胸がキューンってならない?」

「ぜんぜん」

「あら・・・。じゃぁ、寝ても起きても松田さんのことが気になるとかはない?」

「寝てたら気にならないけど」

「うん、まぁ、そうね」

(颯空ちゃん、きっと松田さんに恋してるよ。まだ気づいていないだけなのよ。どうすればわかってもらえるかな。でも、それは余計なお世話なのかもしれない。自然の成り行きにまかせるほうがいいのかもね)


「そろそろ出ましょ。グローブ、取りに行かなくちゃ」

 颯空が会計を済ませて二人は三階のショップに戻った。サービスカウンターで引換券を差し出すと、店員が確認のため完成品を見せてくれた。

「ご確認お願いします。両方のカフスに文字を刺繍しました。こちらでお間違いないでしょうか」

 カフスにはシルバーの糸で駿の文字が刺繍されていた。

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「漢字で入れてもらったのね。カッコいいじゃない」

「贈り物ですか?」

 そうだと答えると、スタッフは手早くラッピングを施した。

「リボンをお付けすることができますが、いかがいたしますか?」

 颯空は、柴咲重工のイメージカラーであるオレンジのリボンを選んだ。中身がわからないように店のロゴが入っていない化粧袋を用意してもらった。


「じゃぁ、帰るとしますか」

「うん。おうちまで送っていくね」

 地下の駐車場に戻り、二人は車に乗り込んだ。周りを見渡すと、派手なヨーロッパの車が目立つ。ブランドで身を固めたハイソを気取った人たちが、望の車を横目で珍しそうに見ていた。SS20は、スポーツカーのような甲高い排気音を残して、元気に駐車場を出て行った。

「松田さん、ホテルにいるかなぁ?」

「今から届けるの?」

「買ったはいいけど、渡すタイミングがないような。仕事の後でもいいかなぁ」

「うーん、颯空ちゃん、今日はお出かけの服装だし、渡すなら今日がいいかもよ」

「やっぱりそうだよね。送ってくれる?」

「おっけー。そのあとの帰りも任せてね」

 望は牧場に向けて国道三十八号線を走った。まだお昼を少し過ぎたばかりだから時間は十分にある。

「そういえば、おなか空いちゃったね。ワッフルで一瞬だけおなかいっぱいになったけど、すぐに空いてきちゃった」

 二人は、休日はブランチのスタイルを取っていたのが、今日は、まだ食事をしていなかった。

「うん、私もお腹空いた。買い物に時間かかりすぎちゃったね」

 食事のことを思い出し、颯空のおなかが急に鳴り出した。

「どうする? 食事してから牧場行く?」

 職場のレストランで食事はしたくはなかった。シェフに見つかると、そのまま仕事をさせらるからだ。休みの日は、なるべく職場には近づかないようにしておいた。

「往復で二時間くらいよね。戻ってきてから遅いランチしようよ。もうちょっとがんばってディナーでもいいよ。今日は、私が奢るから」颯空が言った。

「割り勘でいいのに。でも、せっかくだからごちそうになりまぁす」

「うん、車出してもらってるし、そのお礼ってことで」


 帯広から牧場までは、車で片道一時間ほどかかるが、いつになく交通量が少なく、四十分ほどで牧場に到着した。従業員専用駐車場に入り、二人は車を降りた。

「一緒に行こうか?」

「大丈夫。渡してくるだけだから。ちょっと行ってくるね」

「ラブラブになっちゃったらラインしてね。そのときはお暇するから。ふふっ」

「そんなことないってば」

 そう言うと、颯空は一人でホテルに向かって歩いて行った。望は車の中で待機することにした。駐車場からホテルに向かう途中に、広大と舞が暮らす別邸がある。その建物に前に、白いSUVが停まっていた。

「奥様の車よね。いつ戻ったんだろ?」

 颯空は車を横目で見ながら、そのままホテルに向かった。駿の部屋は二階のダブルルームだ。

「いきなり行ったら駄目だよね。電話してからにしよう」

 スマホを取り出し、その場で駿に電話をかけたが、数回コールしても応答がなかった。

「出かけているのかな? いやいや、バイクはあるから部屋にいるでしょ。きっとトイレね」

 電話を切って直接部屋に向かった。ホテルのロビーを通り、スタッフに軽く会釈をしてから階段で二階へ上がった。

「なんか、緊張してきた。なんて言えばいいかなぁ。お礼ですっていきなり言ってもわからないよね。 少しお話させてもらって、それから渡せばいいか」

 部屋は二階の奥にある。階段を上がり通路を真っすぐ進むと、左に曲がるようになっている。その先が駿の部屋だ。

「だめだ、足が震えてきた。あーもー、ちょっとぉ、どうしよう。でも、頑張るんだぞ、私!」

 心の中で自分を励まし、トボトボとおぼつかない足取りで進んで、部屋につながる通路を曲がった。そこから数えて三つ目のドアが駿の部屋だ。


「えっ、なんで・・・」

 駿が部屋のドアの前に立っていた。その腕の中には女性がいた。二人は互いをしっかり抱きしめ、熱く唇を重ねていた。

「奥様・・・」

 颯空は、今、目の前で起きている、その信じられない光景に凍り付いた。ハンマーで頭を打ち砕かれたような衝撃が全身に走った。めまいを感じた颯空は、壁によりかかるようによろけた。その気配に駿が気づいた。

 駿と舞の唇は重なったままだ。駿は目を開け、舞の肩越しに颯空を真っ直ぐに見た。だが、それでも駿は唇を離そうとはしなかった。

 颯空は、駿に背を向け、逃げるようにその場を去った。階段を駆け下り、ロビーを突っ切って駐車場まで走り続けた。望の車を見つけると、飛び込むように乗り込んだ。

「どうだった? 松田さん、いたの?」

「車、出して。おうちまで送って」

「うん、いいけど、ちゃんと会えたの?」

「いいから、車、出して」

 颯空の口調は明らかに怒っていた。望は、SS20のエンジンをかけた。颯空の様子に何かあったと感じたが、言われるがままに、帯広のマンションへ向けて国道を進んだ。車内はしばらく沈黙が続き、重苦しい雰囲気に包まれた。

「なにか、あったの?」

 赤信号で車が止まったとき、望が優しく声をかけたが、颯空は下を向いたまま返事をしない。

「颯空ちゃん・・・」

 様子がおかしい。颯空を気遣い、望は車をコンビニの駐車場に停めた。

「どうしたの?」

 颯空は、松田に渡すはずだったグローブを手に持っていた。その手には、涙がこぼれ落ちていた。

「なにか、あったのね。颯空ちゃん、お話し、できる?」

 その時、望の顔に何かが物凄い勢いで飛んできた。化粧袋に入ったグローブだ。

「もう、いい。あんな男」

 吐き捨てるように颯空が言った。

「あんな男って、松田さんのこと?」

「もういい。もういいの」

 颯空は、大声で叫び泣き続けた。大粒の涙が頬を濡らし続けた。


 何かあったのはわかった。今は、何を聞いても答えそうもない。少し時間をおけば落ち着くかもしれない。望は、車を降りてコンビニで温かいペットボトルの紅茶を二本買った。車に戻って運転席に座ると、颯空がぽつりと言った。

「そのグローブ、望ちゃんにあげる」


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