第5話

「純平……純平っ!なに寝てんだよっ。俺が一生懸命レポートやってんのにっ!」

「……えっ?」


 目の前には、ご機嫌斜めな公一の顔。


(寝てたのか、いつのまにか)


「信じらんね-よな、おれが眠気に耐えてレポート書いてんのによっ」

「今までやってなかったお前が悪いんだろ」

「……だって、知らなかったんだ、しょーがないだろっ」

「聞いてなかったお前が悪い」


 何も言い返せなくなった公一は、ふんっと顔を背け、再び机に向かう。


(しょーがねぇな、まったく)


 苦笑しながらキッチンで2人分のコーヒーを入れ、1つを公一の脇に置く。


「飲めよ。眠いんだろ?」

「純平こそ……もう、寝るなよな、おれが終わるまで」

「わかったわかった」


 一口飲むと、苦さが頭の芯から眠さを追い払うようで、頭がスッキリした。


(しかし、何で今頃あんな夢……?)


 俺の横では公一が必死にレポートと格闘している。


(……こいつのせいかもな)


 自分の好きなように振る舞って、我が儘放題言って、当然のように好きな文学の勉強をしている公一を、俺はとても羨ましいと思っていた。


「良かったな、文学部に入れて」


 思わず口から漏れた俺の言葉に、公一は書く手を止め、キョトンとして俺を見る。


「何だよ、いきなり」

「いや……ほら、お前んち、医者だろ?だから、さ」


 自分でも、何でそんなことを言ったのかわからず、俺は焦ってその場をつなぐ。


「まぁ、な。でもほら、うちは兄貴がいるから。兄貴がちゃんと医者になってるからさ。兄貴のおかげでおれ、好きなことしてられるんだよなぁ」


 公一は、遠くを見るような瞳でぼんやりと宙を見つめた。

 公一の兄のことは、よく知っていた。かといって、別に面識があるわけではない。公一から聞かされていたのだ、実によく。

 今でもそうだが、大学に入ったばかりの頃は、公一が話をするといえば、9割方兄さんのことが絡んでいた。

 公一は、どうしようもないほど、ブラコンだった。


「おれんち、医者なんだ」


 この言葉を初めて聞いたとき、俺はひどく驚いたのを覚えている。


「えっ?跡、継がなくていいのか?」


 名前から、俺はすっかり、公一が長男だとばかり思いこんでいたのだ。


「ああ、おれはいいんだ。兄貴が継ぐから」

「え?兄さん、いるのか?何だ、俺てっきり」

「おれが長男だと思ったんだろ?」


 可笑しそうに、公一は笑った。


「ああ、名前が名前だからな。それにしても珍しいな。次男で一がつくっての」

「うん。よく言われるよ。でも、おれほんとは長男なんだ」

「……は?」


 怪訝そうな顔の俺を見て、公一は再び笑う。


「兄貴とおれは、血が繋がってないんだ。兄貴は、養子なんだよ」

「養子?」

「そ、養子」


 俺の慎重な声音を気にする風もなく、公一はあっけからんと言う。


「父さんと母さん……っておれを生んだ母さんだけど、子供は絶望的だって医者から言われたんだって。で、養子もらったんだけど、その3ヶ月後にはおれができちゃったのさ、母さんの腹の中に。だから、おれは次男だけど長男なんだ」

「……複雑なんだな」

「そんなこと、ないよ」


 またしても、俺の声とは対照的な、当たり前のような公一の口調。


「兄貴が養子だからって、実の子どもができちゃったからって、別に兄貴が虐げられているわけじゃないし、邪険に扱われているわけでもない。おれと全く同じに扱われているよ。どちらかといえば、兄貴の方が変わったな。自分が養子だって知ってから。何だか、こう……うまく言えないけど、親父たちに遠慮してるっていうか。でも、おれとは仲いいし、おれにとっては優しい兄貴なんだ。それに、すごく尊敬してる。おれなんかよりずっとしっかりしてるし、頭もいいんだ。親父も期待してる。実の息子のおれには、期待のかけらもしてなかったみたいだけどね。ま、てんで医学に無関心のおれに期待する方がどうかしてるとは思うけど。おれは親父も尊敬してるけど、兄貴も同じくらい尊敬してるし、感謝してる。だって兄貴がいなかったらおれ、文学部になんか入れなかったもん」

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