第52話「いなくなった君を想う③」

 校舎を出た僕たちは、そのまま校門を通った。

 もうここを通ることは二度とない。

 そう思うと、淡白だった毎日もほんの少しだけ彩りが出る……ことはなく、やはり思い出は淡白なままだった。


「またどっかみんなで遊びに行きたいね。今度はしーちゃんも一緒に」

「そうだな。片桐、絶対探し出して今までのつけ全部返させてやる」

「ははは、できたらいいね」


 できないことはわかっている。

 だけど心の中では、ほんのわずかに、希望を捨てられない自分がいた。

 もしかしたら、須藤たちは僕にその心を思い出させるためにこんなことを言ったのだろうか?


 いや、考えすぎかもしれない。

 だって須藤たちなのだから、自分がしたいことをそのまま口にしているに過ぎない。

 それでも、僕の淀んだ心に一筋の光を差し込むには十分だった。


「また会おう。明日でもいいし、1カ月後でもいい。2年経った成人式の日でも構わない。それでもいつか、またみんなと会いたい」

「当たり前だ。俺たちは友達だからな」

「そうそう。困ったらいつでも頼ってね」


 うん、と返事をして、僕たちは別れた。

 これで永遠にサヨナラするわけではない。

 けれど、なぜだかキューっと胸の奥が締め付けられる。

 学校との別れにはそれほどだったのに。


 ここで桜の花びらでも舞い散っていれば少しは晴れやかな気分になっただろうけれど、そんな上手く世界はできていない。

 学校に植えられていた桜はまだ開花していないし、そもそも桜が咲くような温かい気候でもない。

 僕と同じで、今はまだ冬。

 身体を貫くような北風がびゅうと吹いているだけだ。


 この後の予定なんてなかった。

 本当は詩乃が住んでいた場所に顔を出したかったけれど、もう彼女が住んでいないことは調査済みだし、交通費を出してまで無駄足を踏みたくはない。

 せめて図書館に……とも考えたけれど、今日はもう色々疲れた。

 こういう学校行事はただ出席するだけで疲労が蓄積される。


 もう、学校はない。

 大学生になるまで、本当に虚無の時間が続く。

 今までは学校、もとい須藤と祈里がかろうじて僕を繋ぎとめてくれていた。

 その命綱もなくなってしまった現在、僕に待ち構えていたのはただただ退屈で虚無な毎日だけだった。


 明日でもいい、なんて言っておいて本当に明日会うことになったら、笑われ者になったりしないだろうか。

 多分須藤たちのことだからそんなことにはならないだろうけれど、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「詩乃……」


 ふと呟いてみた。

 口にせずにはいられなかった。

 もう会えないという事実が、寂寥感を募らせる。

 悲しくて、苦しくて、どうしようない想いがこみ上げてくるのに、不思議と涙がこぼれない。

 最後に笑ったのは、泣いたのは、いつだっけ。



 最後の通学路も味気ないものだった。

 見慣れた光景、見慣れた街並み。

 なんの変わり映えもない、退屈で色褪せた毎日。


 そのはずだったのに。


 突然僕の世界に色が付いた。

 僕の家の前で誰かが立っている。

 シルエットから遠くからでも女性だということはすぐにわかった。


 紺色のダッフルコートを羽織った彼女は、僕の方に気づくとニコッと優しく微笑みかけてくれた。

 その笑顔を僕はどれだけ待ち続けていたことか。


「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


 彼女が僕に声をかける。

 相変わらずの丁寧な言葉遣い。

 目の前で奇跡が起こった瞬間だった。


 考えるより先に身体が動いていた。

 疲れなど知らず、僕は一目散に彼女のところへと駆けだす。


 しなやかな黒い髪、ハリのある白い肌。

 透き通るような瞳に、潤いのある唇。


 記憶の中よりも、彼女はずっと大人びていた。

 そりゃ、2年も経ったら成長くらいするだろう。

 だけど抱きしめた時のぬくもりは、温かさは、何一つとして変わっていない。


 いろいろ言いたいことがある。

 今までどこにいたんだ、とか。

 どうして何も言わずにいなくなったんだ、とか。

 ずっと言えなかった言葉が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 だけど、今一番、真っ先に伝えたかった言葉は……。


「また君に会えて、本当によかった……」


 詩乃を抱きしめながら、僕は泣いた。

 人目をはばからず、泣いて、泣いて、彼女を抱擁し続けた。

 それに応じるように、詩乃も僕をぎゅっと抱きしめる。


「私もです。私も、あなたにずっと会いたかった……」


 僕の肩に雫がポツリと落ちる。

 雨でないことくらいすぐにわかった。


 ああ、一緒の気持ちなんだ。


 嬉しくてたまらなかった。

 全身から喜びが満ち溢れてくる。

 それと同じくらい彼女の喜びも伝わってきて、抱きしめるこの腕を離したくはなかった。


 どれだけの時間が過ぎただろう。

 きっとその時間は刹那のようだけれど、僕たちにとっては永遠とも呼べるくらい、愛情を確かめるように抱きしめ合った。

 通行人がいなかったのが幸いだ。


 きっと昔の僕が見たら嘲笑するだろう。

 だけど今の僕だって、昔の僕を見て嘲笑するかもしれない。

 愛するということは、愛されるということは、こんなにも素晴らしいのだと、教えてやりたいくらいだ。

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