第53話「いなくなった君を想う④」
まだ抱きしめ足りなかったけれど、そろそろ通行人が来たら邪魔になりかねない。
僕たちは抱擁を解き、僕の家の中へと案内する。
彼女が僕の家に来るなんて、一体何年ぶりだろう。
「変わってないんですね」
「たった数年で間取りが変わってたまるか」
「それもそうですね」
ふふ、と彼女が微笑む。
こういう仕草だって変わっていない。
本当に彼女が帰ってきたんだ、と実感する。
僕は彼女を居間に案内し、お茶を出す。
「お母さまはどうされたんですか?」
「買い物して帰るって。だからまだ帰ってこないよ」
「そうなんですか。ご挨拶しようと伺いましたのに……」
ご挨拶?
一体何のことだ。
僕が尋ねる前に、詩乃が答えた。
「実はですね、私、父からようやく勘当されまして」
「はあ、勘当……え、縁切られたの?」
「はい!」
今まで見たことないくらいにこやかな笑顔で詩乃は返事をした。
しかし縁を切られるくらいの相当なやらかしなど、何があったか……と振り返ってみたら、すぐにそれらしい事件を思い出した。
あれはまだ僕たちが高校1年生だった夏、僕と詩乃が関わり合いを持ったあの時期の出来事だ。
詩乃は、少し嬉しそうに今までのことを語った。
「登校日のあの日、私は先生に呼び出され、いろいろ尋問されたんです。そこに珍しく父もいまして。驚きましたね。私のこと捨てたのかと思いましたから。で、私と父と、教師陣たちといろいろ話し合って……と言っても、一方的に父が意見を押し通しただけなんですけどね、まあ、退学したわけです」
「なるほど……」
僕はコップのお茶を飲み、詩乃を眺めた。
言葉だけを見るといろいろ悲惨ではあるが、まあ元気そうでよかった。
彼女の境遇に同情するとともに、安堵の息を漏らす。
しかし、疑問に思ったことがいくつかある。
「でもよく今まで勘当されなかったよね。君のお父さんのことだから、てっきりあの日見捨てられたのかとばかり」
「本当はそうしたかったんです。向こうも私も。でも先生たちと話し合った結果、それはあまりにも無慈悲だし非現実的だということになりまして。折衷案としてこの卒業の日まで父と一緒にいることになったんです」
「なんだか、本質的な解決策になっていないような……」
「ですね。学校側も早く面倒ごとを片付けたかったんでしょう。まあ、そのせいで私は軟禁状態になってしまったんですけどね」
軽々しく重たい言葉が出てきたものだから、そのギャップに口にしていたおちゃあを吹き出しそうになる。
無事がわかったのはいいことだけど、あまりにも元気があり余り過ぎるから少し調子が狂う。
「な、軟禁?」
「はい。父は世間体を気にする人ですから。買い物以外ほとんど出歩かせてくれませんでした。スマホも解約されましたし、家では常に家事をしていて、もはや半分奴隷のような状態でしたね。性的なことや暴力的なことをされなかったのが幸いでしたけれど」
「そう、なんだ……それは、まあ、いろいろ大変だったね」
「いえ、どうということはありません」
彼女はいつものようににこやかに微笑んだ。
笑っていいのかわからない。
だけど実際全てを終わらせて、僕のところまでやってきたのだから、詩乃の中では笑い話になるのだろう。
「それで、この後どうするの? 宛てはあるの?」
「ありませんよ。だから来たんです。これから厄介になりますので」
「ちょっと図々しくない?」
先に口から言葉が出ていた。
しかし頭の中では「いくらなんでも」という冷静な自分と、「ずっと一緒に詩乃といられる」というお花畑な自分が対立している。
驚いたことに、現在後者が優勢だ。
これから詩乃が一緒に住む。
それを考えただけでもワクワクしてきた。
どうやらこの数年のうちに、僕の頭はいつまでも恋愛煩悩へと変貌を遂げていたらしい。
が、僕もこの家にずっと居座るつもりもなかった。
4月から進学のために引っ越すことになっている。
まだ済む場所は決まっていないけれど、ここから大学まで通うには片道で何時間もかかってしまうため、下宿になることは必須だ。
「あのさ」
僕は詩乃に声をかける。
少しばかり、いや、かなり緊張していた。
だって、これは彼女との将来を決める選択なのだから。
「もし君さえよければ、4月から一緒に暮らさないか?」
どくん、どくん、どくん。
心臓の音が聞こえてしまうくらい、部屋の中は静かだった。
期待していたものとは違う答えが返ってくると、僕はもう二度と立ち上がることはできない。
目の前の彼女は、僕の方をただ見つめるだけだった。
声も発さず、潤んだ瞳をぶつける。
言葉を出した時と別の緊張感が全身に駆け巡った。
そして詩乃は、ニッと微笑む。
まるで「待ってました」と言わんばかりに。
「はい、喜んで」
緊張感は全て幸せへと変換された。
ガッツポーズを構えたくなるのを抑え、僕は向かい合う彼女の手を握る。
「これでやっと、約束を果たせそうだ」
「まだ覚えてくれていたんですね」
「当たり前だろ? 忘れるものか」
今の一瞬まで、片時も忘れたことなんてない。
これが僕の生きる理由だと思っていたのだから。
だけどようやく、僕の生きる理由が戻ってきた。
こんなに生を実感できたのはいつ以来だろう。
嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。
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