第1話
──日本国・首相官邸──
「──なんだと?」
緑茶の入った湯呑みを片手に持った石見総理が、驚愕をあらわにして言う。
「日本海で放射線量の上昇?」
「ええ。微量ではありますが、九州北西部から北部の海域にかけて放射線量の増加が確認されています。対馬海流の影響で日本海全域の放射線量が増加していますが、特に九州で増加が顕著です」胡麻塩頭の中年──中津原子力規制庁長官がこたえる。
「原因は何だ?何が考えられる?」
「まず、我が国の原発などは無関係のようです。中韓の排出する原発処理水の線量異常増加なども確認されていないようなので、海底で何かがあったとしか申し上げられません」中津長官に代わって、萩原防衛庁長官がこたえた。
日本は無関係とわかったゆえか、総理の顔が少しゆるむ。
「日本が無関係ならとりあえずはいい。だが、海底だと……?」
「はい。中韓露朝などが放射性物質を不法投棄したという線も考えられはしますが、現状海上保安庁からはそれらしき報告はあがっていません。スティルス爆撃機からの空中投棄なら考えられなくもありませんが……」
「うーむ……」
総理の顔がふたたび険しくなる。どこかの国がやったという証拠がなければ、どこぞの左翼団体や中韓などが日本を糾弾しはじめるのは時間の問題だということを思い出したのだ。
「ほかに考えられる線はないのか?」
「そうですね……原潜が日本海で秘密裡に作戦行動をしていたところ沈没した──という線なら、まだ考えられます」
「原潜か……とりあえず外務省にたのんで各国大使館には連絡をとってみよう。海上自衛隊はどうだ?何か捉えているか?」
「今のところ海上自衛隊は怪しい動きは捉えていません。海上保安庁の方にも確認してはみますが……いかがです?奥野さん」萩原長官が、隣に坐る白髪頭の老人──奥野国交省長官にたずねる。
「いえ……我々も特には」だが、奥野長官は首を横に振るばかりだった。
自衛隊も海上保安庁も捕捉できなかった敵船・敵機がいたとすれば、これは国防上の大問題だ。瞬間、応接室の空気に緊張がはしる。──やがて、総理が唸りながら口をひらいた。
「うーむ……諸外国の動きはどうだ?」
「そうですね……少しお待ちください」奥野長官が使い込まれた革製鞄からタブレット端末を取り出し、何度か画面をなぞる。その横で萩原長官もラップトップのキイを叩き、情報を呼び出す。
「中国海警の巡視船が三隻──それに中国海軍の駆逐艦一隻が現場付近に向かっているようです。海上保安庁の巡視船が四隻、向かっています」
「自衛隊からも同様の報告がはいっています。ひとまず海上自衛隊の護衛艦三隻に待機命令を出しておきました」
やがて、両名から返事が返ってくる。仕事の早い同僚というのはありがたい存在だが、状況はいっこう改善していない。
(まず動いたのは中国、か……)
総理は少し俯くと、額に皺をよせて考えた。──中国が様子を見にきたということは、彼らが犯人である可能性は低い。低いのはいいが、このままではこの問題が明るみに出たとき、日本政府は例のごとく「鋭意調査中です」としか答えられなくなってしまう……
「──ふぅ……どうしたものかな」総理は小さくつぶやいた。眼の前に並ぶ長官たちも浮かない顔をしている。しかし、この小さな首相官邸で彼らが頭をひねったところで、うまい解決策が浮かぶはずもなかった。
「とりあえず──中国海警が引っこんだら、文科省に頼んでJAMSTEC(海洋研究開発機構)の『ちきゅう』あたりを引っ張り出して現場を調べさせてみよう。私は専門外だからよくわからんが……」
総理がようやくそう言うと、奥野長官が口をはさんだ。
「総理、巡視船を護衛につけましょうか?今なら海域の
だが、総理は首を横に振った。
「いや──今はへたに諸外国を
その後、総理にいくつか報告をし、長官たちはぞろぞろと応接室を後にした。──独り残された総理はすっかり冷めた緑茶をぐいと呷ると、誰に言うとでもなくつぶやいた。
「──まさか、戦争になったりせんだろうな……」
空の湯呑を前に総理がしばらく天井を見上げながら坐っていると、ふいに執務室の方から電話の着信音が鳴りひびいた。──総理は気怠げに長い溜息をつくと、ごくゆっくりと立ち上がり、けたたましく鳴る着信音に急かされるように執務室の扉をあけた。
軍艦島 伯林 澪 @vernui_lanove
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