『ヴァンパイヤは第九が苦手』 中の2


 マンションには、『第九』が鳴り響く。


 案の定、玄関の外には、一家の配下が三人、苦しみながらのたうっていた。


 ちょっと可愛そうだが、無事を祈って赤ちゃんを抱き抱えながら、エレベーターに駆け込んだ。


 泣き叫ばれるのも心配だったが、なぜだか、機嫌はいいようだ。


 しかし、長くは持つまい。


 早く脱出して、行くべき場所に行かなくてはならない。


 エレベーターの中でも、第九は鳴っている。


 まあ、ここにもスピーカーを仕掛けたからね。


 他の住人に会うのが怖かったのだが、実は、ほとんどの住民は、ヴァンパイヤであることは察しがついていたのである。


 第一楽章も半ばに達した。


 フルトヴェングラー氏のバイロイトライプのレコードには、イギリス盤、ドイツ盤、日本盤、フランス盤などあるが、ぼくが鳴らしているのは、フランス盤を復刻したものである。心なしか、音の線が細目で上品である。だから、第三楽章が美しい。


 もっとも、1951年のライプ録音だから、そこは、それなりなのだが、ややオカルト的な人気があり、様々な復刻バージョンがいまだに出てくるし、どうやらリハーサルと本番がまぜこぜになってるかもしれないとか、いろいろな噂が絶えない。足音入りとか、拍手入りとか、つまり普通には、たぶん、かなり、なぞなバージョンもある。


 新しい CD発売時には『最高の復刻、最高の音質』とか、良く唱われるが、これも、その道のファンにしか通じないセリフである。一般からみたら、明らかに異常な世界かもしれない。


 お金のある、良い機械を持っている、古いレコードファンあたりには、静かに笑っている人もあるだろう。


 しかし、これがまた、ヴァンパイヤには、最高に効き目があることが分かってきている。


 しかも、バージョンにより、与える打撃に違いが生じるのだ!


 その理由は、未だに不明である。


 第一楽章の繰り返しはしていない。だから、わりに早めに展開部に突入する。勝負が早めである。(分からない方は、『ソナタ形式』『交響曲』あたり、参照のこと。)


 ヴァンパイヤの立場からしたら、楽章間のちょっとした隙間が重要になるだろう。逃げ出すチャンスだから。


 ただし、だいたいは、すでに動けなくなっているか、気絶しているかもしれないが。そこには、やや個体差があるみたいだ。それも、多少は、心配だった。

 

 で、マンションの玄関フロアーまでは降りた。


 そこにも、一家の配下のものたち数人が、ひっくり返って、うめいているし、管理人さんも倒れていて、まるで動かない。


 お気の毒に、巻き込まれたらしき住人のおじさんが、こちらも、すでに卒倒して倒れていた。スーパーの袋や食品などが散らばっている。


 ちょっと、心がいたんだ。


 第一楽章も終盤に来た。


 まず、ここまでは、順調である。


 しかし、なぜだか、マンションの正門が開かない。


 封鎖されたらしい。


 さあ、これは困った。


 おそらく、警察には通報しないだろうが、まごまごしていたら、すぐに、武装した仲間が助けに来るに違いない。


 それで、第二楽章に入った。



         🍜


 

 


 


 


 


 


 


 


 

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