第2話 思わぬ僥倖

 ミュリエルは孤児院を出てから街をのんびりと歩き、モーリス薬店へやって来た。


 繁華街を少し外れたところにあるモーリス薬店は、61歳の男が1人で経営している古い薬店だ。


 この2階建ての建物は、1階が店舗になっていて、2階は貸し出しの住宅になっているが、今は空き家だ。


 モーリス自身は隣接する家で、妻と犬2匹と一緒に暮らしている。


「やあ、ミュリエルよく来たな」


 ミュリエルは時々、息苦しいカルヴァン邸を抜け出し、モーリス薬店へ遊びに行く。

「サンドランス教会に行ってきました」


「マドゥレーヌ嬢のことか?どうだった?」


「思ったとおり、マドゥレーヌ嬢は来たことがないそうです」


「アンドレ第3王子が騙されてるってことか」モーリスは眉を寄せた。


「そうなりますね。王都のパトリーから遠い、マルセル領に住むマドゥレーヌ嬢が王都に来て、サンドランス孤児院へ行く途中、人攫いの被害に遭いそうになった。そこへ滅多に市井へ出向かないアンドレ王子殿下が、偶然通りかかり助けた縁で恋に落ちたなんて話は、出来過ぎていると疑っていましたから、支援のために孤児院へよく通っているという話が、そもそも嘘なのではと思い調べてみましたが案の定でした」


「マドゥレーヌ嬢はどこかで、アンドレ王子が市井へ出かけることを聞きつけだんだろうな」


「王城の警備にあたっている第2親衛隊しんえいたいあたりから漏れたのでしょう。命を狙われやすい一国の王子が、どこへ行き何をするのか、漏らしたとしたらその人は厳罰に処されるでしょう」


 漏らした相手が暗殺者だったならば、絶好の機会を与えることになってしまうからだ。金を握らされたのだろうが、馬鹿なことをしたものだとミュリエルは思った。ギロチンによる処刑か、フランクール史上最も悪名高い『悪魔島あくまとう』への流刑。二度と生きては出られない無法地帯だ。


「ミュリエルはアンドレ王子にこのことを伝えるのか?」


 アンドレ第3王子はミュリエルの婚約者だが、マドゥレーヌ嬢との噂が最近、社交界のゴシップを賑わしている。手を繋いで王城の庭園を歩いていたとか、恋人のように見つめあっていたとかだ。


「いいえ、私にとっては僥倖ぎょうこうですから伝えません。アンドレ王子殿下はマドゥレーヌ嬢に惚れ込んでいます。仕組まれた出会いだったことは微塵も疑っていないでしょう。今なら婚約破棄の慰謝料として300万トレールを引き出せるはずです。そうすれば、150万トレールでこの店を買い取れます」


「150万なんて大金、俺と妻では使い切れんぞ」モーリスは呆れて言った。


「少しくらい贅沢しても、バチは当たりませんよ。買い取らせてくれるのでしょう?」


「もちろんだ、この店が潰れたら、この界隈で暮らしてる奴らが困るからな、ミュリエルが引き継いでくれるなら、俺も安心して引退できるさ」


「明日アンドレ王子殿下に婚約破棄を持ちかけてみます」


「本当に家を出て、ここで平民として暮らすつもりか?」


「はい、カルヴァン邸を出て、この2階に住むつもりです」


「ここへ初めて来たのは、ミュリエルが10歳のときだったな。つい最近のようだが、あれからもう7年も経ったんだな。お前の成長を見守ってきた俺たちにとっちゃあ、娘みたいなもんさ、いつでもミュリエルを歓迎するよ」


「ありがとうございます。次に来る時は150万トレールを持ってきます」


 ミュリエルは先端に、5粒のクリスタルと大きなルビーの魔法石が1粒ついているマジックワンドで空中に円を描き、ポータルを開け、カルヴァン邸の自室へテレポートした。


 初めてこの店へテレポートして来たときは、驚きのあまり腰を抜かしてしまったモーリスを介抱する羽目になった。


 元々ミュリエルはモーリス薬店に狙いを定めていた。店主が1人で営業していて、後継がいない薬店。ミュリエルの今後の計画に必要な条件だった。


 最初はただ薬店が欲しかっただけだが、モーリスも妻のジゼルも、ミュリエルが感じたことのない優しさを向けてくれ、ミュリエルを可愛がってくれた。ミュリエルはこの2人に出会って初めて人を愛せた。


 ミュリエルの父ロベールと母オリヴィアは政略結婚で、美人とは言い難いオリヴィアを眉目秀麗なロベールは嫌っていた。


 『公爵令嬢でなければ結婚などしなかった』がいつもの口癖だった。


 ミュリエルが3歳のときにオリヴィアが亡くなり、ロベールは愛人だったドゥニーズをオリヴィアの葬式後、間もなく、後妻として迎えた。

 オリヴィアの娘であるミュリエルに、ロベールは関心を示さず、ドゥニーズはミュリエルを疎んだ。


 ドゥニーズに子供ができなかったせいで、苛立ちの吐口にされるようになってから、ミュリエルは、カルヴァン邸で息を潜めて生きてきた。


 極力、誰とも合わないように、食事は自室に運んでもらい、日中は部屋で読書をして過ごした。


 ミュリエルと話をするのはガヴァネスくらいで、メイドたちも厄介ごとに首を突っ込みたくはないのだろう、ミュリエルに親しく話しかけるものなど、1人もいなかった。


 人々が寝静まったころ、そっと部屋を出て図書室へ向かい、明日読む本を調達してくる。それがミュリエルの1日だった。


 ある日ミュリエルはいつものように図書室へ行き本を物色していると、見覚えのない背表紙に目が止まった。図書室にある本は、全て把握しているつもりだったので、不思議に思い手に取った。


 紙の本が一般的だが、その本はとても古い物らしく、羊皮紙でできていた。


 本の埃をはらい、ミュリエルはページをめくった。すると、本が発光しミュリエルの体を包んだ。7歳のミュリエルは魔術書と書かれたこの本に夢中になり、夜な夜な本に書かれている魔法を試した。


 17歳となったミュリエルは、魔術書に書かれている魔法を、全て使えるようになっていた。

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