第42話 告発
この数か月、毎週一度は訪ねて来ているのだから、わざわざ手紙を書く必要もないと思ったのだが、ミュリエルは、アンドレに謁見の申し入れをした。
前回のこともあるので、あまり期待はしていなかった。平民の申し入れなど、どこかで握りつぶされて終わりなのだろうと思っていたので、手紙を送った翌日の早朝に、アンドレとエクトルが訪ねてきたのは以外だった。
どうやら、ミュリエルの手紙がアンドレに届けられたらしい。
「まさか迅速にご対応頂けるとは、望外の喜びにございます」
「当然だ。ミュリエルの頼みなんだからな」
ミュリエルからの手紙に喜び、早朝から行けば、目障りなフィンはいないだろうと思って、いそいそとやって来たのに、既に出勤してきていたフィンを、アンドレは苦々しく思った。しかし、忙しいようで同席はしないと分かり、上機嫌になった。
「手紙は読んで頂けないかと思っておりました」
「名誉勲章受賞者の手紙を蔑ろにするなんて不敬だ。ミュリエルの手紙は優先的に私の所へ届けられるよう指示しているから、いつでも気軽に手紙を書いてくれていいぞ」
頼み事の手紙でしかないだろうが、王子という立場を利用できるなら、いくらでも利用すればいい。そうやって、ミュリエルに尽くしていれば、いつか、個人的な内容の手紙を貰えるかもしれないと、アンドレは期待した。
「お心遣い感謝いたします」
「それで、話したいこととは何だ?」
ミュリエルは証拠書類を、アンドレの前にずらりと並べた。全て東方貿易会社に関する帳簿や、取引履歴など、不正行為があったとする書類のコピーだ。
原簿を持ち出したかったが、書類が1部でも無くなれば、調べていることに気づかれてしまう恐れがあり、書類のコピーを作ることにした。
まるで、ミュリエルが帳簿を書き写したかのように、ミュリエルの正確で流れるような筆跡そのものに見えるが、実際は魔法を使い転写した。
「これは?」
「東方貿易会社の不正を証明する資料です。私はロベール・カルヴァン侯を訴えます」
アンドレは正規の帳簿と、裏帳簿を見比べてざっと概算した。「これが本当なら、相当な金額を懐に隠していることになる。カルヴァン侯の実刑は免れないぞ、ミュリエルはそれでいいのか?」
アンドレは委細に書き写された書類を見て感心した。普通の令嬢ならば、この数字の羅列が何を意味するのか、分からないだろうが、ミュリエルには、これが不正の証拠だと分かっている。やはり、王子妃は彼女しか考えられないと確信した。
「はい、これは複写したものですが、原簿の在処も全て分かっています。家宅捜索をされるのでしたら、お力添えできるかと存じます」
「これほどの証拠を集めるのには、それなりの時間がかかったはずだ。これを、いつから計画していたんだ?」
「2年前からです。一昨年の夏、私はカルヴァン侯の密輸を知りました。何を密輸しているのか知りたくて、調べて行くうちに、二重帳簿の存在を知りました。それから少しづつ証拠を集めてきました」
「密輸品とは何なのだ?」
「アヘンです。ブリヨン侯爵領で育てたアヘンを、呉国に密輸出し、呉国から若い——男女問わず、奴隷として連れてきて、売り捌いているようです。全ては私腹を肥やすために」
「そこまで分かっているなら、すぐに家宅捜索をしよう」
「お待ちください、近々密輸船が出航するという情報を掴んでいます。今しばらく泳がせて、その密輸船を押さえたいのです」
「密輸船を押さえずとも、これだけの証拠があれば十分起訴できるぞ」
「その密輸船が、海賊船である可能性があるのです」
「何!海賊船だと!」アンドレは眉を
「はい、確かではありませんが、有力な情報です」
「それは、どこからの情報なのだ?信用できるのか?」
海賊が関わっているのならば、東方貿易会社を解体するしかなくなる。そうなれば、フランクールの貿易は大打撃を受ける。更には有力貴族のほとんどが、東方貿易会社に出資している状況だ。多くの貴族家が破産となれば、国が傾きかねない。これは慎重に行動しなければならないと、アンドレは危惧した。
ミュリエルは簡潔に説明した。「密輸船はペルティエ港から出ます。ペルティエ領の領主は、フェリシアン・オートゥイユ卿、兄であるギャスパー・オートゥイユ卿からの情報です。弟であるペルティエ男爵と、兄であるトゥルニエ伯爵は、奴隷の売買に加担しているようだと、マルセル子爵は仰っていました」
「マルセル子爵は、事件に関与していないのか?」アンドレは顔を少し青くした。その答えによって、アンドレは窮地に立たされるかもしれない。
「関与していないという、確かな証拠がありませんので、事実は分かりません。今あるのは、関与していないという、マルセル子爵の言い分だけです」
ミュリエルの表情からは、何も読み取れない。こういう場面で、フィンならばミュリエルの微少な表情を読み解く。長い間、婚約者だった自分より、最近知り合ったばかりのフィンの方が、ミュリエルを理解しているという事実が、アンドレの心に敗北感を植え付けた。
「ミュリエル、ここだけの話にしよう。正直に言ってくれ、マルセル子爵は関与しているのか?」
「当初オートゥイユ家はカルヴァン家からの密輸船に関する依頼を断りきれず、マルセル子爵も口を
「そうか……」アンドレはしばらくの沈黙の後に、何かを思い出すように言った。「マドゥレーヌは知っていたのだろうか、私に近づいた理由は、そのこともあったのだろうか?」
「マドゥレーヌ嬢は何も知らないようでした。マルセル子爵は、関与を示す証拠を消しているでしょうし、密輸船を取り押さえることに協力すると仰っています。アンドレ王子殿下の名誉のためにも、マルセル子爵の関与は伏せておいた方がよろしいでしょう」
「ミュリエル、感謝する。もし、マルセル子爵が関わっていたとするなら、俺も追求されてしまうからな」
アンドレは、ひとまず胸を撫で下ろしたが、自分が関わっていないと証明する、何かしらの策は考えておいた方が良いだろうと思った。
「一つ懸念事項があります。海賊と関わったのなら、カルヴァン一族は連座せねばなりません。私はカルヴァン家の長女です」
アンドレは何を馬鹿なことをと言いたげに呆れて言った。「まさか、国を疫病から救った君を処刑するなんてあり得ない。告発したのはミュリエル自身じゃないか。それに既に、カルヴァンの籍を抜けているし——この為に籍を抜けたのか?」
「一つの理由でしかありませんが、カルヴァン侯を破滅させたかったのは事実です」
「そんなに恨むほどの仕打ちを受けたということか……」こんなにも思い詰めるほど、辛い仕打ちを受けていたというのに、なぜ気づいてやれなかったのかと、アンドレは悔やんだ。「分かった。協力しよう。密輸船を取り押さえた後で、家宅捜索をする」
「ありがとうございます。アンドレ王子殿下には、いつも助力頂き、有り難く思う反面、申し訳なく思っています」
「そんな必要は無い、私がしたくてしているんだ。なあ、ミュリエル、カルヴァン家を除籍されるのが目的だったなら、貴族に戻れるよう取り計らうこともできる。君をどこかの貴族の養子にすればいいだけだからな」
「私は薬師になりたくてなりました。今は大勢の家族や友人に恵まれて、幸せを感じています。この幸せを手放すつもりはありません」
「そうか、それならいいんだが、貴族に戻りたくなったら、いつでも言ってくれ、君と養子縁組をしたいと思っている貴族は、多いだろうから、容易いことだ」
「アンドレ王子殿下、ミュリエルはうちの子です。誰にも渡しはしません」モーリスが工房から出てきて言った。「ミュリエル、薬草の手入れは終わったぞ。そっちは全部話したのか?」
「はい、全てお話ししました」
「アンドレ王子殿下、それで、ミュリエルの今後はどうなりますか。罪に問われますか?」
モーリスだけではなく、フィンとジゼル、イザベルとギャビーもミュリエルを取り囲み、その答えを待った。
ミュリエルに何かあれば、この面子は、命がけで守り抜く覚悟なんだろうと、アンドレは思った。この輪の中に入れてもらえない理由は分かっている。自分がミュリエルにしてきた仕打ちを、モーリスもジゼルも、まだ許してくれないからだ。
「陛下に話してみるが、ミュリエルは既にカルヴァンの性を捨てているし、告発者を罪に問うことは無いだろう。それに、両陛下はミュリエルを気に入っている」
モーリスはミュリエルを、力いっぱい抱きしめた。「良かった、良かった……」
「モー、ミュリエルが潰れちゃうわ」目に涙を浮かべたジゼルが笑いながら、モーリスをミュリエルから引き剥がし、ミュリエルの肩を抱いた。
涙ぐみ大喜びしたモーリスは、アンドレを抱き上げて、くるくる回った。
「な!おい!モーリス!離せ!」
それを見てフィンが大笑いした。「武に長けた殿下でも、モーリスさんの腕力には敵わないだろう。大人しく回されろ」
「フィン!不敬だぞ!エクトル!何とかしろ」
フィンとエクトルは、何のことか分からないといった表情で、視線を逸らした。
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