第4話 空白の始まり

 高校を卒業すれば、そのまま大学に進学したり働きに出たりするのが普通なのだろう。だがその普通が、時に手の届かない理想になることもある。

 最初の方で述べたが、私は発達障害を持っている。

 発達障害について誤解のないように詳しく分かりやすく説明するのは素人の私には困難なので、ここではASDとADHDの二つに絞って端的に説明する。

 まず、ASDとは何かというと、コミュニケーション能力に問題があり、平行処理が苦手で、拘りの強さや言葉の裏の意味を汲んで空気を読むことが困難なことから、社会に出て生活するのが困難な発達障害のことだ。

 次にADHDは、じっとしていられなかったり、忘れっぽかったり、集中力が続かないせいで社会に出て生活するのが困難な発達障害のことだ。もちろんASDでも多動傾向がある人もいるので症状の表れ方は人それぞれだ。また、両方を併発している場合もある。

 私は典型的なASDで、人とコミュニケーションを取ることに強い抵抗を感じるのに加え、酷い感覚過敏や音嫌悪症(ミソフォニア)と拘りの強さ、強迫性障害やパニック障害、特定の場面においての軽い吃音がある。一度スーパーのレジのアルバイトをしたことがあるのだが、お客に雑談をされる度に強い不安に襲われてパニックになり、喉が詰まって言葉が上手く出てこなくなることが多々あった。また、聴覚過敏の為、店内のBGMや子供の泣き声に耐えられなくなり倒れそうな感覚になることもあった。たまたまそのスーパーが閉店することになったので、アルバイト自体は最後まで続けたが、あのまま店が続いていたら恐らく私は自ら辞めていただろう。

 それからは自宅に籠りっきりで、こうやって小説家ごっこをしてみたり、自分で描いた絵を売ったりして臨時的に収入を得ている。だが、売上は極めて僅かで、未だに周りに迷惑をかけ散らかしながら生きている。本当に情けないし、何よりこんなどうしようもなく価値のない自分を許して気にかけてくれる人がいることが、私をなんとも惨めな気持ちにさせるのだ。

 本当は私も普通に生きたかった。人生の途中までは、普通に生きていけるのだと心のどこかで信じていた。だがそれも間違いであることに気付く。人間の、いや、この世界自体に平等などない。あるとしたら、生まれたら最後は死ぬということだけだ。ある人からすれば最初から掴めるものでも、ある人からすれば死んでも掴めないものなのだ。そういう残酷さがこの世には確かにある。楽観的な人間はそれに気付いていないだけで、当たり前のようにそこらじゅうに存在している。そして気付いたとしても、皆見て見ぬふりをする。その事実にも、残酷さに打ちのめされた人間たちにさえ目を閉じて言い聞かせるのだ。この世は素晴らしい、と。

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