最終話「愛し合うということ」
僕は大学生になり、地元を離れて下宿することにした。
もちろん、詩乃と一緒に。
「1カ月、お世話になりました」
家を出るとき、彼女はペコリと母さんに深々と頭を下げる。
今着ている詩乃の服は僕と母さんが選んだものだ。
淡いピンクのコットンブラウスに、紺色のジーンズ。
彼女のスタイルの良さが引き立つシンプルなコーデだ。
その他にもいろいろな服を詩乃は手に入れたけれど……贔屓目抜きに見ても母さんのこういうセンスの良さはどうして僕に遺伝しなかったのだろう、とつくづく思う。
「太一くんの選ぶシンプルな服装も私は好きですよ」と言ってくれたけれど、そんな慰めは逆に惨めになるからできればやめてほしい。
新居は実家から電車で2時間の場所にある。
この近くに僕が進学する予定の大学があり、新居から電車で一駅だ。
本当は大学近くの物件にしたかったけれど、希望通りの物件がなかなか見つからなかったためこうなってしまった。
「今日からここが私たちの愛の巣になるんですね」
「その言い方、ちょっとやらしいからあまり使わないでおこうね」
はーい、と詩乃はわかったような、わかっていないような返事をする。
てへ、と舌をペロリと出す仕草は可愛かったけれど、他の人の前でやらないか心配だ。
彼女のことだから、ちゃんとそういうところは理解しているだろうけれど。
詩乃の当面の目標は、高卒認定を取ることらしい。
確かに中卒のままだとどこも雇ってもらえないというのが現状だ。
それに……。
「1年遅れてもいいので、また太一くんと一緒の学校を通ってみたいんです」
実家を出る前日に、詩乃がそんなことを言っていた。
早ければ来年からまた一緒に通えることができるかもしれない。
そうなると詩乃が後輩になるのか。
なんだか実感できない。
とりあえずあらかたの荷物を運び、注文していた家具を配置していく。
1LDKだから内見の時はとても広々と感じたけれど、家具を置いてみてもやっぱり広いと改めて思う。
でも、詩乃からしてみたら別にこのくらいは普通なのだろう。
全ての作業を終えたときは、既に夕方になっていた。
お昼にこの家に到着したから、そりゃそうだろうという結果なのだけど、さすがにお腹が空いた。
それはおそらく詩乃も同じ状況なのだろうが、さすがにこの状況で彼女に料理を作ってもらうのも忍びない。
かといって僕が料理ができるかと問われれば、あまり自信はないし、第一僕もそんな体力など残っていなかった。
「晩御飯にしましょうか」
「そうだね。どこか食べに行くか、出前にしよう」
「いえ、私が作りますよ。これから節約しないとですし」
任せてください、と言わんばかりに詩乃は笑みを浮かべた。
そこまで言われたら仕方ない。
一緒に買い出しに行くとしよう。
この周辺のことにもいろいろ詳しくなっておきたいし。
とはいえ彼女も疲れているから、簡単な料理にするつもりらしい。
白米に味噌汁、そして野菜炒めと、手軽に作れそうなものばかりだ。
僕でもできそうなラインナップだった。
この時間帯のスーパーは混雑していた。
地元よりも発展している街だから、余計に人が多い。
漫画でよく見るような大混雑ではなかったけれど、レジで大量の列ができるくらいには多かった。
「私たちって、傍から見たらどう映っているんでしょうね」
「そりゃ、仲のいいカップルに見えるんじゃないかな」
「カップル……いい響きですね。どうせなら夫婦の方がいいですけれど」
「それは……まだ早いよ」
けど、いつの日にかきっと。
そうですね、と彼女は呟く。
少し頬が赤くなっていた。
やっぱり僕の心理がわかるエスパーの持ち主なのかもしれない。
食材を買い終え、家に戻る。
詩乃はさっそくキッチンに立ち、エプロンをかけて料理の準備を始めた。
IHコンロは一つしかないのが少々不便だが致し方ない。
「僕も何か手伝うよ」
「なら、お米を研いでください。その間に味噌汁を作っておきますので、それが終わったら野菜炒めの食材を切っておいてください」
「わかった」
僕は詩乃の隣に立ち、白米を研いでいく。
キッチンは想像よりも狭かったけれど、一応単身用らしいので文句は言えない。
でもこの狭さが僕らの距離を表しているようで、なんだかちょっとだけいい。
詩乃の的確な指示のおかげでスムーズに料理が完成した。
手軽に作ったものだが、どれもこれも美味しそうだ。
早速僕たちはテーブルに向かい合い、手を合わせる。
なんだかこれも高校1年の頃に戻ったみたいで懐かしい。
「美味しい。毎日作ってほしいよ」
「言われなくたって作りますよ、あなたのためなら」
クスリと彼女が笑った。
つられて僕も口角が上がる。
詩乃が幸せそうな顔をしてくれてよかった。
これから僕は、彼女のこの笑顔を守るために生きていくんだ。
過去、僕は愛というものを蔑んでいた。
それは母さんがくれるそれが禍々しいくらいに痛々しかったから。
そんな痛みを抱えるくらいなら愛情なんていらないと、本気で思っていた。
だけど今は違う。
誰かを愛するということは、それだけで生きる活力になる。
時には苦しいことだってあるけれど、その辛かった時間が無駄だったとは思いたくない。
幸せになって余裕が生まれた今の立場だから言えることかもしれないけれど……振り返ってみれば、母さんがくれたものだって、歪んではいるけれど愛情だと感じるから。
もうあんな思いをするのはごめんだけれど。
正直、正しい愛し方なんてわからない。
僕は歪んだものしか知らないし、詩乃も歪な形のものしか知らなかったから、お互いに探りながらの状態だ。
それでも僕たちの愛の形は、間違いなく本物だと言い張れる自信はある。
それは反面教師が近くにいたから、という理由ではなく、もっと単純に、本能が、細胞がそう叫んでいるからだ。
だから僕は、これからも詩乃を愛し続けていこうと誓う。
それが僕の幸せなのだから。
クラスのマドンナがラブホから出てきた 結城柚月 @YuishiroYuzuki
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